10年12月08日

国民の迷走の原因

『韓国の悲劇』(小室直樹・光文社カッパビジネス)に触発される文章があった。

《戦前の日本では村落共同体があったゆえに、会社は共同体になることはなく、単なる機能集団たるにとどまった。このことは戦前日本では、企業間移動が容易であったことによっても容易に理解されよう。
また戦前においては、同一年度入社同一給料という平等性がなく、職務と功績によって大きな給料差があったことだけをみても、理解されよう。
戦後の「日本式経営」を特徴づける年功序列、給与の平等性、終身雇用、これみな共同体の特徴である。戦後日本の機能集団たる官公庁、公社現業、大企業、主だった中小企業などは、急速に共同体に収束していった。その理由は機能集団たる村落共同体が崩壊していったからである。》

※ これには戦中の情報がなく、不自然である。戦後の村落共同体の崩壊は正しいが、単に上記の組織等がそのようになったのではなく、戦中の総動員体制の一環で作られた体制である。国家による産業体制確立のための体制なのであり、したがって、高度成長期後産業から国の影響が薄れていったとき、今度は事業一家体制もまた崩れていったのである。コスト負担が一組織では抱えきれないことがわかったからである。

《韓国ではこういうことは起こらなかった。解放前の朝鮮には、日本の村落にあたる協働共同体はなかった。韓国における共同体は協働共同体ではなく、本貫という血縁共同体である。ゆえに会社などの機能集団が、共同体となることはなかったのである。
このことによって次のごとき社会的、経営的、経済的に重大な結果が生じた。》

一つめとして、平等化が行われることがなかったということで、小室氏は賃金格差、学歴による所得格差、を挙げている。
二つめとして、企業間の移動が自由だということを挙げている。

《共同体がもつ決定的特徴は、内外の人間を峻別することにある。
日本では企業が共同体であるから、企業外の人間を、個人的にいかに親しいとしても、重大なところにおいては残酷なまでに差別する。
韓国の場合には経営者たちの同族は、同一本貫という共同体に属する。しかも企業は、共同体ではない。ゆえにこの企業の(他の本貫に属する)社員は、いかなる方法をもってしても、(社長のひとり娘と結婚してさえも)経営者と同一共同体に加入することは許されない。》
《この違いは大きい。共同体の特徴は、そこに「生まれる」ことはできても「移動してくる」ことが許されないことである。
日本の企業で、学校を卒業したての新入社員が「下から」入ることは正常でも、甲羅も固くなった他者の社員が、「ヨコから」転社することが著しく困難であることは、この理由による。
また、無理を覚悟で決然として転社しても、なかなかうまくゆかないというのも、この理由による。この意味で日本企業は、企業(全体)に関しては閉じられている。》
《日本においては、経営者も一般社員も企業に「骨を埋める」つもりである。これに対し韓国では、経営者同族はそのつもりでも、一般社員はそうではない。
ここに、経営者と一般社員とのあいだの連帯意識は生じ難く、むしろ大きな意識上のギャップが生ずる。(略)
さて、この意識上のギャップが富分配の不平等とあいまって、韓国社会に階級とそれに見合う階級意識を生むことになった。》


昭和60年の本なので、日本はここから千鳥足になるところだが、韓国もまた異なる意識が現れているように見受けられる。ま、しかし、大体は正確になぞらえているものと考える。これは『韓国の悲劇』というタイトルだが、今なら村落共同体を失い、そして産業共同体をも失われつつある迷子然たる「日本の悲劇」として書くこともできたものである。
10年12月08日 | Category: General
Posted by: roumushi
《尖閣諸島(中国名:釣魚島)で中国漁船と日本の海上保安庁巡視船が衝突した場面の動画がインターネット上に流出したのを受け、6日、東京で約2000人が参加する反中国デモが行われた。右翼団体の「頑張れ日本! 全国行動委員会」が尖閣問題後に行った3回目の反中国デモで、動画流出の影響か、これまでの反中国デモで参加者が最も多かった。

 デモ隊は日比谷公園で集会を開いた後、反中国のシュプレヒコールを上げ、3キロほどの距離を行進した。同団体は13日と14日にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が行われる横浜市内でも大規模なデモを実施する予定だ。同会議には中国の胡錦濤国家主席が出席する。》

http://www.chosunonline.com/news/20101108000016

国会を中心に、あれは公開すべきだった、それにつけて犯人探しという国の情報管理問題に観点を合わせてしまうとは要務の役割を全うするものではなく云々という政府批判でごった返している。
どういう事情が働いているのかがわからないので何も判断できないが、国会議員の知らされた情報よりも一般に開放された情報の方が多かったのであるから、素人判断の方が議員よりも正しい可能性もある。
こうしたトップ周辺層のごたごたは、韓国史劇によく表現されている。「正史」とかにこだわる習わしが固く、やはりそこが日本のシナリオとの違いになるのだろう。これは私も、よくもわるくも貢献しているようだが、小説と歴史の違いの認識ということになる。

さて、「軟弱外交」という言葉が復活したが、日比谷焼き討ちまではいかないだろうと思っていたら、日比谷でデモが行われていたということである。日本のメディアでは扱われないようなので、こういう点が興味深い。

アジア諸国間では経済活動等が増え、当然ながら摩擦も増える。個人間ではとてもいい関係が築けているものであるが、国家間では火種が多く残されているため、なかなかすっきりしない。また、一国民からみるとすれば、日本政府が国家観問題に対しては新たなスタンスを見つけておらず、陳腐であることに気づいてしまう。それに伴い、開放路線であったものが閉鎖路線に向かいつつあることに気づく。
民主政権は、政治主導と主張し官僚撲滅を謳い、ある程度の効果を発揮したものである。ただし、官僚(行政)の後方には国民がおり、今やその国民と民主政権が対立した格好になることもある。今回の情報公開問題はまさにそれに近い。また、日本では近代史教育が殆んどなされておらず、人材も確保できていない。その結果、戦後生まれは殆んど自国の認識が薄い。「正史」にこだわる習わしのあるアジア諸国にあってこれはまずいように見受けられるが、特に気にもしていない。韓国ではこの歴史軽視態度がどうやら不誠実だと考えられているようである。ところが日本の歴史解釈家は、先回りして正しいか正しくないかにこだわってしまうので、それはそうなのだが、その前に、それにそんな一部の人間よりも、国民文化が歴史軽視態度という門前払いに近い態度が駄目なのであると受け止めている。日本の国民は果して「日本人」なのかと‥。無国籍のように生きている国民が多いことは確かだろうし、オタク文化が自然に市民権を得るにはそういう状態でないと‥。
実は戦前(大正期前半)もこんな国の状態なのであったが‥。

10年11月10日 | Category: General
Posted by: roumushi
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100927k0000e040036000c.html?inb=yt

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101022-00000042-mai-pol

http://mainichi.jp/select/today/archive/news/2010/09/13/20100914k0000m010073000c.html?inb=yt

弁護士から研修期間に給料をもらっていたと聞いたときは、驚いたものである。何で?と。羨ましいとも。親切で好感度の高い弁護士であったのでそこまでだが、人間はいろいろあるもので、やはり特権意識の強い者もいる。
法曹三者ということで従来よりきているが、司法改革の諸段階において出された意見では、判事と検事の数を増やすというものであった。今回の貸与制において判事と検事には返済免除の予定である。ただし、判事と検事には年齢制限があり、したがって結局のところ(あらかじめ予想できることだと思うが)、弁護士の数が増える。さらに弁護士の数を増やそうと国は決定した。ここが複雑になっているところで、法曹三者というセット組ゆえに、そのうちの1人を変えようとしても上手くいかないのである。しかも弁護士は自由業であり、また従来よりかは刑事事件より自分の経営に関心をもつ傾向を強めている。過疎地対策においてもその自由さゆえに難航しているところである。配置転換などありえない。かつて誇りであったこの制度は、邪魔になっている印象がある。日本株式会社のような感じである。


弁護士会はこのままいけば、不祥事を起こさなければならなくなる弁護士が増えるというのも、現実的であろうが、あまり好感的に受取ることのできない話である。従来でも弁護士業はまじめにすればそれほど儲からない(日本社会の慣行ではトラブルそのものより人間関係がこじれるのを避けるため、あまり事件を表に出さない。その代わり、事件化後は大変である。)ところ、人を増やすというのであるから、やはりまた都市に弁護士は集中することになる。
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バブル崩壊以後、日本人は自信を失い、日本ではその場その場の思いつきで行動してきた。それもそのとき必要と思われた行動であるゆえに悪くはないところも多いが、そろそろ編集作業に取り掛かったり、グランドデザインも必要になってきたように思う。島国根性(小さな所で群雄割拠すること)への牽制や歯止めも準備しなければならない。問題の鍵は「国民の理解」の解釈いかんなのである。戦前においても島国根性は盛んであったが、とりあえずは日本人は協力一致する国民と言われるまでになった。なぜそうなったかは、日本史のなかで相当ホットな観点であろう。
10年10月22日 | Category: General
Posted by: roumushi
10年08月27日

日本の課題

今年の社会保険労務士試験が終った。
今年は受験者数が7万人に達したとのことである。

試験問題については、毎回のように「今年は難しかった」とささやかれている。これは、多くの受験生が過去問を中心に勉強をしているためである。また、受験テキストも然りである。ただし、7割も取れば合格なのであるから、過去問と受験テキストにしぼっても方法としてはまちがいではない。試験は気楽に、クイズでも解くように、というのも良いであろう。(ただ、できれば自分で色々な資料を集めて勉強していく方法がなお良いに決まっている。)

試験範囲は広く、また細かい点を訊いてくるものであるが、ひとつの社会保険体系としてまとまったものと理解していけば、視点も決まってくる。「一即多」の世界なので、結局そうしたものとして捉えているかどうかということにもなろう。横断的理解法というが、これは独特のもので他にはない。法律ひとつひとつをじっくりやりたいという人にはまず向かないだろうし、辛いだけだと思う。尤も、これをすぐ会得できる人も珍しいのだが。

社会保険労務士試験については今後民事訴訟法等係争問題解決業務に必要とされる科目編成につき議論されてきている。
一方、司法修習課程に相当する研修機関をもっていないことから、その実力不足対策が懸念材料としてある。
なお、周知のように、経営権としての労務管理と国家権である労働法並びに労働行政については、スッキリとした関係にあるものではない。したがって、労働法を基礎に置いて労務管理的手法でもってする係争解決手法についてもまた、スッキリとした形があるものではない。
しかも、労働法は憲法を源流とし、それは労働組合の存在を中心に据えたものであり、したがって今はそして将来も機能不全の状態にある。よって、労働組合に換わる全国民をカバーする何某かが期待されるものである。「組織から個人へ」という流れのみでは、労務管理についての観点はカバーされないのである。今しがた「司法修習課程に相当する研修機関をもっていない」と述べたが、それとともに、研修要綱もないのである。というのは、労働組合に換わる全国民をカバーする何某かの機能についての研究もしくは言及は、大学機関を以ってしても着手に至らないのであって、開発途上にあるからである。
消えた年金記録(実際には「未統合記録」がほとんどで、未加入事業所や未適用問題も含まれる)に消えた年金受給者に、またおそらく次もあることだろう。総務省がこうした事業を嫌がりはじめており、「内務省」のような省庁統合行政機関がやはり必要だということであろう。それにしても「宮仕え」は相当辛いらしい‥そこまで遡行しなくてもと。
10年08月27日 | Category: General
Posted by: roumushi
10年07月31日

ねじれ国会

圧倒的人気の民主党が今度は劣勢に回った。そしてまた報道界では「ねじれ」たと騒いでいる。

確かに、法案の行方がわからなくなっている。やみくもに造りすぎといってきたけれど‥

今回民主党には「組織票」が動かなかったとの指摘がある。民主党に入れても直接の見返りがないからである。

民主党が、「国民」という抽象像で新たな層を捉えたその結果が、「組織票」離れとなった。これはニホンに於ける新たな民主主義の展開である。今度は、民主党が「国民」に対して見返りを要求したいところであろう。

この「組織票」という特色も、無責任なものである。個々人(「国民」)が求める法案とは違う、あるいは個々人が何も考えずに、右から左へとスルーすればいいだけの流れで、国政とはそんな程度のものであった。その無責任体制に対して理想主義をもってきた民主党が追い込まれる図式も理解できる。しかし、この「組織票」選挙の時代も、そろそろ個々人の選挙体制へとシフトしていってみてはとも思う。まだまだ日本国内の潜在性とやらを見たいのである。しっかりした国民にもなってもらわなくては困る。当分の間はアマチュアが成長していく「季節」とみた。
10年07月31日 | Category: General
Posted by: roumushi
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