16年12月01日

チャンスの掴み方、栴檀は双葉より・・
●大人の手の大きさを読んだ
徒手空拳から、大きなチャンスを掴んだ人物を考えてみよう。
昔、スコットランドのダムファーリンという町の青果市場でのこと。ある八百屋の店先には真っ赤に熟れたサクランボが、山と積まれていた。
 すると年の頃は、10歳ぐらいの少年が、そのサクランボをじっと見つめている。欲しいけれども買ってもらえないのだ。母が側にいるが買えないのである。
 少年の眼差しを察した店主は、賢そうな少年に言った。
「坊や、ひとつかみあげるから持っていきなよ」
「うん、おじさん、ありがとう」
 礼は言うが、何回言われても、自分ではつかみ取ろうとしない少年に、店主はシビレを切らし、とうとう自分の手でひとつかみ取ってあげた
「遠慮するなよ、ほら、これ持っていきな」
こう言って、少年の帽子に入れてくれた。
あとで母親は、「どうして自分ではとらなかったの?」と訊いた。
「だってさ、僕の手よりおじさんの手が大きいんだもん」
 この少年こそ、のちにアメリカに渡り鉄鋼王として大成功した、アンドリュー・カーネギーの少年時代のひとこまである。

●栴檀は年齢を経ても栴檀だ
かわって日本には、こういう少年の話はないのか。それがあるのだ。
家が貧乏で、高級魚を高級店に直接売り込む方法で、じわりと独立自立の生活設計を考えていた少年がいた。利幅があり儲かったそうだ。やがて縁を得て帝国ホテルの皿洗いに就いた。
最高責任者は、当代切っての料理の達人、村上信夫さんである。まず名前を覚えてもらう。
当たり前のことをしていたら、到底名前なんか覚えてもらうわけにはいかない。
そこで村上さんの行動をみていると、トイレに小用を足しに出かける時間をつかんだ。
そしてある日のこと、自分も村上さんに行動を合わせ小用を足しに出かけた。ばったり顔を合わせた。すると元気よく挨拶をした。
「お疲れさまです」
何回か繰り返すと村上さんも、あの元気のいい少年は何という名前かと思うようになった。
そして、その日はとうとう来た。
 「お疲れさまです」
  すると、「きみの名前は何と言うんだ」と訊かれたそうだ。
  これが三国清三なる人物に、幸運の女神が微笑むきっかけになったのである。
  やがて三国は、フランス大使館の料理人として推薦を受け、料理をするようになるが、この料理を契機に、「三国が作ったフランス料理」が有名になったものだ。
  いまでは「ミクニヨコハマ」(横浜)や、「オテル・ドゥ・ミクニ」(東京)のオーナーシェフとして大活躍している。
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二人の有名人の少年時代を紹介したが、思わずこんな言い伝えを思い出した。
「栴檀は双葉より芳し」。そういえば、ニューヨークのカーネギー劇場は、鉄鋼王のカーネギーの寄付でできたものだ。栴檀は、年輪を経ても栴檀である。
16年12月01日 | Category: profile
Posted by: mao
16年11月01日

人生訓

●徳川家康・・・遺訓
・人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。
・不自由を常と思えば不足なし。心にのぞみ起こらば、困窮したときを思い出すべし。
・堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。
・勝つことばかり知り、負くることを知らざれば、害その身に至る。
・己を責めて、人を責むるな。
・及ばざるは過ぎたるに勝れり。

●リンカーン 我が座右の銘
・働け、働け ――――万事は、徹頭徹尾この一語に尽きる。
・腹の立つときにしたためた手紙は、ただちにこれを火中に投じてしまえ。
・酒を飲みさえしなければ、決して酔漢(酔っ払い)となることはない。
・余りに高い的を射てはならない。確実に当たる的を狙え。
・いかなることがあっても敵、味方の双方に信義を守れ。
・人間は正しい場所に立てば、いつも直立することができる。
・黄金は大切なものだ。しかし、愛と勇気と、正義心に富める人こそは、さらにそれよりも大切なものである。
16年11月01日 | Category: profile
Posted by: mao
 ある病院での話。二人部屋である。
 一人の患者に見舞いが訪れた。
「どうも、お忙しいのにすみません・・」
 どうやら会社の上司らしい。そしてその上司はこう言った。
「きみが居なくても、みんながきみの分まで、カバーしているから、安心して病院で養生しなさい。」
 その上司らしい人が帰ったあとで、その入院患者は、寂しげにこう語った。
「ぼくは会社を辞めるつもりです。居ても居なくてもいい社員だからです。ぼくなんか居なくても・・」
 上司の一言に傷付いているのだ。
 その上司は、こう言うべきだった。
「きみが居ないと、車のオイルが切れたみたいで、職場の回転が悪くてねえ。なるべく早く復帰はして欲しいが、
この際、みんなもカバーしているし、しっかり養生して・・」
 あのものの言い方では、安心して養生どころか、退院しても自分の席がないかも・・と思えば、オチオチしてもいられないだろう。
 一言は人を生かし、また殺しもする。

 ところが一方に、こんなこともある。
 ある経営コンサルタント会社で、三十代の若手経営コンサルタントが、自宅で絶句した。というのは入浴中の洗い場で、血の小便が出て驚いた。急いで病院に行ったら、医者から聞かれた。
「最近、何か変わったことはありませんでしたか?」
 そこでつい二日ほど前の、寒中の出来事を語った。
「東北に寝台車で出張したんですが、寝台車の暖房パイプが凍結し冷房列車に変貌し、震えながらの移動になりました」
 医者は途端に言いました。
「恐らくそれが原因でしょう。“特発性腎炎”といいまして、働き盛りに起こるんです。二、三日静養すれば治るはずです。」ということで、ドクターストップが出た。
 その翌々日に静養中の彼のもとに台湾から速達が届いた。
何で台湾から?誰が?と思いながら受け取ると「社長」からだった。
「神が与えた試練でしょう。ゆっくり休んで、日頃読めない本でも読んでください。それが将来クライアントの期待に応える糧になる・・・」
 彼の人生で、こんなことは一度もなかったから驚いた。「社長」は出張先の台湾で、東京の人事担当者から話を聞き、すぐにこのような行動をしたのだ。
 病院まで出向き、「きみの分は他の人がカバーしているから・・・」と言う無神経さとは雲泥の差である。
 なお、「社長」とは、タナベ経営の故 田辺昇一氏のことである。
16年10月01日 | Category: profile
Posted by: mao
16年09月01日

小事こそ大事なり

●小事こそ大事なり
 扇谷正造という人がいた。「週刊朝日」の購買部数を飛躍的に伸ばした、名編集長として有名な故人である。売ることだけで有名なのではない。入社以来のエピソードに事欠かない。

 学卒の新米の頃、川端康成への執筆依頼の仕事が来た。新米泣かせの作家として有名だ。
 ニコリともせず、笑顔を見たことがかつてない。愛想がない。冗談が通じない相手だ。

 この人には「伊豆の踊り子」という作品がある。取材場所は伊豆の宿。そこで「伊豆の踊り子」を再読すると、杉木立に雨が斜めに降りかかる場面が出てくる。この場面を頭に入れて。扇谷さん、一計を案じて、いざ訪問である。

 風評は事実だった。何の愛想もない。そこで即製の挨拶。
 「じつは、先生をお訪ねするために、杉木立の中を抜けて参りましたが、ちょうど雨雲のせいで、驟雨にたたられました。そのときちょうど先生がお書きになった“伊豆の踊り子”の場面を思い出しまして・・」
 すると扇谷さんによると、先生の頬が薄い紅をさしたように、ほんのり赤くなったそうだ。
 もちろん本命の依頼も、成功したという。


 一方、別の人の話であるが、その人が、求人で各学校を回っていたが、何人かの先生とは生涯の付き合いにいたったそうである。
 たとえば学校に求人依頼の電話を入れる。すると相手の進路指導の先生は言う。「じゃあ、履歴書を送るから
選んでくださいよ」という調子で、いくつかの学校に電話をかけると、あっという間に定員を満たしてしまう。
 だから人不足時代でも、募集定員を割ったことはない。

 その秘訣は何かというと、例えばこんなこと。

 先生が今度は大阪に行くという。
 すると駅までお見送りしたその人が、「先生、これお邪魔になりますが・・」と言い、手渡しするのは、いつも崎陽軒の弁当に週刊誌数冊である。こういう気配りが先生にとっては嬉しかったに違いない。


 社会構造の変化が、より細かに管理社会化すると、こういう知恵を発揮する場所が、より少なくなるが、それでも本人次第ということはできよう。


●出迎え三歩、見送り七歩
 「出迎え三歩、見送り七歩」という言葉がある。料亭などで、しばしば経験する。
 お帰りになる客様を必ず、門の外やエレベーターの乗り場までお見送りする、そういう心配りのことだ。
 「出迎え三歩、見送り七歩」いい言葉でしょう。どうぞ実行してみて下さい。

16年09月01日 | Category: profile
Posted by: mao
 「世界の女たちの首を、真珠で締めてご覧に入れます」と、明治天皇に大見得を切った、ミキモトパールの開発者・御木本幸吉が、長年の苦労と努力で真円の真珠づくりに成功した。
 その幸吉は、不況の暗雲が覆う昭和初期のある日、神戸商業会議所(現商工会議所)の前庭で、約36貫(13キロ)の規格外れの真珠を焼き捨てている。
 規格外れとはいえ、現金化して不況乗り切りを考えていた業者への警告だったが、焼却処分と
いう思い切ったパフォーマンスには、関係者も一般市民も度肝を抜かれた。粗製品とはいえ二流品としてなら値の通る製品だった。「勿体ない!」と思う人も多かった。
 多くの現金を燃やすに等しいものだった。
 新聞記者たちはこぞって、写真入りで記事を目玉にした。
 この記事をきっかけにして、「やはりミキモトは一流品」という噂が広がり、“世界の女たちの首を、真珠で締めてご覧に入れます”という世界戦略は、さらにはずみをつけた。
 のちに幸吉は、親しい友人に打ち明けている。
 「あれは広告費と思えば、安いものだった」
 実は、幸吉は、現代でいう「パブリシティ」(広告ではないが、新聞記事になり広告効果となること)を考えていたのである。
 パブリシティの“パの字”もない頃、現代のパブリシティを考えていたからすごい。
16年08月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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