昔、中国の杭州(現在の浙江省)に「道林」という名僧がいたそうだ。よく松の木の上で座禅を組む僧としても有名で、別名「鳥窠禅師」とも呼ばれるほどの有名人。 
ある日詩人の「白楽天」が、人としての道を尋ねた。返事はこうだ。
「諸悪莫作 衆善奉行」
「悪いことはしないこと。善いと思ったことは果敢に実行すること」と答えたという。白楽天はこの言葉を聞いた途端、思ったそうだ。
「な~んだ、そんなことなら三つ四つの子供だって知っている・・」
こんな思いが白楽天を襲ったのを知ってか、鳥窠禅師はさらに言葉を継いだ。
「この程度のことは、おまえも思っているだろうが、三つ子でさえ知っている。だが白楽天よ分かっていても、この当り前のことが実行できないが為に、人生を棒に振る者が多いことは、きみも知っているではないか。言うは易しだ。しかし実行するとなると、八十の年輪を刻んだ人生の達人でさえも至難のことなのじゃ」
じつはこの当時、白楽天は杭州の知事だった。当時も役人の汚職が少なくなかったことから、この言葉は身にしみたという。
この鳥窠禅師の言葉は、そっくりそのまま現代にも当てはまるみたいだ。
知っていることと、実行できることは、大違い!
19年01月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●身を以て上司が教え育ててこそ・・
今もあるらしいが昔から「地獄の訓練」という売り物があった。
これに参加した福岡のある会社では、こんな結果である。
ある係長が社長室に、「山本、入ります」と、大きな声を出して入っていく。すると別の同僚が、「あのアホが、教えられたままやるんだから、どうしようもないよ」と突き放すように言った。言われた係長は、確かに真面目一辺倒なタイプだった。
いまこの会社では、「地獄の訓練」と言っても、「一体何の話だい」という調子であるらしい。
一時期、人材育成という熱病に侵された残滓として受け止められているみたいである。
ところで「教育」とは、上司が身を以て教え指導すること。外部に人の育成を委託するのは「訓練」と言う。この教育と訓練の定義もはっきりせず、「訓練を人材育成」と解釈するようでは人は人材を育てられない。
10年も前に、「地獄の訓練」に傾倒した会社で、「あれはよかった。あの訓練に派遣したお陰で本物の人材が育った。あの課長もこの部長も・・」と思っている会社はあるだろうか。
そういった点では、コクヨ(文具メーカー)の黒田元会長が言っていらした。
「経営者の方で、教育と訓練を混同しておられる人がいらっしゃる。上司や先輩が身を以て教え育ててこそ教育と言えるものを、外部に訓練を依存しては、人材育成の外注であり本当の人育ては出来ません・・」
18年12月01日 | Category: profile
Posted by: mao
第26代の総理大臣の田中義一。
この田中首相の人たらし術は有名だ。独特の凄腕だったらしい。
ある日、田中首相一行が名古屋駅に降りた。首相として飛ぶ鳥を落とす勢いのある頃、駅頭には出迎えの列ができた。
まず地元の名士たちがずらりと並んだ。
一度会ったらたちまちにして相手の名前を覚えてしまう特技がモノを言うのだ。
「やあ、杉山くん。元気にしていたかね」
「木下くん、きみの健筆には、いつも勉強させてもらっとるぞ」という調子で進んでいくのである。
このようにして、相手の名前を口にしながら進むのだが、相手はそれぞれ自分の名前を口にする首相に感じ入っている。
ところが田中は、ある若い人物を前にするや、こう言った。
「ところできみのお父上は、元気にしておられるか」
「お陰様で元気にしています」
こう言って恐縮して答えたそうだ。
あとで側近が尋ねたそうだ。
「総理は、彼の父上ともご親交がおありですか」
「いや全然知らん。彼の名前を忘れたもんで」
これには総理は自分だけを覚えていなかった・・という差別感をなくするための、咄嗟の頓知だったのだ。
ところで我々も、相手の名前を忘れることはある。
そんなとき、田中首相はずばり尋ねたそうだ。
「ところで君の名前は?」
相手は変な感じで答えたという。
「古田でございますが・・」すると首相は言ったそうだ。
「古田くんは分かっているよ。フルネームを聞いているんだ」
18年11月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●分析のための分析でいいのか
以前、「カウンターを乗り越えよう」を合い言葉に、飛躍しているA社を紹介した。
その反面、営業幹部会議と言いながら「分析のための分析を繰り返す」と、言わんばかりのB社を紹介しよう。会議の名称は、「営業戦略会議・・」とモノモノしいのだが。
まず会議は、参加者に事前に資料を提出させることから始まる。A4用紙でざっと10枚以上が求められる。本社の担当者の仕事は、その資料の督促から会議は始まっている。
さて、恒例の会議が始まると、まずページ合わせから始まる。これが30分はかかる。
さていよいよ発表だ。各営業所の発表が続くが、字句のミスがあると注意を受けるので皆も用心している。特に前年より実績が下回っていると、「なぜ下回ったのか」という理由を述べねばならない。これは当然と言えば当然だが。問題は指摘される点が“取るに足らない点”が多いのだ。たとえば、「担当者が変わったものですから・・」という理由を述べると、「新しい担当者の名前は?」とか、「その程度は前もって知ることはできなかったのか?」というように枝葉末節に類することばかりが社長から発せられるのである。
「きみ自身に、早く知ろうという意識がなかったのではないのか」と指摘されることもある。
こんな調子で、貴重な一日は浪費する時間とともに過ぎ去っていくのである。
「自分たちは、計数を駆使して科学的な営業戦略会議をやっている」という自己満足型だ。

●新しい得意先を掘り起こせ
要するに会議が死んでいるのだ。死んだ会議に成果は表れない。
なぜこうも会議の本質を無視した遊びを繰り返すのか。考えてみると思い当たる。
このB社は、もともとベルトの繋ぎ金具で成長してきたのである。この社長の先代が、骨身を削るようにして繋ぎ金具を開発したのである。時代は長いベルトが、どこの工場でも見られたものである。長いベルトがあれば、当然のように繋がねばならない。繋ぐためには金具が欠かせない。その金具を開発し、特許防衛に成功したのである。
というワケで会社はベルトの金具さえ扱っておれば、売上は順調に伸びたのである。
ところがこの姿勢で幾世紀かを経ると、得意先を開拓する気概も失い、ただ漫然と下請けに甘んじて、「カウンターを乗り越えよう」という基本姿勢を無くしてしまったのである。
また時を経て、革新的な金具も開発され、厳しい競争の世界を経験することになる。
そう言えば社長から、「開拓」という言葉は一度も聞いた記憶がない。
いかなる業種や業態においても、開拓をしないで既存の客だけを相手にしていれば、必ず得意先は減少するものだ。倒産、合併、吸収・・などのために減るものだ。
こうやって、外には時代に合った新しい金具の出現に因る競争の激化。
内には、開拓を忘れた気迫に欠けた惰性集団化した組織の沈滞。
こうやって組織は次第に、負け犬根性に堕落していくのだった。
サントリーという会社は、ウイスキーが赤字の頃は、「あえて追いつき追い越せという目標を立てて頑張る」という会社である。そういう精神が欲しかったB社である。
18年10月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●「カウンターを乗り越えよう」が合い言葉
業種も業態もほとんど変わらない、A、B両社の業績を比較してみよう。
A社には、実は「カウンターを乗り越えよう」という合い言葉がある。ここで言うカウンターとは、得意先との間に横たわる仕切りみたいなもので、このカウンターを乗り越えてこそ、「新しい需要が隠れているぞ・・」という意味である。
例を紹介しよう。ある係長が息子と風呂に入っていた。息子が風呂桶を湯に沈めて遊んでいた。風呂桶を逆さにして湯に沈めると、桶内の空気が泡となり、息子はそれをオナラに見立てて、「わーい、お父さんのオナラだ!」と言ってはしゃいでいる。
この経験から係長(父親)は、ハタと思い出した。時に本四国架橋の三橋の中でも、最初の瀬戸大橋工事が目前に迫っていた時期である。工事では基礎となる橋脚の土台作りが重要だ。
得意先の旅客鉄道会社に行くたびに、橋脚工事の難しさが話題に上がらぬ日はない。係長はこの橋脚工事に伴う海底の岩盤整備が難工事なのを、知り尽くしている。発破をかけてもヒビが入る程度でびくとも動きゃしない。仕方がないから潜水夫の手で動かすのだが、口では簡単でも何しろ海底での作業だ。この工事だけで何日も何十日もかかるのだった。
係長はこの息子の湯遊びから、とんでもないヒントが閃いた。これがうまく行けば、海底の岩盤整備は難工事から、超簡単工事に変わるはずである。会社でも社長にまでこの話を上げて検討した結果、組織を上げて超スピードで実験することになった。

●会社の遺伝子として伝わる開拓魂
実際に近付けるために、東京湾でも実験した。その結果は上々である。
名称は、何とするか。「よし、水中クレーンにしよう」ということで話はまとまった。
途中経過を省くが、簡単に言えば耐久性のある風船となる袋を、潜水夫がもぐって岩盤に取りつける。そして船上のコンプレッサーから、空気を送り込むのである。するとやがて空気で膨らんで浮力がつく。すると、ちょっと手を加えるだけで岩盤は横に移動できるのだ。
これを鉄道会社の人の前で披露するや、みんなもびっくりして賛同しこの「水中クレーン」は目出度く採用と決まったのである。もちろん実際の工事でも威力を発揮したことは勿論だ。
こうしたA社の「カウンターを乗り越えよう」という精神は現在も受け継がれ、旅客鉄道会社からの厚い信頼は抜群なものである。
だから鉄道会社に何か困ったことが起きると、「じゃあ、A社に相談してみてはどうか」という反応が、決まり文句になっているのだ。
「じゃあ、A社に相談してみてはどうか」という得意先の反応こそ、じつはA社が狙っていたもので、言い換えれば、得意先の不自由こそA社の利益となる。
一般には、決まった得意先ができると、カウンターを乗り越えてまで仕事をすることはなく、ただ無難に注文をこなすのが精一杯、というのが当り前になっている。
いま紹介したのは鉄道会社の例だが、あの会社もこの会社も、A社には舌を巻いている。
世間ではよく、「コンサルティング営業」と言われるが、A社の「カウンターを乗り越えよう」精神こそ、まさにこの言葉を具象化したものだ。
同業他社に対してA社の成長は、ここ20年間で10倍強に伸ばし四百億円単位である。
あの係長も、当然ながら実績にふさわしいポストの役員になり、「カウンターを乗り越えよう」の精神を若い者に注入している。もはや開拓魂はA社の遺伝子と化しているのだ。
18年09月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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