14年11月01日
その人は一体、どんな人物なのか
●極悪非道な市九郎め!
「あの人は、こういう人だ」などと、人はよく周囲の人を評価する。
評価に際しては、その人の一面とか二面だけを見て判断する人も少なくない。たとえば、「どうしてこんなクズみたいな人間が議員なんだ!」と思われる人間は、国会にも県会や市会にも紛れ込んでいる。しかし考えてみると、その人に投票した有権者(支持者)がいるはずだ。
そういう人は一体、相手の何を聞き何を見て、人物を判断しているのだろうか。
さて、大分県の中津に耶馬溪(やばけい)という観光名所がある。紅葉の時期は客が殺到する。しかしここには、歴史的な名所がある。「青の洞門」というトンネルだ。
このトンネルに題材をとった感動的な小説が、菊池寛が書いた「恩讐の彼方に」である。
簡単に粗筋を紹介すると、小説の主人公は市九郎という男。浅草田原町の中川三郎兵衛という旗本の家に奉公していたが、なんと旗本の彼女とできちゃった。それがあるじの三郎兵衛に知られ手討ちになりかけたが、反撃に出るや逆にあるじを殺してしまった。
仕方がない市九郎は、この女と連れ立ち出奔するや、やがて二人は中山道屈指の難所と言われる鳥居峠に茶屋を出した。仲のいい夫婦茶屋・・と見えたが、じつは相変わらず旅人を襲う強盗殺人が市九郎の陰の本業。ワルの性根は直らないらしい。
しかし瞬く間に時は流れ、ところは大分県中津の難所、耶馬溪の崖ツ淵。
土地の人も人馬も、崖ツ淵を這うようにして作られた細い道を越えて、向こう側に行くしか方法はない。しかし長い間には、数知れない人や馬が、崖から転落し犠牲になった。まさに命がけの難所だが、それでもこの崖を這って移動するしか道はない。
●悪人なのか、仏のような積善家なのか
ちょうどその頃、みすぼらしい坊主が一人この地を訪れ、「隧道(トンネル)さえあれば人も馬も死なずに済む」といって、鑿と金槌で崖の下の岩山を掘り始めた。
村落の人々は気の遠くなるような夢物語に、気違い坊主とか世迷い乞食と呼び、嘲笑い馬鹿にしていた。しかし、半年がたち一年が過ぎ、三年を経ても鑿と金槌の音は一日たりとも休むことがない。そして一人が茶を運ぶかと思うと、一人が掘削作業の手伝いを始めるようになった。こうやって傍観者たちも共同作業に加わるようになり、掘削は急ピッチで進んだ。とはいえ固い岩山。1746年になり、なんと21年の歳月を費やしてついに隧道は貫通した。
さて単身掘削を始めた坊さんは「禅海」と称していたが、21年間の日陰での重労働に、堀り始め当時の面影もなく衰え萎えていた。いつも側にいた実之助という若者は、苦労に苦労を重ねる労働だっただけに、この痩せ萎えた坊さんと手を取り合って貫通を喜び合った。
じつはこの実之助という若者は、市九郎に殺された三郎兵衛の息子で、父の仇である市九郎を捜し求めて故郷を後にしていたのだ。そしてとうとう、「禅海」と名乗り隧道を掘るこの男こそ、いくら憎んでも憎み足りない市九郎と知ったのだった。
しかしあまりにも、「危険な崖を這う人々を助けたい」と願う悲願と熱意の強さに、昔の市九郎を忘れ去り、仏様のような禅海和尚のパートナーになったのである。
禅海和尚は隧道が貫通するや実之助の前に、「俺が間違いなく市九郎だ、さあこの場で討て」と全身を投げ出したが実之助は「もはや討ち果たしました。市九郎はもはやこの世にはおりませぬ」と言い、隧道貫通の喜びを二人して手を取り合って喜んだ、というのだ。
さあ、ここまで読了されたあなたは、21年の歳月を隧道堀りに捧げ尽くした市九郎を、いや禅海を、非道な悪人と言い切れますか。さあどうでしょう。
菊池寛は、こういう難題を我々に提供し、人間の読み方を問うたのであろう。
善良ぶった悪人もあれば、刑務所を出た人格者もいる、人の読み方を軽くみてはいけない、という話。
「あの人は、こういう人だ」などと、人はよく周囲の人を評価する。
評価に際しては、その人の一面とか二面だけを見て判断する人も少なくない。たとえば、「どうしてこんなクズみたいな人間が議員なんだ!」と思われる人間は、国会にも県会や市会にも紛れ込んでいる。しかし考えてみると、その人に投票した有権者(支持者)がいるはずだ。
そういう人は一体、相手の何を聞き何を見て、人物を判断しているのだろうか。
さて、大分県の中津に耶馬溪(やばけい)という観光名所がある。紅葉の時期は客が殺到する。しかしここには、歴史的な名所がある。「青の洞門」というトンネルだ。
このトンネルに題材をとった感動的な小説が、菊池寛が書いた「恩讐の彼方に」である。
簡単に粗筋を紹介すると、小説の主人公は市九郎という男。浅草田原町の中川三郎兵衛という旗本の家に奉公していたが、なんと旗本の彼女とできちゃった。それがあるじの三郎兵衛に知られ手討ちになりかけたが、反撃に出るや逆にあるじを殺してしまった。
仕方がない市九郎は、この女と連れ立ち出奔するや、やがて二人は中山道屈指の難所と言われる鳥居峠に茶屋を出した。仲のいい夫婦茶屋・・と見えたが、じつは相変わらず旅人を襲う強盗殺人が市九郎の陰の本業。ワルの性根は直らないらしい。
しかし瞬く間に時は流れ、ところは大分県中津の難所、耶馬溪の崖ツ淵。
土地の人も人馬も、崖ツ淵を這うようにして作られた細い道を越えて、向こう側に行くしか方法はない。しかし長い間には、数知れない人や馬が、崖から転落し犠牲になった。まさに命がけの難所だが、それでもこの崖を這って移動するしか道はない。
●悪人なのか、仏のような積善家なのか
ちょうどその頃、みすぼらしい坊主が一人この地を訪れ、「隧道(トンネル)さえあれば人も馬も死なずに済む」といって、鑿と金槌で崖の下の岩山を掘り始めた。
村落の人々は気の遠くなるような夢物語に、気違い坊主とか世迷い乞食と呼び、嘲笑い馬鹿にしていた。しかし、半年がたち一年が過ぎ、三年を経ても鑿と金槌の音は一日たりとも休むことがない。そして一人が茶を運ぶかと思うと、一人が掘削作業の手伝いを始めるようになった。こうやって傍観者たちも共同作業に加わるようになり、掘削は急ピッチで進んだ。とはいえ固い岩山。1746年になり、なんと21年の歳月を費やしてついに隧道は貫通した。
さて単身掘削を始めた坊さんは「禅海」と称していたが、21年間の日陰での重労働に、堀り始め当時の面影もなく衰え萎えていた。いつも側にいた実之助という若者は、苦労に苦労を重ねる労働だっただけに、この痩せ萎えた坊さんと手を取り合って貫通を喜び合った。
じつはこの実之助という若者は、市九郎に殺された三郎兵衛の息子で、父の仇である市九郎を捜し求めて故郷を後にしていたのだ。そしてとうとう、「禅海」と名乗り隧道を掘るこの男こそ、いくら憎んでも憎み足りない市九郎と知ったのだった。
しかしあまりにも、「危険な崖を這う人々を助けたい」と願う悲願と熱意の強さに、昔の市九郎を忘れ去り、仏様のような禅海和尚のパートナーになったのである。
禅海和尚は隧道が貫通するや実之助の前に、「俺が間違いなく市九郎だ、さあこの場で討て」と全身を投げ出したが実之助は「もはや討ち果たしました。市九郎はもはやこの世にはおりませぬ」と言い、隧道貫通の喜びを二人して手を取り合って喜んだ、というのだ。
さあ、ここまで読了されたあなたは、21年の歳月を隧道堀りに捧げ尽くした市九郎を、いや禅海を、非道な悪人と言い切れますか。さあどうでしょう。
菊池寛は、こういう難題を我々に提供し、人間の読み方を問うたのであろう。
善良ぶった悪人もあれば、刑務所を出た人格者もいる、人の読み方を軽くみてはいけない、という話。
14年10月01日
仮説持たぬ経営者に、未来はひらけない
●仮説の実行は、障害との闘いだ
「すべての新発見や新事象というものは、仮説から始まっている」といってもいい。
仮説とは、「こういう道筋をたどれば、こういう結果に至ると思う」という未見の結果に、希望や期待を寄せることである。
象徴的な現実例としては、ips細胞(人工多能性細胞)でノーベル賞を受賞した山中伸哉教授の場合がある。山中さんは、最初こんな仮説を立てた。
「人間のからだの全ての細胞は、心臓や肝臓とか、あるいは膵臓というように、さまざまなips細胞になる能力を秘めているのではないか?きっとそうではあるまいか?」
ところがこの仮説を立証するため、いろんな実験をやるが、ことごとくうまくいかない。仮説を裏付ける結果が表れない。仮説・実験・失敗。再び新仮説。またもいい結果が出ない。
その山中さんは語る。「考えることの多くが、いろんな仮説の集まりでした」
失敗の連続で研究を放り出したいこともあったという。そんな経緯を経ての山中式発想法。
「いいときは用心を 悪いときは希望を。やって、後悔してもいい。失敗は恥ずかしくない」
☆ ☆ ☆
経営の現場にも、仮説はそのまま当てはまる。
仮説とは前例がないから、相応の研究や深考力は欠かせない。
●勇気とねばりが欠かせぬ“仮説”の実行
「社長、今後の戦略・戦術に関して、何か仮説をお持ちですか?」
こう尋ねられて、「・・・」と返事が引っ掛かるようでは、やはり問題。
仮説は姿が見えないから、多くの場合周囲の積極的支援は得られない。それどころか、馬鹿なことを考えとる・・・と非難さえ受ける。たとえば、物流革命をもたらした“宅急便”を開発した、ヤマト運輸の当時の社長、小倉昌男さん(故人)の場合、小倉さんの宅配への業態転換という仮説に対して、社内ですら協力どころか総反対だったと、小倉さんが書き残している。
そういう意味で“仮説の実行”は、勇気とねばり、反骨精神と長期の見通しが欠かせない。
「すべての新発見や新事象というものは、仮説から始まっている」といってもいい。
仮説とは、「こういう道筋をたどれば、こういう結果に至ると思う」という未見の結果に、希望や期待を寄せることである。
象徴的な現実例としては、ips細胞(人工多能性細胞)でノーベル賞を受賞した山中伸哉教授の場合がある。山中さんは、最初こんな仮説を立てた。
「人間のからだの全ての細胞は、心臓や肝臓とか、あるいは膵臓というように、さまざまなips細胞になる能力を秘めているのではないか?きっとそうではあるまいか?」
ところがこの仮説を立証するため、いろんな実験をやるが、ことごとくうまくいかない。仮説を裏付ける結果が表れない。仮説・実験・失敗。再び新仮説。またもいい結果が出ない。
その山中さんは語る。「考えることの多くが、いろんな仮説の集まりでした」
失敗の連続で研究を放り出したいこともあったという。そんな経緯を経ての山中式発想法。
「いいときは用心を 悪いときは希望を。やって、後悔してもいい。失敗は恥ずかしくない」
☆ ☆ ☆
経営の現場にも、仮説はそのまま当てはまる。
仮説とは前例がないから、相応の研究や深考力は欠かせない。
●勇気とねばりが欠かせぬ“仮説”の実行
「社長、今後の戦略・戦術に関して、何か仮説をお持ちですか?」
こう尋ねられて、「・・・」と返事が引っ掛かるようでは、やはり問題。
仮説は姿が見えないから、多くの場合周囲の積極的支援は得られない。それどころか、馬鹿なことを考えとる・・・と非難さえ受ける。たとえば、物流革命をもたらした“宅急便”を開発した、ヤマト運輸の当時の社長、小倉昌男さん(故人)の場合、小倉さんの宅配への業態転換という仮説に対して、社内ですら協力どころか総反対だったと、小倉さんが書き残している。
そういう意味で“仮説の実行”は、勇気とねばり、反骨精神と長期の見通しが欠かせない。
14年09月01日
社長が作業する会社は必ず傾く
●社長が作業をやる会社に発展なし
○○製薬という会社がある。創業者が研究開発した植物由来の強壮剤は、旧厚生省から薬品としても認められ、リピーターも多く、安定した人気に定評がある。
しかし、経営環境は、三代目の若い経営者の時代を迎え、ここ5年ほどじりじりと収益力は低下する一方。いくら定評のある強壮剤とはいえ“新戦略は何もなし”では、革新的なマーケティング戦略で市場を攻める同業他社に市場を浸食されて当たり前。じり貧そのもである。
では、肝心の社長は何をやっているのか。
なんと驚くなかれ自らの手で、自社製品のネット宣伝をしているのだ。
言い方をかえれば、宣伝オペレーター(一作業員)やセールスの役を演じているのだ。
“社長の仕事”というのは、他の社員では手出しのできない、社長ならではの問題解決を計ることが、経営の定石であり、組織発展の大原則である。
ではその“社長の仕事”とは何なのか。“対外戦略の構築”であり、その“戦略効果”により他社による市場浸食を食い止め、さらには売上の上乗せで成長軌道に乗せることである。
戦略とは、成功すれば効果は大きいが、しかし、①効果を得るまで時間がかかり、②組織的な係わり方が求められ、③かつ持続的な活動も求められる・・というものである。
社長が“作業”をやる会社では、発展する方が不思議で、じり貧になって当然である。
●頭の向きが変わらねば、からだの向きは変わらない
経営体を蛇に例え、「頭の向きが変わらねば、からだの向きは変わらない」と言われる。
経営トップが一作業員になったら、その企業の成長はストップするのは当然。
以前北九州で、急成長した住宅会社があった。しかし、ほんの一時の光芒で終わった。
一時の光芒で終わった主な原因は、自ら一級建築士の資格を持つ社長が、やはり資格を持ち設計に携わる部下たちの設計にケチばかりつけることにあった。
自分の頭越しに部下に指示する社長に、まず設計部長がイヤになり、刃こぼれするように建築士たちが辞めるようになったのである。
こうなれば、住宅という製品の品質にムラや不良が表面化し、顧客の苦情が多発し、とうとう経営は破綻した。これも社長が作業化した一例である。
柏崎にブルボンという実力を備えた菓子メーカーがある。最初は北日本製菓という社名だった。しかしブルボンという菓子で成功するや、社名を菓子名に合わせブルボンに変えた。
自動車のマツダは、欧文ではMAZDAと書くが、欧米人の発音を考慮した表記なのだ。
この製薬会社は、社名変更こそ急務なのに、同族経営に執着して、バラバラ呼称のまま。
こういう社名変更こそ社長の仕事なのに、全然関心を示さない。
再び書くが経営トップが作業員化すると、やるべき戦略眼が濁り、会社は衰退する。
もって、“他山の石”にしたいものだ。
○○製薬という会社がある。創業者が研究開発した植物由来の強壮剤は、旧厚生省から薬品としても認められ、リピーターも多く、安定した人気に定評がある。
しかし、経営環境は、三代目の若い経営者の時代を迎え、ここ5年ほどじりじりと収益力は低下する一方。いくら定評のある強壮剤とはいえ“新戦略は何もなし”では、革新的なマーケティング戦略で市場を攻める同業他社に市場を浸食されて当たり前。じり貧そのもである。
では、肝心の社長は何をやっているのか。
なんと驚くなかれ自らの手で、自社製品のネット宣伝をしているのだ。
言い方をかえれば、宣伝オペレーター(一作業員)やセールスの役を演じているのだ。
“社長の仕事”というのは、他の社員では手出しのできない、社長ならではの問題解決を計ることが、経営の定石であり、組織発展の大原則である。
ではその“社長の仕事”とは何なのか。“対外戦略の構築”であり、その“戦略効果”により他社による市場浸食を食い止め、さらには売上の上乗せで成長軌道に乗せることである。
戦略とは、成功すれば効果は大きいが、しかし、①効果を得るまで時間がかかり、②組織的な係わり方が求められ、③かつ持続的な活動も求められる・・というものである。
社長が“作業”をやる会社では、発展する方が不思議で、じり貧になって当然である。
●頭の向きが変わらねば、からだの向きは変わらない
経営体を蛇に例え、「頭の向きが変わらねば、からだの向きは変わらない」と言われる。
経営トップが一作業員になったら、その企業の成長はストップするのは当然。
以前北九州で、急成長した住宅会社があった。しかし、ほんの一時の光芒で終わった。
一時の光芒で終わった主な原因は、自ら一級建築士の資格を持つ社長が、やはり資格を持ち設計に携わる部下たちの設計にケチばかりつけることにあった。
自分の頭越しに部下に指示する社長に、まず設計部長がイヤになり、刃こぼれするように建築士たちが辞めるようになったのである。
こうなれば、住宅という製品の品質にムラや不良が表面化し、顧客の苦情が多発し、とうとう経営は破綻した。これも社長が作業化した一例である。
柏崎にブルボンという実力を備えた菓子メーカーがある。最初は北日本製菓という社名だった。しかしブルボンという菓子で成功するや、社名を菓子名に合わせブルボンに変えた。
自動車のマツダは、欧文ではMAZDAと書くが、欧米人の発音を考慮した表記なのだ。
この製薬会社は、社名変更こそ急務なのに、同族経営に執着して、バラバラ呼称のまま。
こういう社名変更こそ社長の仕事なのに、全然関心を示さない。
再び書くが経営トップが作業員化すると、やるべき戦略眼が濁り、会社は衰退する。
もって、“他山の石”にしたいものだ。
14年08月01日
飛躍する社長は、三上主義を習慣にしている
●通勤の往復は無為の時間、それでいいのですか?
≪三上主義≫という言葉がある。
この三上は何かというと、①枕上主義 ②厠上主義 ③馬上主義の三つである。これらは、ちんじょう、しじょう、ばじょうと読む。
現代ふうに言えば、「床やベッドに身を横たえていても考える」のが枕上主義。
「トイレに入ると、雑音のない環境を利用して沈思黙考する」のが厠上主義。
「乗り物に乗り、旅をしていても道すがら考える」のが馬上主義。
ところで経営トップである、社長や会長にお尋ねしてみたい。
「ここ1年ほどの間に、外出中に思いついた経営刷新のアイデアが、何かありますか」
う~ん!と考え込んでいるとすれば、たぶん「ない」ということだろう。
手元のデータを見ると、積極的な経営者が新しい着想を得る主な場所が紹介してある。
★床に横になってから ★公園(散歩) ★洗面所 ★トイレ ★入浴中
★バス乗車中★最近増えつつある場所ではエアポート・・などがある。
さあ、いかがでしょうか。こんな場所で、「そうだ・・!」と新企画がひらめいたことはありませんか。
もしあなたがマイカーなどで、「通勤をしている」のなら、あなたはその通勤往復に何を考えたり何を見ているのでしょうか。これという収穫のない無為の時間を過ごしていますか?
●三上主義の研磨機で、あなたの経営感覚も輝きを増す
ところで安藤百福という偉大な経営者をご存じと思う。世界が喜んだ即席麺の考案者だ。
2007年、96歳で大往生した人だが、この安藤さんは生前言い続けた。
「新しい物(商品)を創造する力がなければ、企業は発展存続できません」
そして毎日の習慣として、若い経営者たちにこんなことも語っている。
「私は眠るときも、メモ用紙と鉛筆を枕元に用意します。あなた方も、四六時中どこにいても考える習慣を身につけなさい・・」
ところで三上主義を実践した人こそ、この安藤さんである。
だから安藤さんは、こうも語っている。
「事業を発展させるヒントは、周りを見渡せば、どこにいても転がっています。問題は、気付くか気付かないかの違いではないでしょうか」
気付くか気付かないかの違いは、意識の違いということになる。
たとえば刃物のカッターといえば〈OLFA〉ブランドを連想する人が多いと思うが、創業者は開発について語ってる。
「チョコには、折れやすいように筋目が入っています。あれがヒントですよ。もちもんOLFAは、折る刃のことです・・」
こういう発想も、三上主義的な行動感覚と言えよう。
あなたの経営感覚も、≪三上主義≫という研磨機にかければ、もっともっと光輝くのではないですか?
≪三上主義≫という言葉がある。
この三上は何かというと、①枕上主義 ②厠上主義 ③馬上主義の三つである。これらは、ちんじょう、しじょう、ばじょうと読む。
現代ふうに言えば、「床やベッドに身を横たえていても考える」のが枕上主義。
「トイレに入ると、雑音のない環境を利用して沈思黙考する」のが厠上主義。
「乗り物に乗り、旅をしていても道すがら考える」のが馬上主義。
ところで経営トップである、社長や会長にお尋ねしてみたい。
「ここ1年ほどの間に、外出中に思いついた経営刷新のアイデアが、何かありますか」
う~ん!と考え込んでいるとすれば、たぶん「ない」ということだろう。
手元のデータを見ると、積極的な経営者が新しい着想を得る主な場所が紹介してある。
★床に横になってから ★公園(散歩) ★洗面所 ★トイレ ★入浴中
★バス乗車中★最近増えつつある場所ではエアポート・・などがある。
さあ、いかがでしょうか。こんな場所で、「そうだ・・!」と新企画がひらめいたことはありませんか。
もしあなたがマイカーなどで、「通勤をしている」のなら、あなたはその通勤往復に何を考えたり何を見ているのでしょうか。これという収穫のない無為の時間を過ごしていますか?
●三上主義の研磨機で、あなたの経営感覚も輝きを増す
ところで安藤百福という偉大な経営者をご存じと思う。世界が喜んだ即席麺の考案者だ。
2007年、96歳で大往生した人だが、この安藤さんは生前言い続けた。
「新しい物(商品)を創造する力がなければ、企業は発展存続できません」
そして毎日の習慣として、若い経営者たちにこんなことも語っている。
「私は眠るときも、メモ用紙と鉛筆を枕元に用意します。あなた方も、四六時中どこにいても考える習慣を身につけなさい・・」
ところで三上主義を実践した人こそ、この安藤さんである。
だから安藤さんは、こうも語っている。
「事業を発展させるヒントは、周りを見渡せば、どこにいても転がっています。問題は、気付くか気付かないかの違いではないでしょうか」
気付くか気付かないかの違いは、意識の違いということになる。
たとえば刃物のカッターといえば〈OLFA〉ブランドを連想する人が多いと思うが、創業者は開発について語ってる。
「チョコには、折れやすいように筋目が入っています。あれがヒントですよ。もちもんOLFAは、折る刃のことです・・」
こういう発想も、三上主義的な行動感覚と言えよう。
あなたの経営感覚も、≪三上主義≫という研磨機にかければ、もっともっと光輝くのではないですか?
14年07月01日
社長の営業センスが業績を決める
●相手の心情が読めるか
ある会社に新しくG社長が誕生した。先代社長の急逝で副社長から昇格したのである。
すると先代との関係が密なA氏に新社長から、「一度お会いしたい・・」という連絡が入った。さらに時間の特定である。
「では11時頃に、おいでいただけますか・・」と。
先代社長は何十年間もの長い間、自分から相手に面談を求め、その時間が正午頃に差しかかるときは、「支障がなければ昼食をご一緒しながら・・」といって、ランチ・ミーティング(打ち合わせを兼ねた昼食)にしたそうである。
さて当日もちょうど、おひるどきになったら、その新社長は言った。
「きょうはどうも有難うございました。今後ともよろしく・・」と。
誰も他人の懐をあてにして、一食の食費を浮かせようというさもしい根性は持ち合わせていないが、A氏は唖然とした気持ちを押し隠して、その場をあとにした。
押し隠した気持ちとは、こんなことだった。
「人心に鈍感なこの社長の経営力は危険極まりない。この会社の将来は危ない・・」
☆ ☆ ☆
さて、もう一人のM社長の場合。
ある人が、岩手県にあるM社長の会社を訪ねた。もちろん南部鉄を生かしたメーカーである。
落ち着くとM社長は、その人にコンテスト第一位入選の、南部鉄の風鈴を下さるという。
丁重に礼を述べ頂戴することにした。その人の返事を聞くや社長は、課長に指示をした。
「先生はもらって下さるそうだ。しかし手荷物では大変だから、すぐにご自宅あてに宅配の手配をしなさい。このご名刺のご自宅あてでよろしいですね・・」と。
以上、G社長とM社長のお二人。両者の人心に対する対応の違いをどうお感じか。
俗にいう“月とスッポン”ではないだろうか。
もちろんM社長が、経営者にふさわしい感性(営業センス)の持ち主である。
●社長の先行能力に“営業センス”は不可欠
東京の上野で、100年近い老舗の工具問屋が潰れた。
その半年ほど前に、あるコンサルタントがこの問屋を訪ねていた。ある人から「上野に、老舗の問屋があります。経営を見てやって欲しい」と頼まれ、その現場を見に行ったのだ。
その帰途そのコンサルタントは折角の依頼をお断りした。「なぜですか?」と尋ねる相手に理由を言った。
一、茶を奨められたが、茶碗の縁が大きく欠けていた。
二、女力士のような、巨躯の女性が呈茶をした。(女性社員の多くは退職したと想像できた)
三、柱時計は、止まったままだった。
四、トイレを借りて清掃状態を見たが、とても異臭がして汚かった。
☆ ☆ ☆
というわけで、もはや経営組織に社長の心は通っていないと直感。手遅れと判断した。いまさら決算書を見ても、手の打ちようがないとも思ったそうだ。
来客に出す茶碗の縁が、怪我をしそうなほど欠け落ちた物を出す感覚。冒頭に紹介した、共感性&営業センスが欠落したG社長と、サビついた営業センスの根っこは同じのようだ。
いうまでもなく、社長の必須能力に≪中長期の見通し≫は欠かせない。しかし≪長期の見通し≫ともなると、煙幕で隠蔽されたように判然とは見えない。その判然とは見えないものを読む仕事こそ、社長の仕事なのだ。その能力の基盤として、営業センスは不可欠である。
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ある会社に新しくG社長が誕生した。先代社長の急逝で副社長から昇格したのである。
すると先代との関係が密なA氏に新社長から、「一度お会いしたい・・」という連絡が入った。さらに時間の特定である。
「では11時頃に、おいでいただけますか・・」と。
先代社長は何十年間もの長い間、自分から相手に面談を求め、その時間が正午頃に差しかかるときは、「支障がなければ昼食をご一緒しながら・・」といって、ランチ・ミーティング(打ち合わせを兼ねた昼食)にしたそうである。
さて当日もちょうど、おひるどきになったら、その新社長は言った。
「きょうはどうも有難うございました。今後ともよろしく・・」と。
誰も他人の懐をあてにして、一食の食費を浮かせようというさもしい根性は持ち合わせていないが、A氏は唖然とした気持ちを押し隠して、その場をあとにした。
押し隠した気持ちとは、こんなことだった。
「人心に鈍感なこの社長の経営力は危険極まりない。この会社の将来は危ない・・」
☆ ☆ ☆
さて、もう一人のM社長の場合。
ある人が、岩手県にあるM社長の会社を訪ねた。もちろん南部鉄を生かしたメーカーである。
落ち着くとM社長は、その人にコンテスト第一位入選の、南部鉄の風鈴を下さるという。
丁重に礼を述べ頂戴することにした。その人の返事を聞くや社長は、課長に指示をした。
「先生はもらって下さるそうだ。しかし手荷物では大変だから、すぐにご自宅あてに宅配の手配をしなさい。このご名刺のご自宅あてでよろしいですね・・」と。
以上、G社長とM社長のお二人。両者の人心に対する対応の違いをどうお感じか。
俗にいう“月とスッポン”ではないだろうか。
もちろんM社長が、経営者にふさわしい感性(営業センス)の持ち主である。
●社長の先行能力に“営業センス”は不可欠
東京の上野で、100年近い老舗の工具問屋が潰れた。
その半年ほど前に、あるコンサルタントがこの問屋を訪ねていた。ある人から「上野に、老舗の問屋があります。経営を見てやって欲しい」と頼まれ、その現場を見に行ったのだ。
その帰途そのコンサルタントは折角の依頼をお断りした。「なぜですか?」と尋ねる相手に理由を言った。
一、茶を奨められたが、茶碗の縁が大きく欠けていた。
二、女力士のような、巨躯の女性が呈茶をした。(女性社員の多くは退職したと想像できた)
三、柱時計は、止まったままだった。
四、トイレを借りて清掃状態を見たが、とても異臭がして汚かった。
☆ ☆ ☆
というわけで、もはや経営組織に社長の心は通っていないと直感。手遅れと判断した。いまさら決算書を見ても、手の打ちようがないとも思ったそうだ。
来客に出す茶碗の縁が、怪我をしそうなほど欠け落ちた物を出す感覚。冒頭に紹介した、共感性&営業センスが欠落したG社長と、サビついた営業センスの根っこは同じのようだ。
いうまでもなく、社長の必須能力に≪中長期の見通し≫は欠かせない。しかし≪長期の見通し≫ともなると、煙幕で隠蔽されたように判然とは見えない。その判然とは見えないものを読む仕事こそ、社長の仕事なのだ。その能力の基盤として、営業センスは不可欠である。