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        任天堂前社長  山内 溥氏
       探究系、アイデアマン、采配型
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    Wiiは1400万台、ニンテンドーDSの累計販売は
    4000万台に到達する勢いで、
    今期は創業以来の連結売上1兆円を超える見通しです。
    「利息だけで社員の給与が払える」といわれるほどの優良企業、
    金額は社員一人当たり2000万円を超えます。
    それは、アイデアを形にする執念が実を結んだ結果なのです。
 
 ▲ 「閃き」は形にするまでが大変
 
 今は世界的なファミコン、ゲーム機メーカーとなった任天堂。
 その創業は花札から始まったことをご存知でしょうか。
 任天堂は明治時代半ば、京都で一人の職人が花札をつくり、
 販売したことから始まりました。
 
 それから現在に至るまで、一貫して「ゲーム」というものに
 焦点をあわせて歩んできましたが、
 その道のりは決して平坦ではありませんでした。
 数々のヒット商品を生み出しながら、その次にやってく失敗の数々。
 「運を天に任せる」、正に社名を地でいく状態が続いたのです。
 
 その道のり…
 ○花札の普及を土台にして、トランプカードへ事業拡大し、
  日本一のカードメーカーとなる。
 ×脱カードを目指し、ホテル経営、タクシー会社、
  インスタント食品に手を出すが、ことごとく失敗。
 ○ウルトラハンド、ウルトラマシン、ウルトラスコープなど
  子供向け玩具が大ヒット。
 ×簡易コピー機、文房具、学生用の教材、運動具、育児用品など
  多角化を図るが、どれも失敗、
  借金でいつつぶれてもおかしくない状態となる。
 ○光線銃が空前の大ヒット。エレクトロニクスの分野に足を踏み入れる。
 ×レーザークレー射撃場を日本全国にレジャー施設として
 展開しようとするが、オイルショックにより頓挫。
 ○テレビ用ゲーム機に参入。その後ファミコン、携帯ゲーム機のヒット、
  現在の任天堂となる。
 
 ▲ 「眼」を鍛え、「人」を育てる
 
 世界的ゲーム機メーカーとしての任天堂は、
 前社長 山内 溥(ひろし)氏が作り上げたといっても、
 言い過ぎではないでしょう。
 しかし、お話したような失敗の連続も、
 同じ経営者がしてしまったものです。
 
 若干22才で会社の跡継ぎとなり
 、試行錯誤の末、たどり着いた会社の基盤。
 その経験の中で、山内氏が見つけたものは、
 事業と人の「目利き」では無かったのでしょうか。
 
 数々のヒット商品の陰には、無名な社員の発想があり、
 それは会議の中から生まれることが無いことを、
 経験を持って学んだのです。
 
 大企業が、人やお金をどんなにつぎ込んでも
 ファミコンは作り出せなかった。
 しかし任天堂だからこそ、ファミコンを生み出せた。
 新しいものは、たくさんの人の知恵で作り出せるのではなく、
 優秀な社員の発想と、それを見極められる
 経営者トップの目利きにあるのです。
 
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