07年01月28日
知識・見識・胆識
東洋思想家で有名な陽明学者である安岡正篤先生(昭和58年没)は、日本の発展に大きな影響を与えた方で政治家・経済人に師と仰ぐ方が多い方である。
この安岡先生の言葉に「知識・見識・胆識」があり、結構、使われている。
私は、この言葉を分りやすく「知識・経験・根性」と置き換えて話している。
知識は幾らあっても人の変革には何も役立たないものであり、知った「知識」を実践して経験を積むことで「知識」が「見識」に昇華するのである。
経験の伴わない知識人の話は、「見識」とは言えずに邪魔なだけというケースも多いもので、コンサルタントとして常に「戒め」ねばならない大きなポイントである。
しかし、実践で磨いた「見識」も自分のみ終わって活きないのである。
「見識」を述べることにより相手の琴線に触れ感動させて実際にアクションに移させる力を持つには、腹の底から相手を思って発することが重要で、これを「胆識」と呼ぶと考えている。
この腹の底からという点を分りやすく「根性」と表現している。
自分に「根性」や「信念」がなければ、相手を感動させることは難しい。
安岡先生は「胆識」と言われるのだが、語呂合わせとして響きがよいかも知れないが、具体的に「根性」とシンプルにしている。
こんな解釈は、安岡先生のファンに叱られるかも知れないが、シンプルで今の人にも分り易いと思っている。
この安岡先生の言葉に「知識・見識・胆識」があり、結構、使われている。
私は、この言葉を分りやすく「知識・経験・根性」と置き換えて話している。
知識は幾らあっても人の変革には何も役立たないものであり、知った「知識」を実践して経験を積むことで「知識」が「見識」に昇華するのである。
経験の伴わない知識人の話は、「見識」とは言えずに邪魔なだけというケースも多いもので、コンサルタントとして常に「戒め」ねばならない大きなポイントである。
しかし、実践で磨いた「見識」も自分のみ終わって活きないのである。
「見識」を述べることにより相手の琴線に触れ感動させて実際にアクションに移させる力を持つには、腹の底から相手を思って発することが重要で、これを「胆識」と呼ぶと考えている。
この腹の底からという点を分りやすく「根性」と表現している。
自分に「根性」や「信念」がなければ、相手を感動させることは難しい。
安岡先生は「胆識」と言われるのだが、語呂合わせとして響きがよいかも知れないが、具体的に「根性」とシンプルにしている。
こんな解釈は、安岡先生のファンに叱られるかも知れないが、シンプルで今の人にも分り易いと思っている。