●毎日似た仕事は習慣となりついでにボケる
また一人惚けて逝った。妻の親友のMさんの亭主のことである。
有名大学の教授で、歴史や哲学関係を教えていたという。真面目な人であった。
歴史や哲学というのは、世界史であれ日本史であれ、あるいは中国史や西洋史にしても、一度覚えたら、特殊な価値観の修正を迫られる事情が発生しない限り、不変なのである。
つまり昔覚えた知識を、来る日も来る日も、今年も来年もそのまた翌年も、同じ知識をベースにして教えることができるのである。
一般に世間では、こんな例のように“昔とった杵柄”でいつまでもメシが食える仕事をしている人は、ボケる人が多いと、昔から言われている。
この知人も、根が真面目な人だっただけに、いつかはボケるんじゃないかと思っていたが、それが的中した。
もう十年ほど前から、「うちの人、ボケで仕様がないのよ。さっき食べたごはんのことを忘れて、昼飯はまだかと言うんだから・・」という愚痴は聞いたことがある。
それがとうとう、奥さんが「ボケで逝ったのよ」と言う羽目に陥ったのである。
Mさんのご主人のようなタイプ(真面目な謹厳実直型)は、ボケやすいというが・・注意が必要である。

●定年のあと1年でもボケます
ある医師は自著に、地方公務員のことを痴呆公務員とジョーク的に書いていたが、地方公務員を含む公務員の人で、明けても暮れても似たような仕事をしている人もボケる人になりやすいと書いていた。そういう意味では、変化の嵐の中で働くことはいいことかもしれない。
しかし、毎日似たり寄ったりの仕事でなくても、ボケた人を知っている。
ある薬品を扱う会社で、常務を最後に退職したAさん、退職後1年もせずにボケた。
同じ認知症(ボケ)でも、例外もあるらしい。ただ真面目という点には変わりない。
ではボケないためにはどうすればいいのか。世間に害毒を流さない程度の不良に生きることがいいらしい。
18年08月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●水商売でタネ銭づくり
浅野総一郎は、昭和5年に83歳で大往生を遂げている。
浅野は文字通り“徒手空拳”で大成功した人物である。まず最初はタネ銭づくりだ。
いま語るとウソという人もいるほどだ。それは現在の御茶ノ水の橋の上。盛夏の真っ昼間。「さあ、冷やっこい冷やっこい、甘くて冷たい水だよ・・」と大声を張り上げる男がいる。
よく聞くと一杯がただの一銭だ。だったら飲もうかと思う者もいる。こうやって、一人が飲めば二人が飲み、三人となり四人という具合に客がついた。日に4、50杯は売ったという。
当時は現地に高林寺という禅寺があり、きれいな清水が湧き出していた。時の将軍の徳川秀忠公に献上したら大喜びで、当時の江戸屏風絵にも“高林寺御茶ノ水”として残されている。
しかし仕入といえばタダ同然で、砂糖を加えただけ。これでしこたまタネ銭を稼いだ。
しかし盛夏が過ぎ秋の訪れとともに水は売れなくなる。そこで横浜の“小倉屋”という味噌醤油を商う店に就職。ここで一大発見をする。当時の味噌は竹皮に包んで売っていた。
一大発見とは竹皮だ。相場を調べるといい値段で売買されている。情報を掴み行動は早い。
早速千葉県の姉ヶ崎に飛び、竹皮を仕入れ味噌醤油の販売店に売り込んだ。よく売れた。
儲けは冷やっこい水の比ではない。こうやって大事業の元金を稼いだのである。
全身を情報アンテナにしての動きには磨きがかかる。そうした某日、横浜港でも一大発見。
当時の荷役はモッコ(持籠)で石炭を運んでいた。ところがポロポロと落としている。だれも拾わない。自分が拾ってみたがだれも文句は言わない。それ以来毎日拾うことにした。
塵も積もれば何とやら。やがて住吉町に店を出し、税関、裁判所、警察、病院など片っ端から売り込みをした。やがて官庁と取引きしているのが信用になると読んだ。
某日、「石炭が1,200トンある。買わないか」という話が持ち込まれた。
●情報管理も人脈づくりもスキがない
価格は交渉をしたものの4,000円だ。当時の銀座の土地が800坪は買えた金額だ。
売るのはタイミングだ。当時“敦賀丸”という船が横浜港に停泊していたが、石炭がないから動けない。「売ってくれ」という。ここが潮時と売った。生まれて初めて手にした大金だ。
こうやって、ある日総一郎は例により朝の銭湯に入った。すると赤猫の噂で持ちきりだ。
赤猫とは火災のこと。ゆうべも赤猫が出たという噂である。ここで総一郎は考えた。
「現代の日本の家屋は木造だ。コンクリートにすれば赤猫防止になる。よし次はセメントだ」
そこで石炭商売で出入りしていた会社にセメント工場があったのを思い出した。行ってみると蛻(もぬけ)の殻ではないか。国営だったが赤字で閉じていた。昔も今も国営は甘いのだ。
そこで以前に渋沢栄一が、「オモシロイ奴、ヒマな時に来るがいい」と言われていたのを思い出し、尋ねて国営のセメント工場の払い下げを頼み込んだ。
午後10時過ぎに尋ねると、こんな遅くには会えないと断られた。「ヒマな時に来いと言ったのはそっち。俺がヒマな時とは午後10時過ぎだ」と言い、とうとう根負けして会った。
こうやってついに、株式会社浅野セメントが誕生したのである。
とにかく総一郎は、「一日4時間以上寝るとバカになる」を口ぐせに生涯を終わっている。
関わった事業は、浅野セメント、東洋汽船、磐城炭鉱、浅野造船、関東水力、庄川水力、東京湾埋立、浅野物産、浅野小倉製鋼、京浜運河など。間接的に関わりのある企業としては、南部鉄道、五日市鉄道、青梅鉄道、朝鮮鉄山、富士製鋼、大島製鋼などがある。
いま浅野が残した教育遺産は、浅野学園という中学校と高等学校がある。そして、JR鶴見線には“浅野駅”がある。ネット地図を紐解くと“浅野駅”が息をしているのである。
18年07月01日 | Category: profile
Posted by: mao
長野県の建設資材の会社で、「わかりました、明日一番で送ります」という返事が大きな問題になったことがある。
たとえば資材をこの会社に注文する。そんなとき、電話を受けた者が口にする返事が、「わかりました、明日一番で送ります」とか、「大至急お届けします・・」だったのである。それこそ口癖のように。
ところが一番どころか、一日中待っても届かないで、ついにしびれを切らした相手が、「きみんとこの朝一番は、一体いつのことなんだ」と大声を出すに至ったのである。
しかも多くの得意先で多発していたのだ。何の算段もないのに発して良い言葉ではない。無責任の極みだ。
この会社ではまた、こんな現場を見たことがある。
松本支店を訪ねたとき、門を入った付近の草取りをしている男がいた。やがて約束の時間となり、目の前に現れた支店長を見てびっくりした。先程見た草取りをしていた男だった。
率先して草取りを・・という姿を見せようとしたのだろうが、管理者としての姿勢が「ナッチョラン」のである。考え方からして次元違いなのである。
「部下を指揮して、最大効率の仕事をさせる」という管理者の仕事が、まったく出来ていなかったのである。
この会社では、約一カ月後にこの支店長は降格になったのは当然として、全社員の教育も始まったそうだ。
しかし最近、ネットで調べてみると、この会社は銀行管理になっていた。やはりトップの指導力が問題だったのであろう。
18年06月01日 | Category: profile
Posted by: mao
人様に頂き物を頂戴することがある。
この場合必ず礼を言わねばならない。この当り前のことができないことがあるので注意が必要だ。
会社に土産を持参した場合、土産を女の子に渡す場合がある。当然上司には彼女が、土産を戴きましたと報告し、上司から土産の礼を言うのが日本古来の習慣である。
ところがしつけのよくない会社では、女の子が上司に報告をしないところがある。
さてここでは個人に的を絞り、頂き物の礼について考察してみよう。土産の礼は少なくとも二回は言うべきである。
一回目は戴いたときに言うはずである。問題は爾後のことである。
たとえば2、3日して、物を送った相手と会うとする。しかし何にも言わないと相手は、〈気に入らなかったのか〉とか、〈奥さんに渡したのに亭主には何も言っていないのか〉などと、いろんな詮索が首をもたげるものである。
ところが逆に、「先日は結構な物を頂戴して・・」と挨拶されると、要らざる詮索気分も起こらず、相手は贈って良かったと思うもの。
私が知る経営者は、「一回限りの礼は相手に失礼だと思う」とも語っている。
お礼は少なくなくとも二回は、言うべきである。
18年05月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●人から嫌われる三つの理由
人から嫌われる理由は色々あるだろうが、もっともポピュラーな理由を上げるとすれば、三つあげることができよう。⑴話し方にカドがあり嫌われる。⑵人の話の聞き方が下手で嫌われる。⑶人の価値観を認めないで嫌われる。
まず第一の“カド”がある話し方とは、一体どんな話し方だろうか。
あるコンサルタントがスケジュールがいっぱいで、クライアントの講演依頼に応えることが無理なとき、仲間に緊急応援を頼んだことが何度かあった。その返事の話である。〈なんとカドのある返事をするんだろう!〉と思ったことがあるそうだ。
それは、「ああいいですよ」という返事。こんな返事もある。「・・お断りします」。またこんな返事にも辟易した。「講演料はいくらなの?」という冒頭の質問。
もちろん「お断りします」には、「丁度仕事が入っていて」などの前置詞はつく。
これらに共通するのは、「折角のご紹介なのに申し訳ない」という「意味」が省かれている。
本来なら、少なくとも「私のような未熟者でよければ・・お引き受けさせていただきます」と言うべきだ。英語でもコーヒーのすすめを断る場合、「ノーサンキュー」と言うではないか。「折角だが遠慮させていただこうかな・・」という感謝的な断り方である。

第二の聞き方だが、相手が自分とはまるで反対の意見を言うのに対して、「それは違うと・・」とか、言葉にこそ出さなくても、明らかに不満げな様子を露骨に示す聞き方だ。
いい聞き方は、「なるほど、そんな考え方もあるんですねえ」と応え、そしてしばしの時間を置き、「さっきのご意見ですが・・」と反論の趣旨を語るのがいい聞き方と思う。これを「イエス・バット法」と呼ぶ。

第三の価値観の問題だが、これは「聞く耳持たぬ」という接し方である。
ある銀行の経営センターに調査部長上がりの人がいて、この人が“聞く耳もたぬ”という人だった。よほど自分を切れ者と錯覚したのだろう。
こっちが挨拶をしているのに、ぷいと横を向く人であった。
紹介した部下が、「いつもあの調子なんだ」と言っていたが、挨拶する相手の顔を見ないとは・・・・互いに人間なんだから、価値観が異なるのが当り前なのだ。
しかしこの種の人は、自分の価値観だけは人に押しつけるものだ。自分の価値観は人に押しつけるのに、他人の価値観は聞こうともしない。我がままな人である。
18年04月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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