08年11月08日
法権と治外法権と
社会保険労務士試験の発表があり、今年度の合格率は7%台だという。ちなみに、私が合格した年の前年は6%台であった。
風の便りによれば、22年度より憲法、民法、民事訴訟法が科目に加わるという。実務中心の社会保険労務士は法体系が理解できていないという弁護士会からの指摘そして内部の者の意見等が反映されてきたということになる。歓迎すべきことである。
また一方で、訴訟と和解との性格の違いが明瞭化されてきて、訴訟に絡む事件と実務的な和解手法により解決されるべき事件との違いについても研究が深められてきている。後者について早い段階で重要視してきたのがアメリカ司法そして日本の有志の簡裁判事や家裁判事である。なお、日本では『家栽の人』という渋い漫画がある。
そういうこととは別にそれはそうと、社会保険労務士業務には法に馴染まない分野が多く含まれている。社員研修などもそれに含まれるが、それより大きなものとして組織開発業務などがある。これはまだ体系化されていないため、今依頼すればそれほど高くはないが、効果も定まらない。
イメージとしては、次の二冊で述べる。
1.『空気と戦争』(猪瀬直樹・文春新書)
≪意思決定のプロセスのなかで数字データのインプット・ミスとか、あるいは最終決断にあたっての自己責任の放棄とか、いまも起きていることと同じような日常性が日米戦を呼び込んだのではないか。≫
かなりすっきりとした構成でわかりやすい。
2.『兵隊たちの陸軍史』(伊藤桂一・新潮文庫)
戦後の会社組織はほぼ軍隊組織を引き継いでいる。これまでは軍隊小説などで部分部分その関係を見出してきたものだが、ようやく待望の全体的な中身が手軽な文庫として出た。あと戦後の恩給制度についても触れて欲しかった(まだ読破していないが、書かれていないよう‥)。
風の便りによれば、22年度より憲法、民法、民事訴訟法が科目に加わるという。実務中心の社会保険労務士は法体系が理解できていないという弁護士会からの指摘そして内部の者の意見等が反映されてきたということになる。歓迎すべきことである。
また一方で、訴訟と和解との性格の違いが明瞭化されてきて、訴訟に絡む事件と実務的な和解手法により解決されるべき事件との違いについても研究が深められてきている。後者について早い段階で重要視してきたのがアメリカ司法そして日本の有志の簡裁判事や家裁判事である。なお、日本では『家栽の人』という渋い漫画がある。
そういうこととは別にそれはそうと、社会保険労務士業務には法に馴染まない分野が多く含まれている。社員研修などもそれに含まれるが、それより大きなものとして組織開発業務などがある。これはまだ体系化されていないため、今依頼すればそれほど高くはないが、効果も定まらない。
イメージとしては、次の二冊で述べる。
1.『空気と戦争』(猪瀬直樹・文春新書)
≪意思決定のプロセスのなかで数字データのインプット・ミスとか、あるいは最終決断にあたっての自己責任の放棄とか、いまも起きていることと同じような日常性が日米戦を呼び込んだのではないか。≫
かなりすっきりとした構成でわかりやすい。
2.『兵隊たちの陸軍史』(伊藤桂一・新潮文庫)
戦後の会社組織はほぼ軍隊組織を引き継いでいる。これまでは軍隊小説などで部分部分その関係を見出してきたものだが、ようやく待望の全体的な中身が手軽な文庫として出た。あと戦後の恩給制度についても触れて欲しかった(まだ読破していないが、書かれていないよう‥)。
08年11月01日
厚生年金の差額支払い命令−神戸地裁
社保庁の裁定は不適切=厚生年金の差額支払い命令−神戸地裁
・「社会保険庁の処理が原因で厚生年金を一部受給できなかったのは違法」
・「国を相手に本来の年金との差額や慰謝料など約360万円の支払いを求めた訴訟」
・「同庁の裁定が不適切だったとして、差額分など約14万7000円と遅延損害金の支払いを命じた。慰謝料は認めなかった。」
「社会保険事務所が年金を正当に管理した場合に支払われるべき額との差額を損害と認めた。」
残念ながら事情がまったくわからない。特別便や第三者委員会での手続きで解決しないで、最初から訴訟という方法を採っているかのようにみえる。遅延損害金の利率が不明だが、いずれにせよ低額決着であると認められる。判事にとって扱い難い事件であったろう。
・「社会保険庁の処理が原因で厚生年金を一部受給できなかったのは違法」
・「国を相手に本来の年金との差額や慰謝料など約360万円の支払いを求めた訴訟」
・「同庁の裁定が不適切だったとして、差額分など約14万7000円と遅延損害金の支払いを命じた。慰謝料は認めなかった。」
「社会保険事務所が年金を正当に管理した場合に支払われるべき額との差額を損害と認めた。」
残念ながら事情がまったくわからない。特別便や第三者委員会での手続きで解決しないで、最初から訴訟という方法を採っているかのようにみえる。遅延損害金の利率が不明だが、いずれにせよ低額決着であると認められる。判事にとって扱い難い事件であったろう。
08年09月19日
年金改ざん6万9000件
年金改ざん6万9000件「実際は数倍も」…社保庁幹部
年金記録問題もいよいよ標準報酬に関するものに焦点を合わせてきた。
原因は企業の滞納である。
法的には滞納処分すればいいだけの話であった。こういう簡単すぎる答えの問題こそ厄介なのである。
その中間対策として、苦肉の策であるこの改ざん手法が編み出された。ただし、これは社会保険庁と企業とだけに通じる手法であり、直接の被害者である被保険者とは通じていなかった。それが社会問題化したということはようやく民主主義国家らしくなったとはいえるのだが、まだまだ国民は国の運営の全体像をみえてはいない。これがみえないと民主主義国家ではない。私もよくわからない。
国民年金の滞納割合はよく発表されている、厚生年金の滞納割合などはほとんど発表されていない。これもまた明確な数字を出すように国会で追及されることになる。
いずれにせよ、こうした問題を含まずに改定されてきた年金法につき、こうした問題を含めての体系的なとらえ直しを進めないと前に進めなくなっている。次期政権に民主党になったとしても、色々な国民の不満をどうするのかという民主主義運営ルール作りや了解を得ることの困難さに直面する。国民生活の変革(秩序形成)という国家最大の課題である。
「政党解散」という戦中の超法規的措置以外には、やはり選挙で負ければという意識が働くわけであるから、国民は社会保障を取巻く改革を支持し続ける忍耐が必要である。もちろん、民主党の後の政権においてもである。でなければいつまでも「上意下達」というわけである。
年金記録問題もいよいよ標準報酬に関するものに焦点を合わせてきた。
原因は企業の滞納である。
法的には滞納処分すればいいだけの話であった。こういう簡単すぎる答えの問題こそ厄介なのである。
その中間対策として、苦肉の策であるこの改ざん手法が編み出された。ただし、これは社会保険庁と企業とだけに通じる手法であり、直接の被害者である被保険者とは通じていなかった。それが社会問題化したということはようやく民主主義国家らしくなったとはいえるのだが、まだまだ国民は国の運営の全体像をみえてはいない。これがみえないと民主主義国家ではない。私もよくわからない。
国民年金の滞納割合はよく発表されている、厚生年金の滞納割合などはほとんど発表されていない。これもまた明確な数字を出すように国会で追及されることになる。
いずれにせよ、こうした問題を含まずに改定されてきた年金法につき、こうした問題を含めての体系的なとらえ直しを進めないと前に進めなくなっている。次期政権に民主党になったとしても、色々な国民の不満をどうするのかという民主主義運営ルール作りや了解を得ることの困難さに直面する。国民生活の変革(秩序形成)という国家最大の課題である。
「政党解散」という戦中の超法規的措置以外には、やはり選挙で負ければという意識が働くわけであるから、国民は社会保障を取巻く改革を支持し続ける忍耐が必要である。もちろん、民主党の後の政権においてもである。でなければいつまでも「上意下達」というわけである。
08年09月08日
労務管理の仕方 2 労働者性
(フリーのライターである者が、ある雑誌社の企画で取材をしている際に、交通事故により死亡した。遺族が雑誌社に対して労災の補償を要求してきた。)
こうした例の多くは労働者性を否定するものと思われるが、契約意識のあいまいな状態もまた多く、したがって具体的な当事者のやり取りによっては労働者とされることもありうる。
・その雑誌社の企画であるから、そのことによってのある程度の制限を受けるわけであるが、制限内容が服務的なものや企画外の内容にまで及んでいないかどうか。その上で、独立性が確保されているかどうか。
・報酬の決め方が仕事に応じたものかどうか。
こうした観点でみていけば、このケースでの答えはそれほど難しくはない。しかし、例えば、労働時間法制のかからない「企画裁量型」労働による雇用契約のケースはどうか。あるいは店長職など上位から権限を委譲されている者などについての判断はどうか。
基本の大枠は当然ながら労働者としての制限を受ける者であるから判断はさほど難しくないにもかかわらず、会社によってはフリーのような設定をしているため、トラブルの際はなかなか当事者間で話が合うようにするのが一苦労になる。なお、これは下請問題と同じ構造的なものである。
こうした例の多くは労働者性を否定するものと思われるが、契約意識のあいまいな状態もまた多く、したがって具体的な当事者のやり取りによっては労働者とされることもありうる。
・その雑誌社の企画であるから、そのことによってのある程度の制限を受けるわけであるが、制限内容が服務的なものや企画外の内容にまで及んでいないかどうか。その上で、独立性が確保されているかどうか。
・報酬の決め方が仕事に応じたものかどうか。
こうした観点でみていけば、このケースでの答えはそれほど難しくはない。しかし、例えば、労働時間法制のかからない「企画裁量型」労働による雇用契約のケースはどうか。あるいは店長職など上位から権限を委譲されている者などについての判断はどうか。
基本の大枠は当然ながら労働者としての制限を受ける者であるから判断はさほど難しくないにもかかわらず、会社によってはフリーのような設定をしているため、トラブルの際はなかなか当事者間で話が合うようにするのが一苦労になる。なお、これは下請問題と同じ構造的なものである。
08年09月06日
「観客型民主主義」と日本近代政治システム
≪『報道側だけに問題があるわけではない。テレビでみのもんた氏や古舘伊知郎氏が政府や役所を手厳しく追及し、怒っている姿を見て喝采しているだけの国民にも問題がある。こういう無責任な国民のありようは「観客型民主主義」と言えばわかりやすいだろうか』 さらに軽症者の救急車利用などの例を挙げ、
『医療費を無駄にしているのは自分自身であるという視点が欠落してはいないか』
『今の日本では、自分が汗をかくことによって日本が良くなる−という原則が忘れられてはいないか』、と述べます。
そして対照的な例として、兵庫県のケースが紹介されます。これは母親たちが「県立柏原病院の小児科を守る会」を結成し、不急の受診を控えることで、地域の小児医療を大きく改善した例です。ここでは母親たちは従来の受身一方ではなく、当事者として行動しています。≫
舛添大臣の言っている内容がよくわかる。公と私との区別が日本では極端なのである。これを変革するには相当の根気が必要である。
また、この観客型民主主義批判は、近代の日本政治システムへの批判である。
阿倍首相に続き、福田首相もまた辞めた。
しかし、国会議員自体は辞めない。首相職を辞めるなら国会議員も辞めなければならない。
そこで首相選になるのだが、報道などに接すると、自民党は多くの党員の意見を吸い上げることなく、老人政治によって首相を任意で決めるという。多くの党員がそんなやり方に反撥している姿があった。党員の言うことすら吸い上げない党がさらに遠い国民の声を聞く筈がない。嫌でも、観客型にならざるをえない。決められる首相の質ももはや疑わざるを
えなくなっており、自民党システムが多くの弊害の製造元のひとつであることはもはや疑うことはできない。
私は戦中政治システムを評価する者であるが、今はそのようなやり方とは逆の流れが主流であるから、悪い方にしか向かないといえる。次の首相もまた重圧で耐えられない可能性がある。観客型民主主義(私はこれを民主主義とは言わないが)を理論的にも現実的にも解消することに必死にならなければならない。
新たなシステムのイメージは誰も経験のないものである。ずっと日本では老人政治が続いていたのであるとわかる。国民がめいめい自分勝手に主張したら混乱するとかの反論は聞き飽きている。
近代における反主流派の研究が再認識され始めるだろう。占領直後はかなり盛んであったが、肝心の現在看過されている分野である。傘があるときに雨は降らず、ないときには雨が降るということか。
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『医療費を無駄にしているのは自分自身であるという視点が欠落してはいないか』
『今の日本では、自分が汗をかくことによって日本が良くなる−という原則が忘れられてはいないか』、と述べます。
そして対照的な例として、兵庫県のケースが紹介されます。これは母親たちが「県立柏原病院の小児科を守る会」を結成し、不急の受診を控えることで、地域の小児医療を大きく改善した例です。ここでは母親たちは従来の受身一方ではなく、当事者として行動しています。≫
舛添大臣の言っている内容がよくわかる。公と私との区別が日本では極端なのである。これを変革するには相当の根気が必要である。
また、この観客型民主主義批判は、近代の日本政治システムへの批判である。
阿倍首相に続き、福田首相もまた辞めた。
しかし、国会議員自体は辞めない。首相職を辞めるなら国会議員も辞めなければならない。
そこで首相選になるのだが、報道などに接すると、自民党は多くの党員の意見を吸い上げることなく、老人政治によって首相を任意で決めるという。多くの党員がそんなやり方に反撥している姿があった。党員の言うことすら吸い上げない党がさらに遠い国民の声を聞く筈がない。嫌でも、観客型にならざるをえない。決められる首相の質ももはや疑わざるを
えなくなっており、自民党システムが多くの弊害の製造元のひとつであることはもはや疑うことはできない。
私は戦中政治システムを評価する者であるが、今はそのようなやり方とは逆の流れが主流であるから、悪い方にしか向かないといえる。次の首相もまた重圧で耐えられない可能性がある。観客型民主主義(私はこれを民主主義とは言わないが)を理論的にも現実的にも解消することに必死にならなければならない。
新たなシステムのイメージは誰も経験のないものである。ずっと日本では老人政治が続いていたのであるとわかる。国民がめいめい自分勝手に主張したら混乱するとかの反論は聞き飽きている。
近代における反主流派の研究が再認識され始めるだろう。占領直後はかなり盛んであったが、肝心の現在看過されている分野である。傘があるときに雨は降らず、ないときには雨が降るということか。