07年05月19日
自分の国は自分で守る
ニューヨーク訪問中の石原都知事が、17日の講演で、「米国が日本を守らないのなら、自分で何とかする。それは、米国が懸念する核保有に繋がるかもしれない」と述べたといわれる。
後段はともかく、前段については賛成である。
私は、前々から「自分の国は自分で守らなければならない」と考えていた。
一番小さなコミュニティが家庭だすれば、次が地域社会、そして国家となる。
家庭の集まりが地域であり、地域の集まりが国家である。
防衛に関しては、三者は同じ発想で考えるべきだと思っている。
自分の敷地に第三者を入れて、家を守ってもらうバカがどこにいるのか。
自分の府県の安全を他府県に守ってもらう府県がどこにあるのか。
世界中の国に、日本はアメリカの植民地ないし属国と見られている根源は日米安保にある。
日米安保が不要といっているのではない、その内容が問題なのだ。
国民投票法が成立した今、自分の国をどのようにして守るのか、憲法9条をどのように改正するのかしないのか、国民一人一人が考えなければならない時期に来ている。
後段はともかく、前段については賛成である。
私は、前々から「自分の国は自分で守らなければならない」と考えていた。
一番小さなコミュニティが家庭だすれば、次が地域社会、そして国家となる。
家庭の集まりが地域であり、地域の集まりが国家である。
防衛に関しては、三者は同じ発想で考えるべきだと思っている。
自分の敷地に第三者を入れて、家を守ってもらうバカがどこにいるのか。
自分の府県の安全を他府県に守ってもらう府県がどこにあるのか。
世界中の国に、日本はアメリカの植民地ないし属国と見られている根源は日米安保にある。
日米安保が不要といっているのではない、その内容が問題なのだ。
国民投票法が成立した今、自分の国をどのようにして守るのか、憲法9条をどのように改正するのかしないのか、国民一人一人が考えなければならない時期に来ている。
07年05月14日
人前での化粧は許せるか
最近は、駅のホームや電車の中などで、一途に化粧をしている女の人を見かけることがよくある。
家で化粧をする時間がなかったのかもしれない。
それにしても、私は、個人的にはこのような光景を見るのは、あまり好きではない。
化粧の歴史的沿革はさておき、化粧は化けて、粧(装)うところに本質がある。
で、化けるところを人に見せるのは、種明かしをしてしてから手品を人に見せるようなもので、興醒めしてしまうのです。
女性の方、どうか、化粧は家か化粧室でお願いします。
家で化粧をする時間がなかったのかもしれない。
それにしても、私は、個人的にはこのような光景を見るのは、あまり好きではない。
化粧の歴史的沿革はさておき、化粧は化けて、粧(装)うところに本質がある。
で、化けるところを人に見せるのは、種明かしをしてしてから手品を人に見せるようなもので、興醒めしてしまうのです。
女性の方、どうか、化粧は家か化粧室でお願いします。
07年05月07日
国家の品格
読んだ方も多いと思いますが、一昨年末に出版され、ベストセラーとなった藤原正彦氏の「国家の品格」を読む機会に恵まれた。
氏は、現在の荒廃した社会は、「論理」や「合理精神」が破綻した結果ではないかと主張されている。
その内容には立ち入らないけれども、戦後、我が国は祖国への誇りや自身を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまい、「国家の品格」をなくしてしまった、と論じている。
そして、日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があり、日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うと述べられ、ここ4世紀間ほど世界を支配した欧米の教義の破綻から世界を本格的に救えるのは、日本人しかいない思う、という言葉で結ばれている。
中々うなずける箇所があり、興味深い一冊であった。
今回はこの辺で。
氏は、現在の荒廃した社会は、「論理」や「合理精神」が破綻した結果ではないかと主張されている。
その内容には立ち入らないけれども、戦後、我が国は祖国への誇りや自身を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまい、「国家の品格」をなくしてしまった、と論じている。
そして、日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があり、日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うと述べられ、ここ4世紀間ほど世界を支配した欧米の教義の破綻から世界を本格的に救えるのは、日本人しかいない思う、という言葉で結ばれている。
中々うなずける箇所があり、興味深い一冊であった。
今回はこの辺で。
07年05月02日
融資お断り(その2)
以前にも、大手消費者金融会社が貸出審査を厳格化していることは記事にしましたが、その流れは止まらないようです。
消費者金融は、これまで、いわゆる高金利のグレーゾーン金利で多数の顧客に貸し出すことにより、返済できない顧客による損失を上回る利益を上げてきました。しかし、昨年末に成立した改正貸金業規制法は、平成21年末までに、個人ローンの上限金利を利息制限法並みの15~20%に引き下げるほか、借り手一人当たりの貸付総額に上限を設ける総量規制を導入しています。
こうなると、不良債権が生じないようにしなければ、収益の悪化は避けられません。
大手4社の今年2月の新規貸付の平均契約率は、44,5%であり、前年同期の64,3%と比べると、約20ポイント低下しており、実に2人に1人が融資を断られているのです。
また、これまでの高金利に頼った経営戦略のツケが、今のしかかっているのです。消費者金融大手4社の今年3月期連結決算の最終赤字が、合計1兆円規模に上る見通しであることが、先月17日に判明しております。これは、利息制限法の上限を超える「過払い利息」の返還請求の増加に歯止めがかからず、引当金の一層の積み増しを、せざるを得なくなっているからなのです。
大手各社は、店舗閉鎖や人員削減など大胆なリストラだけでなく、貸出審査の厳格化という経営方針によって、生き残りを賭けようとしています。
その一方で、中小の消費者金融会社は、規制強化を受けて銀行やノンバンクが中小業者への融資を手控えるようになったため、廃業が続出しているのです。
これまで大手から新規貸付を断られた人は、大手より審査が緩い中小業者に頼ってきたが、中小業者の廃業により、どこからも借りられない人は、どこから融資を受けるのであろうか。ヤミ金に走らないことを祈るのみである。
今回はこの辺で。
消費者金融は、これまで、いわゆる高金利のグレーゾーン金利で多数の顧客に貸し出すことにより、返済できない顧客による損失を上回る利益を上げてきました。しかし、昨年末に成立した改正貸金業規制法は、平成21年末までに、個人ローンの上限金利を利息制限法並みの15~20%に引き下げるほか、借り手一人当たりの貸付総額に上限を設ける総量規制を導入しています。
こうなると、不良債権が生じないようにしなければ、収益の悪化は避けられません。
大手4社の今年2月の新規貸付の平均契約率は、44,5%であり、前年同期の64,3%と比べると、約20ポイント低下しており、実に2人に1人が融資を断られているのです。
また、これまでの高金利に頼った経営戦略のツケが、今のしかかっているのです。消費者金融大手4社の今年3月期連結決算の最終赤字が、合計1兆円規模に上る見通しであることが、先月17日に判明しております。これは、利息制限法の上限を超える「過払い利息」の返還請求の増加に歯止めがかからず、引当金の一層の積み増しを、せざるを得なくなっているからなのです。
大手各社は、店舗閉鎖や人員削減など大胆なリストラだけでなく、貸出審査の厳格化という経営方針によって、生き残りを賭けようとしています。
その一方で、中小の消費者金融会社は、規制強化を受けて銀行やノンバンクが中小業者への融資を手控えるようになったため、廃業が続出しているのです。
これまで大手から新規貸付を断られた人は、大手より審査が緩い中小業者に頼ってきたが、中小業者の廃業により、どこからも借りられない人は、どこから融資を受けるのであろうか。ヤミ金に走らないことを祈るのみである。
今回はこの辺で。
07年05月01日
言葉の暴力は許せない
長崎市長選は、まだ終わっていない。
田上新市長が当選した翌日の4月23日から、「選挙は無効だ、やり直せ」などの嫌がらせ電話が相次いでいるという。そのため、市長の公式行事には私服警官を付けたり、市長の自宅周辺の警備強化を余儀なくされている。
確かに、田上氏と横尾氏の得票数は953票の僅差であって、しかも、前市長の「伊藤一長」と書かれたものなどの無効票が1万票を超えるという混乱ぶりからすれば、いわば「世襲派」の気持ちも分からないではない。
しかし、横尾氏が当選できなかったのは、自分が無効票を投じたからではないのか。
私は、政治家の世襲制には前から疑問を持っていた。親が政治家としての資質や能力を有していたとしても、その子供に同様の資質や能力が備わっているとは限らないからだ。
勿論、子供に政治家としての資質や能力が備わっているのであれば、親の「地盤」「看板」「カバン」を利用して、当選することに異議を唱えるものではない。
長崎市民は、実質3日という選挙戦により、横尾氏の政治家としての資質や能力を判断することができなかったため、課長職にあった田上氏を選ばざるを得なかったのであろう。
それにしても、自分の思った人が当選しなかったからといって、脅迫まがいのことをするべきではない。言葉の暴力は、時として有形力を伴った暴力よりも恐怖心を与えることがある。
わが国の民主主義のバロメーターを見た思いであった。
今回はこの辺で。
田上新市長が当選した翌日の4月23日から、「選挙は無効だ、やり直せ」などの嫌がらせ電話が相次いでいるという。そのため、市長の公式行事には私服警官を付けたり、市長の自宅周辺の警備強化を余儀なくされている。
確かに、田上氏と横尾氏の得票数は953票の僅差であって、しかも、前市長の「伊藤一長」と書かれたものなどの無効票が1万票を超えるという混乱ぶりからすれば、いわば「世襲派」の気持ちも分からないではない。
しかし、横尾氏が当選できなかったのは、自分が無効票を投じたからではないのか。
私は、政治家の世襲制には前から疑問を持っていた。親が政治家としての資質や能力を有していたとしても、その子供に同様の資質や能力が備わっているとは限らないからだ。
勿論、子供に政治家としての資質や能力が備わっているのであれば、親の「地盤」「看板」「カバン」を利用して、当選することに異議を唱えるものではない。
長崎市民は、実質3日という選挙戦により、横尾氏の政治家としての資質や能力を判断することができなかったため、課長職にあった田上氏を選ばざるを得なかったのであろう。
それにしても、自分の思った人が当選しなかったからといって、脅迫まがいのことをするべきではない。言葉の暴力は、時として有形力を伴った暴力よりも恐怖心を与えることがある。
わが国の民主主義のバロメーターを見た思いであった。
今回はこの辺で。