民主党が厚生労働大臣の問責問題につき、矛を緩め始めた。当然と言えば、当然である。この通り行けば、着任する大臣は日替わりになる。やはりどこかおかしいと気付くはずである。
また、民主党は年金問題にて国民の歓迎を受けたが、国民は大臣の問責問題など要らぬ話であり、政党間の鍔迫り合いは寧ろ歓迎しない。そうなると、国会議員(政府含む)という存在がまた歓迎しにくいものに変ずる。
国会議員のホンネとしては、「私たちが議題としているような内容については国民は考えなくてよい」というものがあるようで、「船頭多くして船山に登る」という諺を意味する。どっちみち国民は法律の制定に参与しない(白紙委任状態)のだからその通りで、また効率も良いが、この良し悪しは別として、これが日本組織の脆弱性の原因であり、今日その現実化がまざまざと社会問題化しているものである。

<長寿医療制度>あて先不明などの保険証

国会議員(政策企画)と行政(実務)とが全然上手くいっていないことがわかる。さらに、国民の出足も重く、遅い。この問題解消には、戦前のような挙国体制が必要であるが、あれをあのまま実現するわけにはいかない。よく研究し、よく批判し、トータルとして今日の社会規範に適合するようにしなければならない。
いずれにしても、このままでは、このままなのである。尤も、緊急事態ではゴリ押しがきく社会であり、またそのことによって多少変化が生ずるにせよ、それに慣れてしまっているのも良いとは思えない。
日本近代史を紐解けば、明治は反政府運動が主だが、大正期以降は政府と同じことを国民のなかで考える傾向が強く出てきた。単なる反政府でなく、政府の政策批判や日本組織自体の批判を行う者である。つまり船頭が増えてきたのである。今日ではマスコミがその代表格であろう。「国民主体」と憲法にあるが、その「国民」は抽象的存在でしかない。また、「組織票」で議員が決まるので(個々の国民にとっては)実質的に翼賛方式が続いている。議員の世襲制は当然の帰結である。統計分析で政策企画するリスクの高さを知らない。といって、マスコミの言う事ばかり聞くと面目が無いばかりか、さらに確信も持てない。これは将に、「管理職のジレンマ」と類似することがわかるだろう。日本組織の脆弱性ここに在り。