『9 密告について』

《犯罪の密告はあきらかな弊害であるが、多くの国で是認され、必要なものとさえなっている。それはその国々の政府が弱体であるからだ。》

密告、誣告、告発、告訴、通報と色々似たような類の区分けがなされているが、その内容によって使い分けられているようである。それはともかく、ベッカリーアは密告を弊害と言っており、逆説的に述べられたものではなくそのままの意である。あまり考えたことは無いが、この認識には少し違和感を感じる。

《こんなならわしは人間をうそつきにし、不誠実にする。同胞を密告者ではないかとうたがう者は、やがて同胞を敵と思うようになる。人々はありのままの感情を仮面の下にかくす習慣がつき、他人に対して感情をかくす習慣はやがてじぶんみずからの感情をいつわる習慣になる。
こんないまわしいところまで行ってしまった人々は、なんとあわれむべきだろう!》

《誣告が専制主義のもっともかたいたてである秘密で武装されたとき、だれがこれからじぶんを守ることができよう?
君主が臣民の一人一人を敵ではないかとうたがい、公共の安全を確保するためには国民一人一人の安全をかきみださなければならないような政体はなんとみじめなことだろう。
いったい、告発や科刑が秘密のうちにおこなわれることを正当づける理由となるものはなにか?》

ここでベッカリーアのいう密告とその効果が捉えられ、私の違和感も解消された。誣告という言葉を調べると、人をおとしいれるための偽りの密告ということである。密告自体には嘘偽りという意味は含まれないが、ベッカリーアは混同させている。

《モンテスキューはすでにいっている。ー公共の福祉に対する愛が、国民の第一の感情である共和政体の国の精神には、公然の告訴が適合する。王国においては、その政体の本質上、国家に対する愛はきわめて弱いものであるから、その司法官に、社会の名において法律違反者を訴追する任務を負わせることが賢明である。しかし、共和制であろうと王政であろうと、すべての政府は、誣告者に対しては、その被誣告者が有罪であったばあい受けるであろう同じ刑罰を科すべきだーと。》

最後は文章としておかしいので、意を汲む必要がある。