09年02月04日
防鼠材
建築工事は日々発展して来ていますが、その中の基礎の部分も昔と
は随分変わっています。
少し前までの基礎には換気口という床下の通気を図るための装置が
有りましたが、現在の木造軸組工法ではそのような換気口は設ける
事は少なくて、基礎と土台との間に硬質ゴムなどで出来ている物の
パッキンを入れてそのパッキンとパッキンの間の隙間に空気が通り
床下の換気が出来る装置となっています。
そこで気を付けなければならないのが鼠の侵入なので、空気は通し
て鼠は通さない防鼠材と言う物を使う事にしています。
は随分変わっています。
少し前までの基礎には換気口という床下の通気を図るための装置が
有りましたが、現在の木造軸組工法ではそのような換気口は設ける
事は少なくて、基礎と土台との間に硬質ゴムなどで出来ている物の
パッキンを入れてそのパッキンとパッキンの間の隙間に空気が通り
床下の換気が出来る装置となっています。
そこで気を付けなければならないのが鼠の侵入なので、空気は通し
て鼠は通さない防鼠材と言う物を使う事にしています。
09年02月03日
200年住宅
現在の住宅計画に対して官民挙げて200年住宅という目標を掲げ
て税制面で優遇措置を図って普及しようとしていますが、建てる側
の住まい手がそのような意識になるのか疑問に思います。
考えの基本はスクラップ&ビルトではなくてストックするという事
ですが、家は耐久消費財などと言われて来ていて、ここで急に方向
転換しなさいと言うのはすこし乱暴なような感じで、まずは都市の
有るべき姿のストックとしての建築を教育してからでないとただ単
に、資源の問題やエネルギーの問題だけで進むとは思われません。
200年住宅と言われて、さて、現在から200年前を遡って考え
ると、その時は江戸時代。江戸時代の住宅が現在住むのに耐えられ
る住宅かと言われると、さてどうでしょう。それでは200年後の
社会を想像できるかと言えば又これも無理な話で、住宅だけで将来
を見通す事は出来なく、やはり200年後の社会の姿が描ければ、
自ずと住宅もそのようにしたいと欲求が出てくると思うのですが
如何でしょう。
それに、経済的な事から見ると、現在総務省統計局から発表されて
いる資料で平成15年の住宅数が53,891,000戸ですので30年で建て
替えるとすると一年間に180万戸弱が建設される事になり、そして、
当時の住宅着工戸数と言えば120万戸/年という数字なので経済的な
平穏時でその数ですから、200年住宅が普及して年々この数字が
小さくなると経済の問題はどうなるのだろうと思います。
少々荒っぽい話に成りましたが、建築を社会的なストックとする為
には何か順序が違うような感じがしています。
て税制面で優遇措置を図って普及しようとしていますが、建てる側
の住まい手がそのような意識になるのか疑問に思います。
考えの基本はスクラップ&ビルトではなくてストックするという事
ですが、家は耐久消費財などと言われて来ていて、ここで急に方向
転換しなさいと言うのはすこし乱暴なような感じで、まずは都市の
有るべき姿のストックとしての建築を教育してからでないとただ単
に、資源の問題やエネルギーの問題だけで進むとは思われません。
200年住宅と言われて、さて、現在から200年前を遡って考え
ると、その時は江戸時代。江戸時代の住宅が現在住むのに耐えられ
る住宅かと言われると、さてどうでしょう。それでは200年後の
社会を想像できるかと言えば又これも無理な話で、住宅だけで将来
を見通す事は出来なく、やはり200年後の社会の姿が描ければ、
自ずと住宅もそのようにしたいと欲求が出てくると思うのですが
如何でしょう。
それに、経済的な事から見ると、現在総務省統計局から発表されて
いる資料で平成15年の住宅数が53,891,000戸ですので30年で建て
替えるとすると一年間に180万戸弱が建設される事になり、そして、
当時の住宅着工戸数と言えば120万戸/年という数字なので経済的な
平穏時でその数ですから、200年住宅が普及して年々この数字が
小さくなると経済の問題はどうなるのだろうと思います。
少々荒っぽい話に成りましたが、建築を社会的なストックとする為
には何か順序が違うような感じがしています。
09年02月02日
満賀ん
昨年の夏に所用が有って、首相官邸の近くを通った時の事、何やら
由緒が有りそうな感じの時代掛かった建物が目に付いて記憶してい
たのですが、その後、この建物の由来が判りました。
中央公論社から出版されている、TOKYOの建築50の謎(中公新書
著者 鈴木信子 2008/07)の中の12東京流料亭建築の特徴とは?
の一段にこの写真の「黒澤」が出てきます。
内容に付いて著者に失礼と成りますので書きませんが、気なってい
た建物の事が判ると、何か突っかかっていたものが落ちたような気
持で、何やらスッキリとしました。
この看板、建築当時から有るような感じですが違ったのですね。
由緒が有りそうな感じの時代掛かった建物が目に付いて記憶してい
たのですが、その後、この建物の由来が判りました。
中央公論社から出版されている、TOKYOの建築50の謎(中公新書
著者 鈴木信子 2008/07)の中の12東京流料亭建築の特徴とは?
の一段にこの写真の「黒澤」が出てきます。
内容に付いて著者に失礼と成りますので書きませんが、気なってい
た建物の事が判ると、何か突っかかっていたものが落ちたような気
持で、何やらスッキリとしました。
この看板、建築当時から有るような感じですが違ったのですね。
09年01月31日
銀三分
東京赤坂のTBSのビルの裏手に雷電為右衛門の墓がある事で知ら
れる報土寺と言うお寺が有ります。
その為なのかどうかは知りませんが。鐘楼の屋根瓦を見ると、何と
雷の文字が入っていて、成るほど、凝っていますね、と言う感じ。
その門前が急な坂道で、その坂道の道標に「3分坂」と書かれてい
たので”さんぶざか”と読んだのですが、説明書きを読むと読み方
が違いました。
坂道の名前の由来は”急坂のため通る車賃を銀三分増したため”と
有りました、そこで”さんぶ”と言うと4分の3両の事になるそう
で、銀の場合は”さんぷん”と読まなければいけないという事でし
た。知らなかったなぁ・・・。
れる報土寺と言うお寺が有ります。
その為なのかどうかは知りませんが。鐘楼の屋根瓦を見ると、何と
雷の文字が入っていて、成るほど、凝っていますね、と言う感じ。
その門前が急な坂道で、その坂道の道標に「3分坂」と書かれてい
たので”さんぶざか”と読んだのですが、説明書きを読むと読み方
が違いました。
坂道の名前の由来は”急坂のため通る車賃を銀三分増したため”と
有りました、そこで”さんぶ”と言うと4分の3両の事になるそう
で、銀の場合は”さんぷん”と読まなければいけないという事でし
た。知らなかったなぁ・・・。
09年01月30日
しとみ
神社などで見る事ができる蔀(しとみ)ですが、元々は平安時代に
完成された建築様式である寝殿造りに表われた建具の1つで、後に
神社などでも使われるようなったようです。
蔀は下の格子戸と上の格子戸の一対の総称で格子の裏側を板張りと
して下の蔀は柱間に建込んで取り外せるようになっていて、上の蔀
は水平に跳ね上げて吊金具で留めるようになっています。
この跳ね上げ方も屋外に跳ね上げるのが古く、室内に跳ね上げるの
は新しいと言われていますが、この写真の蔀は上野の清水観音堂で
すが、この清水堂は京都の清水寺を意識して造られた建物なので清
水寺と同じように懸造り(かけつくり)と成っていていますが、
その辺の事は又にして、この建築年が寛永8年(1631年)なの
でこの建具が取り入れられた時期からすれば決して古くは無いと思
うのだけれど、室外に跳ね上げているので、あまり厳密な区分けは
出来ないようです。
蔀の名前の由来は、「し」は下で、「とみ」は止みで、上より下に
下がり止まる戸である事から、この建具の事を「しとみ」と言う
新井白石の説があります。
こうやって見ていると日本の建築も結構奥が深いですね。
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完成された建築様式である寝殿造りに表われた建具の1つで、後に
神社などでも使われるようなったようです。
蔀は下の格子戸と上の格子戸の一対の総称で格子の裏側を板張りと
して下の蔀は柱間に建込んで取り外せるようになっていて、上の蔀
は水平に跳ね上げて吊金具で留めるようになっています。
この跳ね上げ方も屋外に跳ね上げるのが古く、室内に跳ね上げるの
は新しいと言われていますが、この写真の蔀は上野の清水観音堂で
すが、この清水堂は京都の清水寺を意識して造られた建物なので清
水寺と同じように懸造り(かけつくり)と成っていていますが、
その辺の事は又にして、この建築年が寛永8年(1631年)なの
でこの建具が取り入れられた時期からすれば決して古くは無いと思
うのだけれど、室外に跳ね上げているので、あまり厳密な区分けは
出来ないようです。
蔀の名前の由来は、「し」は下で、「とみ」は止みで、上より下に
下がり止まる戸である事から、この建具の事を「しとみ」と言う
新井白石の説があります。
こうやって見ていると日本の建築も結構奥が深いですね。