善光寺信仰が全国各地に広がり、一光三尊阿弥陀如来像(善光寺仏)をお奉りするお寺が500を超えた理由の一つが、善光寺聖の存在があります。善光寺聖は、現代流に考えれば、新聞・テレビがない時代の広報宣伝マンであったのかもしれません。


(全国にひろまった善光寺信仰)

11世紀前半は、京の貴族を中心に浄土信仰が盛んになった時期でもありました。こうした浄土教の隆盛とともに、善光寺聖と呼ばれる民間僧が本尊のご分身仏を背負い、縁起を唱導して、全国各地を遍歴しながら民衆の間に善光寺信仰を広めました。(引用: http://www.zenkoji.jp/about/index.html  )


(広報活動と考えれば)

 例えは悪いのですが、演歌歌手は、全国の酒場・地元ラジオ局を一軒一軒廻り、歌を披露し、ヒットさせる営業方法を行っています。デパートでの実演販売員(マネキン)も、特産物コーナーも同様なのかもしれません。知って頂く努力として、、厨子に背負った善光寺仏を善光寺聖は、各地で如来様のお姿を示す「見える化」、庄屋のお座敷に近くの皆さんに集まってもらい、その場での演目は「善光寺縁起」、極楽往生・現世御利益を求める庶民の心をその場で確実につかんだきたのであります。


(その効果は)

 善光寺参拝客は通年でも年間600万人を数え、特に今年のようにご開帳の約二ヶ月で同じく600万人を超える善男善女がお参詣いただきます。その経済効果は1,000億円を超えるとも云われています。これは、1400年変わらない善光寺経営の努力と成果であります。