08年04月19日
看脚下
■「看脚下」
前号の「十牛図」は、禅の悟りにいたる道筋を10枚の絵で表したものでした
が、如何でしたでしょうか?
「難しいなぁ〜!」
という声が届きました。
今回も禅の言葉で「看脚下」をご紹介します。
ところで、皆さんは人生で一番悩んだ時はいつでしょうか?
誰でも「悩み」「苦しむ」という時期が必ずあると思います。
私もサラリーマン時代の23年間、独立して経営者として13年間、
何度も何度も悩み苦しんで来ました。
そのような時に思い出す言葉があります。
★「看脚下」★
禅宗のお寺に行くと玄関口に掲げられている言葉です。
「足元を見よ」と書いてあるのです。
一般的には、「下足を散らかすな!」という警告になっているのですが、
本来の意味はもっと奥深いのです。
この「看脚下」は、五祖法演(ほうえん)襌師(宋時代)と
弟子たちの話と言われています。
法演襌師と弟子たちが闇夜に提灯の灯りを頼りに寺に帰っていた時に、
手にしていた灯火が、突然、消えてしまったのです。
もちろん、闇夜ですから弟子たちは不意をくらって慌てふためくのです。
この時、法演襌師が
「さあ、自己の見解を述べよ」
と命じたのです。
さすがに禅宗ですね。
こんな事件から問答が始まるのですね。
弟子たちは困り果てるのですが、その中で、園悟克勤は
「看脚下(足元を見よ)」
と答えたのです。
真っ暗闇になると何も見えないので大騒ぎするのですが、
足元を見ていると目が暗闇になれて来てダンダン見えてくるのです。
足元さえ見えれば、大体の方向性が分かっているので、
一歩ずつ進めるのです。
そういう事から、
「人生には、今まで拠り所としていたものが、急になくなる時がありますが、
そういう時は、慌てずに身近な所に目を向けると
自ずから解決策が見えてくる」
という教えなのです。
「品質保証」を担当している方なら、この事がよく分かると思います。
トンでもないクレームが発生しても、
大騒ぎしているだけでは何も解決策は見えてこないのですが、
冷静に、現象を仕分けて行くことによって「手掛り」が見えてくる
のです。
「クレーム」と怖れているうちは、何も見えないのですが、
「客観的」に「現象」を層別分類する
というシンプルな手順でハッキリと原因が見えてくるのです。
このように、「看脚下」は、
「慌てるな、手のつく事から始めよ」
という教えなのです。
■「失敗大賞」
私は、サラリーマン時代もいろんな事で悩んだのですが、
独立してからの悩みは「金」という面が強く絡む「悩み」になって
押しかかってくるのです。
ある会社では「失敗大賞」という表彰制度で人材育成しているそうですが、
「失敗」=「損失」=「資金繰り」
と連想するのは、貧乏会社の為なのでしょうか?
なかなか「失敗大賞」とは行かないものです。
ところが、逆転の発想をすると
「失敗した」という事実は、その社員がチャレンジした証なのです。
★このチャレンジ精神が大切なのです。
「減点主義」ならば、誰もチャレンジしなくなり、
会社は「尻細り」の状況に追い込まれます。
「チャレンジ」したことを表彰すれば、失敗したと落ち込んでいる社員に
「大感動」を与えることに繋がると思います。
それにより「失敗」を恐れない風土が築かれて行くのです。
まさに、経営者の「器量」が問われます。
「看脚下」という禅の言葉のように、
社員が失敗して「お先真っ暗」な心境の時に
社長の「よくぞ失敗した」の一言でパッと明るくなり、
さらに、「チャレンジするぞ!」と勇気が湧く
のです。
おたくの会社は、
「何もチャレンジしない」社員を大切にしていませんか?
「亡国の兆し」ですよ!
■まとめ
・「足元」さえシッカリしていれば、慌てたり不安にかられる必要はない
・「客観的」に「現象」を層別分類する
・「何もチャレンジしない」・・「亡国の兆し」!
■当「AMIニュース」のバックログは、
http://www.web-ami.com/mailnews/main.html
でご参照ください。
前号の「十牛図」は、禅の悟りにいたる道筋を10枚の絵で表したものでした
が、如何でしたでしょうか?
「難しいなぁ〜!」
という声が届きました。
今回も禅の言葉で「看脚下」をご紹介します。
ところで、皆さんは人生で一番悩んだ時はいつでしょうか?
誰でも「悩み」「苦しむ」という時期が必ずあると思います。
私もサラリーマン時代の23年間、独立して経営者として13年間、
何度も何度も悩み苦しんで来ました。
そのような時に思い出す言葉があります。
★「看脚下」★
禅宗のお寺に行くと玄関口に掲げられている言葉です。
「足元を見よ」と書いてあるのです。
一般的には、「下足を散らかすな!」という警告になっているのですが、
本来の意味はもっと奥深いのです。
この「看脚下」は、五祖法演(ほうえん)襌師(宋時代)と
弟子たちの話と言われています。
法演襌師と弟子たちが闇夜に提灯の灯りを頼りに寺に帰っていた時に、
手にしていた灯火が、突然、消えてしまったのです。
もちろん、闇夜ですから弟子たちは不意をくらって慌てふためくのです。
この時、法演襌師が
「さあ、自己の見解を述べよ」
と命じたのです。
さすがに禅宗ですね。
こんな事件から問答が始まるのですね。
弟子たちは困り果てるのですが、その中で、園悟克勤は
「看脚下(足元を見よ)」
と答えたのです。
真っ暗闇になると何も見えないので大騒ぎするのですが、
足元を見ていると目が暗闇になれて来てダンダン見えてくるのです。
足元さえ見えれば、大体の方向性が分かっているので、
一歩ずつ進めるのです。
そういう事から、
「人生には、今まで拠り所としていたものが、急になくなる時がありますが、
そういう時は、慌てずに身近な所に目を向けると
自ずから解決策が見えてくる」
という教えなのです。
「品質保証」を担当している方なら、この事がよく分かると思います。
トンでもないクレームが発生しても、
大騒ぎしているだけでは何も解決策は見えてこないのですが、
冷静に、現象を仕分けて行くことによって「手掛り」が見えてくる
のです。
「クレーム」と怖れているうちは、何も見えないのですが、
「客観的」に「現象」を層別分類する
というシンプルな手順でハッキリと原因が見えてくるのです。
このように、「看脚下」は、
「慌てるな、手のつく事から始めよ」
という教えなのです。
■「失敗大賞」
私は、サラリーマン時代もいろんな事で悩んだのですが、
独立してからの悩みは「金」という面が強く絡む「悩み」になって
押しかかってくるのです。
ある会社では「失敗大賞」という表彰制度で人材育成しているそうですが、
「失敗」=「損失」=「資金繰り」
と連想するのは、貧乏会社の為なのでしょうか?
なかなか「失敗大賞」とは行かないものです。
ところが、逆転の発想をすると
「失敗した」という事実は、その社員がチャレンジした証なのです。
★このチャレンジ精神が大切なのです。
「減点主義」ならば、誰もチャレンジしなくなり、
会社は「尻細り」の状況に追い込まれます。
「チャレンジ」したことを表彰すれば、失敗したと落ち込んでいる社員に
「大感動」を与えることに繋がると思います。
それにより「失敗」を恐れない風土が築かれて行くのです。
まさに、経営者の「器量」が問われます。
「看脚下」という禅の言葉のように、
社員が失敗して「お先真っ暗」な心境の時に
社長の「よくぞ失敗した」の一言でパッと明るくなり、
さらに、「チャレンジするぞ!」と勇気が湧く
のです。
おたくの会社は、
「何もチャレンジしない」社員を大切にしていませんか?
「亡国の兆し」ですよ!
■まとめ
・「足元」さえシッカリしていれば、慌てたり不安にかられる必要はない
・「客観的」に「現象」を層別分類する
・「何もチャレンジしない」・・「亡国の兆し」!
■当「AMIニュース」のバックログは、
http://www.web-ami.com/mailnews/main.html
でご参照ください。