生活環境の変化は新しい商機を生み出す。
 そこで企業の大小や業種業態を問わず、まだまだ進むシングル社会を注視し、自社の商機にならないか?と考えることは賢い着眼ではなかろうか。
 ある高齢者が自殺した。遺書があった。簡単な書き置きだった。
 「きょうも一日、だれとも話ができなかった・・」
 いま、男性の入院患者を病院に見舞う。女性の病室は患者同士の会話が活発だが、男性患者は仕切りのカーテンのままが多い。
 病室の雰因気が明るい女性の病室。互いが孤立したままの男性の病室は憂鬱でもある。多くは、こういう違いが目立つ。
 こういう男性たちが高齢になるや、孤立男性が全国に増え、先の自殺男性と似たような、話し相手なき男性孤立社会も訪れそうだ。
 そこで商機としては、たとえば、「心の交流倶楽部」とか、「ハート交流交歓会」というソーシャル組織でも立ち上げ、組織運営を子会社の事業に位置付けるなども考えられる。
 いま60歳程度の人の多くは、インターネットも使えるから、ネットをフルに活用することも考えられる。
 「快食・快飲・快話の月例交流会」などもいいではないか。
 “毎週〇曜日は、快食・快飲・快話の交流会”と決め、男女会員一同に会する。談論風発の環境を整えてあげる。それをビジネスにするなど、どうだろうか。
 独りで食べ、独りで飲む。味気ないことはなはだしい。
 要するに、生活に彩りをつける、というビジネス。
 いろいろ考えればアイディアは無限。
 生活環境の変化は、ニュービジネスを生み出すチャンスなのだ。

14年01月01日 | Category: profile
Posted by: mao
 生活環境の変化が、企業に商機をもたらし、同時に企業に危機ももたらす。変化の海を巧みに泳ぎ、我が社の利益に結びつける人を“チェンジメーカー”と呼ぶ。変化を先取りする人である。
 みずから変化の渦を巻き起こす人とも解釈できる。
 反対に、変化に鈍感というか、変化を変化として自覚できない人を“チェンジテーカー”という。変化の後追い人である。
 いま外歩きで気付くことは、どんどん「ミニ(小さな)スーパー」が増えている。
 「まいばすけっと」はイオン系、「食品館」はイトーヨーカドー系である。これは全国的にどんどん単身者が増え、しかもそのまま高齢化し、自宅近隣で買い物をするシングルショッパーが増えたからである。この傾向は、大きな社会現象とも言える変化である。
 いま子供が巣立ち夫婦二人暮らしの人は、間違いなく単身暮らしの予備軍である。
 単身生活者問題を、他人ごとと思っている人は、とんでもない認識不足、早く自覚するといい。
 ところが、近隣で買い物をしたいができない。「まいばすけっと」もなければ「食品館」もない。つまり都会と縁がない、過疎地暮らしの単身者や高齢者たちがいる。
 そこでいま何が起きているか。
 “7イレブン”や“ローソン”などのコンビニが、車による移動販売を始めたのである。過疎地に商機が訪れたのだ。
 「過疎地じゃ商売にならない」、のは過去のこと、十分に採算が取れるというのだ。移動販売といっても毎日来るわけではないから、「まとめて買っておこう」ということで、顧客単価が高い客が多いというのだ。
13年12月01日 | Category: profile
Posted by: mao
 「コンサルティングの過去を思い出すと、絶対に忘れられないことがある。」という人がいた。
 東京日本橋の西川産業(当時)の経営トップの豊生才次郎さんは人材発掘の達人で、課長以上との会話を大切にしていたようだった。
 そして、相手を観る着眼は、“仕事に知恵を使っているか、創意工夫をしているか”という点だった。“真面目に忠実に、仕事をしているか”というものではなかった。
 あるコンサルタントが一人のバイヤー(課長)のことを、豊生さんから聞いた。
 「きみが、“臨機応変の知恵が働くタイプ”と指摘した〇課長は、じつは仕入れ担当のバイヤーなんだ。
 当社はボランタリーチェーンだから、売り込み業者が大勢見えます。
 すると〇課長は、見本と仕切り価格の札をつけたサンプルを、無造作に脇に置いたまま次の業者と会います。同業者にもサンプルは見えます。すると業者は、この価格以上では提示できなくなる・・。一見無造作に見えるこのサンプル作戦、じつはこの課長の知恵なんだ。」
 最近は人材イコール稼働要員と解釈できるほど、人材という言い方が安易に言われている。
 しかし本来の人材とは、才知ある人、特に役に立つ人、才人、という意味である。
 従業員全体を指して、「人材」という言葉を使う人は、真剣に人材を考えている人とは思えない。組織を人材で武装する意識が本当に強い人は、豊生さんのような努力をするもの。
 ましてや、“人材とは大学を出た者”とか、“高学歴者”という意識の強い人は、たいした経営者ではない、と言ったら怒られるだろうか。
 作家の浅田次郎と宮部みゆき両者の対談を読んだ。
 「作家の世界では貴重な、数少ない高卒ですからね、二人とも・・」
 警察小説でヒットメーカーの佐々木譲さんも高卒で、本田技研の現場作業もやった人だ。
 人材とは学歴ではない。あえて言うなら学力が関係する。学歴は学力ではない。
13年11月01日 | Category: profile
Posted by: mao
 広島の市街地が戦争で、いかに無残で悲劇な戦災を被ったかは、いまさらここで語る必要もないと思う。
 しかし早くも広島では、終戦直後の昭和20(1945)年9月には、〈市街を東西に貫く幅百メートルの、
防災道路を兼ねた美観的な緑地帯を作る・・〉という方針が固まった。
 一方、市民の反対意見は根強く、「なぜ幅が百メートルも必要なのか?」とか、「市は一体、何を考えているんだ」、「幅百メートルとは、土地利用のムダだ」という意見が大声で広まった。
 しかし、「市民の反対がそんなに大きいなら・・」といい、この計画が縮小されたか。全然。粛粛として実行に及んだ。
 ところが、昭和30年の広島市長選挙のとき、W氏が、こんな公約を掲げて当選した。百メートル道路の実現に一大障害が出現した。
 「なぜこんな膨大な道路や施設が必要なのか。私が市長になれば、こんなムダな計画は中止し、鉄筋の文化アパートを建て・・」と、わかりやすい目先の利益を叫び、多くの民の共感を呼んだ。
 しかし広島には、敢然として百メートル道路を作るという、先見の明の為政者や賢者がいた。そして、目先の愚見に固執した意見をはねのけた。現在この場が、世界に向けて平和をアピールする、発信基地になっていることは、とっくに皆様ご承知のとおり。
 長期的な視野で、国家百年の大計の推進に政治生命をかける政治家と、人気取りだけの政治家の分別(ぶんべつ)を間違ってはなるまい。
 何年か前にも、人気取り上手な総理がいたが、いま彼が残した足跡を検証すると、「言葉で語るものは何もない」のが現実だ。
13年10月01日 | Category: profile
Posted by: mao
 マキャヴリ(イタリア・Niccolo Mchiavelli=1527歿)という人は、日本では、「君主論」という著書で有名である。
 首相を務めた人の多くは、読んだのではなかろうか。
 要するに国家の元首や、大組織のトップ向けの本だ。
 さてこの本を読むと、こんな意味の一節が胸に刺さる。
 「大衆の求める要求とは、大衆が欲するからといって、そのまま応えようと考える君主は、絶対にリーダーに向くどころか、国家百年の大計を誤るものである」
 この真意は、つぎのようになる。
 「大衆の多くはそう長い尺度で、政治的な物事を考えたりしない。いわば近視眼的だ。ところが君主や政治家は、国家百年の大計で物事を決断しなければならないこともある。(大衆迎合的な政治=ポピュリズム)
 ときには、大衆が反対しても果敢に決断実行しなければならないこともある。大衆の支持を得たいばかりに、大衆に迎合する、人気取りの君主や政治家は、いずれ国家を危機にさらす・・」
 あるサイトに目が行った。
 なんと中央政治家のO氏を指して、「この人は現代のポピュリズムだ!」と、別の政治家が指摘しているではないか。
 ことあるごとに、「国民の皆様が・・」と連呼する姿勢は、なるほど大衆迎合の姿勢と映るようではあります。
 しかし、大衆迎合の政治家か?と言われた人たちは、この人だけではない。「私がこの椅子に座っている限り、増税はありません」と言い、大衆の人気取りに執心し、いま手を打たねば国家百年の過ちを犯す、とわかっていながら、「ばらまき政治」をやった総理などは、典型的な大衆迎合政治家だった気がします。
 我々も是非、企業百年の大計を考えて、今できる対策を打ちたいと思います。
13年09月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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