●シワくちゃの札扱いには金も避けて通る
紙幣をくちゃくちゃにして、ポケットに入れるような人は金にも嫌われる、と言ったのは、原安三郎(元日本化薬社長)だが、似たようなことを語った人が別にもいる。あの小林一三である。
「ぼくは三井銀行大阪支店の貸付課員だった頃、銀行へ客がやってくると、よく先立って履物を揃えたものだ。銀行は本来、腰を低くすべき商売だが、貸付係でそこまでする人間はいなかった。むしろ威張っていた。それをぼくは、預金する客であろうと、貸付を依頼する客であろうと、相手によって態度を変えることはなかった。
あるとき、桑名(三重県)の素封家で知られた諸戸清六が銀行へやってきて、いざ帰ろうとする際、揃えた履物を見て、諸戸はしげしげとぼくを見て言った。
『あんたは感心な方だ。いまに必ず出世なさるに違いない・・』 」

ところで大財閥の諸戸清六は明治23年に、大金15万円を投じて桑名市に、水道を敷設寄付した。諸戸清六にして、この些事への気付きである。当時の三重県知事の年俸が4千円程度だったから、15万円はざっとみて知事の年俸37年ぶんに当たる。

●小事が大事な結果につながる
多くの人は、「専門のことはわからないからお任せします。とにかくよろしく・・」というような言い方をするのが、素封家は絶対に言わないことだ。
「そんなみみっちいこと、言うなよ・・」などといって、些事を無視して太っ腹を見せる人がいるが、過去の大富豪を見ると、そういう意味の太っ腹は一人もいない。
甲州財閥と呼ばれた雨宮敬次郎は、大きな火鉢を置いた応接間で商談をしていた。
雨宮は、客が帰ると火鉢の灰を見たそうだ。そして語っている。
「信用していい客は、灰を火(木炭)に寄せかけして、保護するように火箸を使う。しかしいい加減な相手は、灰を広げ散らして帰るものだ・・」
金が寄ってくるような人ほど、些事も大事にし、それを習慣化している。
18年03月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●貧乏が人を育てる
オムロン(本社・京都)という会社がある。
従業員は3万5千名を数え、売上高は連結で8千億円に手の届く大企業である。
創業者は、九州の熊本出身の立石一真(1991年歿)という人である。
この人自身が書いた「私の履歴書」に、つぎのような一文があった。
「ある冬の夕暮、氷雨の降る街角で見知らぬ婦人に呼び止められ、年齢を尋ねられたので、〈小学校五年です〉と答えると、〈まあ、かわいそうに〉と、近くにあるその人の家に招かれ、お茶とお菓子をごちそうになったことがある・・」
「私の人生で、貧困は少年時代から始まった。よく〈ずいぶん苦労されましたね〉と言われる。しかしその貧しい境遇が、今日の幸せをもたらしたといえる」とも語っている。
また、こんな一文もあった。
「私が子どもの頃は、“貧乏の哲学”とでもいう精神的な支えがあったことも確か。
従って、人の親となってからも、自分の子どもたちに対しても、〈貧乏という条件を作ってやらなければいけない〉とつくづく感じている・・」
なるほど、考えさせられる。

一方別の話であるが、ある会社の社長には、子どもができなかった。細君は子宝を授かるように、新興宗教にすがった。すると男の子ができた。頼もしい会社の後継者だ。信仰で子どもができるはずはないのだが、そこを信じるからこそ信者というのだろう。
時が経って、この子が東京の大学に入るや、その社長は毎月100万円ずつ仕送りをした。
ところがこの息子にとっては、自分を規制するものは何もない。金はタナボタで毎月100万も使える。何をしようが、何に金を使おうが、自分に意見を言うものはいない。
ではこの息子は、贅沢な金と自由を生かして、立派な後継者になれるよう、自分を磨いたのだろうか。答えは「ノー」である。会社はとっくに破綻している。
こちらは、他山の石とすべき話である。
18年02月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●除夜の鐘はいくつ?
人間には多くの“煩悩”というものがあります。
欲望、怒り、執着、猜疑など、いろいろとあります。四苦八苦するほどあるが、これを算用数字に置き換えると、4×9=36と、8×9=72の合計で、108となります。
これは一説で、とにかく“山ほどある煩悩”という意味です。
正式には、打ち出しから107までを年内に打ち、最後の一つをボーンと響く、新春の時の合図とともに叩くのだそうです。つまり、最後の一つは両年に跨るように叩くのです。
最後の除夜の鐘を聞き終わると、「新年が来たんだなあ」という思いにかられます。
東京では、築地本願寺、大本山増上寺、善福寺、浅草寺ほか、茨城では笠間除夜の鐘ほか、栃木では佐野厄除け大師、日光山輪王寺ほか、群馬では水澤寺(水澤観世音)などがある。
●除夜の鐘にも苦情が舞い込む
ところが世間には、除夜の鐘も何のその、「鐘の音がうるさい」と寺に苦情を言ってくる人間もいるとか。風変わりな人もいる世の中になった。
東京の小金井市にある、100年以上の歴史を持つ「千手院」が当事者で、苦情が殺到してついに中止を決めたという。
静岡県の牧ノ原にある、450年以上の歴史を持つ「大澤寺」も、苦情で中止にしました、ということである。
こういう輩が、夏の風物詩である風鈴の音が「うるせえんだよ」と言うのであろう。
●生き方を自問する節目にする
正月という月を、自分の生き方を自問する時間に充てる人も多い。
たとえば女流作家の宇野千代さんは、95歳のときこう自著に書いている。
「ある女性が死んだが、押し入れを開けてみたら、経帷子(きょうかたびら)をはじめ死に装束一切に、棺のぐるりに巻く晒しの布まで揃えてあった。感心な人だと褒める人もいたが、私はそうは思わなかった。死ぬ用意をしても死にたいと思ったわけでもあるまい。最後の最後まで生きる気力を失くさなかったという証拠を見るほうが、私は好きである。死ぬ覚悟ができていた、褒めるのが日本人は好きだけど、そんなものは死ぬ瞬間でもできる」
ずっと以前に、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)のことを紹介した。彫刻家で文化勲章の受賞者だ。(満107歳で死去した。岡山県出身)
90歳で健康診断を受けたら、「肉体は70歳の健康体です」と言われ、だったらあと30年は仕事ができると言い、向こう30年ぶんの素材を買い込んだという。
田中語録というものがある。紹介しておこう。
「不老、60や70は鼻垂れ小僧。男盛りは百から百から。わしもこれからこれから」
「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」
いくつになっても、前へ前へと物事を考える。肉体は衰えても。思考エネルギーは燃え盛り一歩も停滞は許されない。
最後に、日野原重明先生の最近の語録を紹介しておく。
「人生とは、未知の自分に挑戦することです」
18年01月01日 | Category: profile
Posted by: mao
「遊ぶ人」と言うと、よからぬ思いをする人が少なくない。
しかし、次のように書くと、解釈は異なるはずである。
遊説、遊学、遊牧、外遊、回遊、漫遊、遊撃。
直訳ではなく、こういう精神を持つ遊びをする人は好きである。遊び心とでも言うのだろう。
遊学といえば、外国に学ぶことを言う。ただ学問一辺倒だけでなく、その国の文化や歴史、習慣や国民感情など、あらゆることに気を配り、学び取る精神が欠かせない。
異業種交流会なるものが、約20年前、当時の通産省が音頭を取り全国で始まった。何しろ、役所の声掛け。全国に広まるのも早かった。
しかし当時から危惧する面もあった。「どこの誰が、よし、この特許に値する斬新な情報を、みんなのために公開してやろう、と思うものか」
それどころか、「だれか目新しい特許に当たるような新情報を、提供してくれないものか」と期待して集まっていたものだ。
この“斬新な情報を期待して集まる”人だけが多かったらしく、なし崩し的に異業種交流会なるものは崩壊した。
だから集まった人たちは、口々に不満を漏らしていた。
「異業種といっても、新しい情報なんか誰も持っては来ない・・」
異業種だから、警戒心も解けて目新しい情報も公開してくれるんじゃないか、という期待は見事に裏切られたのである。
もし異業種から情報を受け取り、その情報を加工して特許を取得するような人は、とっくに自分自身でやっているものだ。
たとえば、金属の粉末加工技術の技術者として、長い道を歩いたAさんは、定年を前に考えた。何か新しい技術を考え、それを役立たせて独立できないものか。
長い間考えて思い当たったのは、“豆腐を作るとき大豆の搾り粕は飼育動物の餌にしかならない。” “おカラといって活用するぐらいである。”ということ。これを自分の技術と融合できないものか。
“やがて、独自の粉砕技術を開発し搾り粕が出ない豆腐づくりに成功した。”全国の豆腐屋さんから引き合いが来て、契約豆腐屋も十軒をかぞえるまでになったそうだ。
遊び心なくして、このような成功はおぼつかない。
17年12月01日 | Category: profile
Posted by: mao
ままならぬ食事のコントロールをどうするか。
文藝春秋に、「著名人20人わたしの健康食」という特集があった。「やっぱりそうだったのか」と思うことが多かった。
たとえば次の4人の健康食は、野菜抜きには考えられない。
慶應義塾の片山善博さんは、リュックを背負い、有機野菜の買い出しをするそうだ。野菜をふんだんに摂るようになって、みるみるうちに健康になったのが、きっかけという。
婚礼衣装のデザイナーの桂由美さんは、ダイコンおろしをもう20年間も続けているそうだ。野菜を食べなければいけないことはわかっていたが、やがてダイコンおろしに決めた。
もちろんバランスにも気をつけ、肉なども摂るが、忘れないのはダイコンおろしという。
田原総一郎さんは、毎朝「紙パックの野菜ジュース」を飲んでいるそうだ。もちろん無添加で、塩分を控えたものだそうだ。
内閣官房長官の菅義偉さんも、「朝食は野菜料理だけ」という徹底ぶりだ。
話はかわるが、加熱料理がほとんどの現代、温度が50度程度で消滅する酵素、この酵素が足りない人は多い。人間の体には、約2000種の酵素が活躍をしているという。
若いとき活発でも、老化に従い鈍重になるのは、酵素不足によるものだ。
いま紹介した4人は、この酵素不足を野菜の中から摂っているのと同じである。酵素は、肉体の点火プラグと思えばいい。点火プラグの調子が悪いとエンジンだって不調だ。
エスキモーは、鳥獣の心臓を御馳走として真っ先に食べることはご存知の方もいると思う。
人が死ぬときは、酵素はゼロになっていることらしい。
17年11月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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