●らつ腕経営者とはどんな人物?
 らつ腕経営者とは的確な経営アクションを、タイムリーに行動を起こすことができる人のことである。つまり思考熟慮に時間をかけることもあれば、電光石火のごとく行動することもある。
 小林一三といえば関西商業界では、阪急グループや宝塚歌劇団の創設という活躍をはじめ、広く〈商業の神様〉として通る人だった。
 ある日、阪急電車の増収策として、幹部が社長(小林)に新しい企画を持ち込んだ。
「当社の阪急箕面線の沿線グラウンドを利用して、ひとつ全国中学校対抗の野球大会をやりませんか。乗客は増えるし、その経済効果はこれこれで・・」(当時の中学校=現在の高校)
 すると小林は、「それはええアイデアだなあ!」とは言うが、最終決裁はおろさない。
 何日がすると小林は、提案した幹部を呼び、こんな私案を加えた。
「あの企画はええなあ。しかし全国の中学校への広報活動のことなど考えると、新聞社の主催にした方が、いろいろと都合がええんと違うか・・」
 この提案が実り朝日新聞が喜んで引き受け、現在の“夏の選抜高校野球大会”へと発展してきている。現在、全国の高校学徒を沸かす夏の風物詩ともなった。“夏の選抜高校野球大会”の生みの親は、じつは小林一三だったのである。
 考え方の柔軟さ、発想の新鮮さ、将来への見通しの確かさ。驚くばかりである。

●知識のある馬鹿になるな
 小林一三(昭和32年歿)という人は、経営戦略でもマネジメントでも前例を踏襲することは皆無に近く、みずから前例を創り出したところに、非凡な才覚を感じさせる人だったらしい。
 たとえば前述のように昭和32年に亡くなる直前に、ある人が千葉県の船橋に、現在の健康ランドのような総合リクリエーション施設を計画した。A土地興行という会社だった。
 この会社の経営者が、所有地に温泉が出たものだから、「よし、船橋ヘルスセンターを作ろう」と思い立ち、経営の神様・小林一三に、「ぜひ一度、現地を見ていただきたご高見を伺いたい」というお願いをした。そして小林による現地視察の日は訪れた。
 ところが約束の時間になっても、小林の車は一向にやって来ない。関係者全員でヤキモキして待っていると、なんと小林はテクテク歩いてやって来るや、「もう現地は見てきた・・」といってヘルスセンター起業への賛意を表した、というのである。
 なんと小林は一般の交通機関に乗り、事前に入手していた計画地まで足を運び、東京からの客のアクセス時間や経路まで調べ、いわゆる踏査までして、検討していたというのだ。
 もともと小林は、事業家になる意思は毛頭なかった。希望の本命は作家だった。
 だから生活のため三井銀行に入ったが、勤めの傍ら執筆に努めるが、日が暮れると夜の紳士に早変わり。酒と女でよく遊んだ。
 小林の創造企画エネルギーの根源は、どうやら〈有識人間〉というより、〈遊識人間〉としての経験が、発想の土台を支えていたようだ。
 有識人間は確かに知識はある。しかしこのタイプは、こんな意見にも耳を傾けて欲しい。
「いろんな本を読み、名門の学校にも通い、いろんなことをよく憶えている人がいる。しかしただそれだけで終わる人物は、知識のある馬鹿に等しい」(フリデリック・ビンリングス)
 “らつ腕経営者”になる条件の一つは、どうやら“遊び”も入るようだ。問題は、どんな遊びが必要かだ。遊びとはいえ、“遊学”もある。ここが思案のしどころだ。

14年06月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●年々伸びる会社の前線幹部には、以下のように共通性がある。「()内は逆のダメ会社の場合」

1、会社の健全経営は、どうすべきかよく考えている。
(「考えるのは社長ですから」・・という、もたれ意識が強い)
2、トップの方針を、サッと言える。
(方針そのものが明文化されていない)
3、業界の競合の厳しさを、具体的に認識し語れる。
(競合ライバルはどこの会社?と訊いても答えられない)
4、厳しい競合で勝者の条件は?、という問いにも、果たすべき具体的な行動要件を認
識し自覚している。
(こんな質問でもしたら、目を白黒させて戸惑うだけ)
5、社会の分身でありながら、創意工夫の知恵も感じさせる。
ある所長は独自の行動管理表を使い人使いのうまさを発揮。
(管理=マネジメントには、まるで知識も関心もない)
6、幹部が現場の知恵を発揮。ある営業所長は、Aクラス得意先には、<絶対に月2(月
に2回)の訪問をする>と決めている。
(得意先全体を無造作に把握しているだけ。見落としも多い)
7、上位(良質)得意先と、下位(劣質)得意先を自覚している。
(そういう、クラス別管理の意味も手段も知らない)
8、部下一人一人の能力や特性を掌握している。
(自分の評価は気にするが、部下への評価はどんぶり勘定) 

14年05月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●山あり谷ありの体験が、考え方に深みと幅を育てる
 10年以上の間を置いて会った人の中に、数少ないが、大きな変化を感じさせる人がいる。
 〈この人は内面的に、驚くほど変貌し熟成した経営者に変わっておられる。以前はもっと気が短く、人の話をあまり聞かない人だったが、どうしてどうして今は、聞き上手で・・〉
 もちろん会社の経営も、見事な手綱さばきで安定成長を続けている。
 ところが何十年経っても、気性も言動も昔のままという人もいる。
 このタイプの人は、「全然お変わりなく、相変わらずお若いですねえ」というようなお世辞に滅法弱い。
 いやいや・・と受け流しつつも、単純に喜んでいる。
 語る言葉を聞いても、その中身に年輪にふさわしい重厚さがない。端的にいえば、「この人はここ10年、馬齢を重ねてきたんだろうか」という思いがわいてくる。
 経営は10年20年と携わるうち必ずといっていいほど苦境を経験するものだ。まさに、山あり谷あり、喜びも哀しみも経験する。人によっては奈落に落ちるような経験もする。
 こういう山あり谷ありという経験を積み、谷底から高い土手を這いあがるような経験を積み波瀾万丈かそれに近い起伏のある経験が、その人の容貌を変え、物の見方、考え方も変える。
 しかし、お若い・・などのお世辞に弱い人は、物の見方や考え方に重厚さが加わらない。
 若く見えるのもいいが、考え方が薄っぺらなままは困りものである。


●この自己改造が欠かせぬ経営トップ
 波瀾万丈の経験とは違い、順風満帆の帆船にひょいと乗り込み、船長の役を仰せつかった人間は、烈風を呼ぶ風雲を前にしても、荒れ狂う怒涛が船腹を叩こうとも、成すすべを知らず、いたずらに狭隘な自分の経験に頼ろうとして、船もろとも沈むこともある。
 一般に、こういう人の性格や考え方には、つぎのような傾向が見られる。
 1、性格が金属的である。その金属には弾力性がなく、柔軟性に欠ける。
 2、一度身につけた価値観に、いつでも捕らわれ、時流とかけ離れた自分の実像が見えない。
 3、 自己主張に捕らわれ、周囲の意見や考え方に、耳を傾けるのを嫌う。
 4、 自負が強いのはいいが、その考え方に時流の知恵がないのに気付かない。
 5、 自分の考え方に同調する部下を高く評価する。(偏向人事)
 6、 反対意見に耳を傾ける度量(肚)がない。
 7、 真面目なのはいいが、清濁合わせ飲む器量には程遠い。
 8、 有能な部下は個性も強いが、そういう有能な幹部に嫉妬する。
 9、 ずっと続いてきた自社の体制秩序を壊し、新生体制を構築する勇気がない。
 10、時代即応の新製品開発には、失敗したら?という不安が先行し実現できない。
                                                
 上記10項目中6項目以上が該当した上、3年以上も業績低迷する会社なら、経営トップは潔くこの指摘を受け入れ自己改造に挑むほうが、会社の将来を救うものと思います。
14年04月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●「自分がいなけりゃもっといい業績?」という謙虚な心
 課長も部長も、そして役員も非常に賢い人ほど、ときどき思うものらしい。
 「自分でなく別の者が部門長なら、担当部門の実績はもっといい成績かも?」
 こういう人のその後の生き方を見ていると、多くは創造的で建設的な生き方をしている。
 経営者ともなったらときどきは、こういう思いで自分を振り返る必要があるのではないか。
 社長ともなったら、なおさらのことである。
 「別な者が経営トップになったら、自分よりもっといい業績を出せるかも?」
 しかし現実には、「自分がトップでいるから、これだけの業績をあげている」と自負こそすれ、こんなに鋭敏に自分を客観的に見ることのできる人は、非常に少ない。
 東芝でひととき、Iという社長が経営の舵を握った時期がある。
 宿泊を要する出張があると、迎える出先の責任者は、I社長が泊まる部屋の電化製品を、オール東芝製に入れ替えしてまで迎えた。社長は、「おお、この旅館も東芝製か!」とご満悦だったという。物事の表面しか見えなかった社長だったようである。
 そして、電化製品でI社長のご機嫌をとるようなイエスマンが、高く評価もされたようだ。
 しかし、こんないい加減な経営が、業績に影を落とさないわけがない。
 やがて業績の低迷はもちろん、いろんな問題が表面化するや、やがて三顧之礼を以て迎えられた人が、当時IHIの社長だった土光敏夫さんである。
 この土光体制で、それまでの悪しき経営態勢を一掃し、業績は回復基調に乗ったのである。
 このように、大資本による会社なら、株式会社の論理で経営トップの首をすげかえもできるが、資本家イコール経営者という中小企業の場合は、ほとんど不可能である。
 「あのションベン垂れのバカ息子が、とうとう社長になったか」
 こんな陰口が社内に蔓延しても、首のすげかえは、ほとんど不可能なのだ。
●去年の社長がそのまま社長なら、社長の座を明け渡します
 「経営者のアタマは、清流のようにつねに時流をとらえ、新鮮な頭脳でなければならない。過去の価値観だけで生きようとすれば、必ず経営にきしみが生じる」
 いつもこう言い続けた、Kさんという創業社長のことを紹介します。
 このK社長は毎年1週間ほど、会社を留守にする。行く先は関係役員以外だれも知らない。
 なんとK社長は、経営コンサルタント、弁護士、エコノミストという数名の社外ブレーンと一緒に、瀬戸内海の小豆島の旅館に缶詰めになる。正しくは、自分で自分を缶詰めにする。
 そこでは毎日5時間ほど、「自社を囲む環境の変化(プラス&マイナス)」、「経営環境の変化に対して打つべき先手」、「幹部人事に対して打つべき先手」、「これからの社内合理化」というようなテーマを自分に課して、ミーティング式で勉強をするのである。
 酒類は一切ご法度、全日が禁酒なのである。
 旅館とはいえ、ここはじつは禅寺なのである。
 朝食は、一汁一菜にやっと多少のおかずを添えてもらった程度。
 ということでこのK社長は、「去年の自分が、そのまま今年の社長だったら、指摘してください。直ちに社長の座を開け渡します・・」というのが口癖だった。
 このK社長はもう故人だ。しかし会社は、二部上場企業として躍進してきた。
後継の社長(長男)も、小豆島の勉強は続けているそうである。
 
14年03月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●業績の長期低迷の原因は、〈会社の体質〉にある
3年以上も“売上高や粗利益が低迷している”という場合の9割以上の会社に、「原因は“体質”にある」と指摘できる。単に商品力がどうとか、仕入や在庫管理がどうとか、営業組織がどうとかいう、マネジメントの問題
ではない、ということである。
 では体質とは何か。“意思決定権者(代表取締役)や意思決定機関(役員会)の、物の見方・考え方が歪んでいる”ということである。会社の“意思決定基盤”が問題なのだ。
 もっと簡潔にいえば、「社長とその取り巻き連に問題がある」ということである。
 さらに結論に近い言い方をすれば、社長自身の精神革命と同時に、取り巻きの連中、要するに取締役を入れ替えれば、業績は回復する可能性が高いということである。
 これが規模の大きな上場企業であれば、かつての東芝のように社長交代で済むが、オーナー経営の中小中堅の会社では、オーナーである社長に「辞めろ!」とは言えない。
 そこで、社長の意思決定に大きな影響を与えている、役員会メンバーを入れ替えろ、ということである。言い換えれば、“経営の基幹頭脳を入れ替えろ”ということである。
 一般に、経営体質が原因で業績が長く低迷する会社の特性は、つぎのとおり。
1、オーナー経営、すなわち同族経営である。
2、オーナーの意思に沿わない意見は、言えない雰囲気の会社。
3、特殊な技術や専門知識で主力製品が成り立っている。
4、当然のように、そういう分野の専門分野の人は重要視される。
 逆に、専門分野から離れた人は、あまり重要視されない。
5、経営者は一般に、純粋培養型の生真面目タイプである。

●経営意思決定に異質の血を注入せよ
 日産自動車にカルロス社長が誕生する前は、会社は、「技術の日産!」が売りだった。当時の日産では技術部門が優位で、デザインとか営業などは傍流。本流は技術だった。
 ところがカルロス社長は、こういう歪(いびつ)な考え方を改め、デザインや営業も盛り上げた。
 技術以外は格下で傍流という社内の認識の変革を求め、日陰の組織にも日を当てたのだ。
 もちろんこうした組織改革が、日産の業績回復につながった。
 組織体質が原因で業績回復の知恵が出ない会社には、昔の日産的な、取り上げるべき意見を排除する傾向が見られる。
 社長が専門畑だと、専門部門を重視するという調子なのだ。
 すると、一体どんな結果になるのか。
 社長と同じ方向に向うという者ばかりが経営意思決定に加わるから、いつまでたっても“発送の転換”には至らない。「・・は変えるべきではないか?」などと、至極真っ当な意見が出たとしても、「現在の秩序を乱す」という見方に打ち消されてしまうのである。
 だから3年以上も業績が低迷するとき社長は、「もし自分がいなくなったら、業績は回復するのではないか?」と自問する大胆さも必要である。
 ミサワホームの三沢千代治さんが、よく語っていたものだ。
「ある漁師が市場で水揚げするイワシは、じつに元気がいい。秘訣を尋くと水槽にナマズ(異質)を入れておくという。ナマズの存在に緊張して、イワシが漁港まで元気でいるそうな」
 経営意思の決定でも純血同士の議論では、野生パワーが死に絶える。たまには、異質の血を注入しないと、単なる知識の枠に収まり、不可欠にして知的で野生的な智慧は生まれない。 
14年02月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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