09年11月18日
イルミネーション
11月も半ばが過ぎ、街の中は本格的なクリスマスモードに突入と
言う感じがしますね・・・。
街を歩けば写真のようなイルミネーションが目に付き、建築物は
ライトアップされて華やかさを演出しているのを見ると、第一次オ
イルショックの時のような電力需要の抑制の声はどこに行ったのや
ら、不景気と言う声とは裏腹に町の華やかさは増すばかりと言うの
が実感です。
幾ら省エネが発達したとは言え各自に電力は消費されている訳で、
電力発電が画期的に変化した訳では無いので、問題が先送りされて
いるのが本質と言う所だと思いますが、そんな想いとは裏腹に、こ
のような華やかな物に出会うと何となく気持が華やぐ自分が居るの
も事実で、なんとも複雑な季節には成りました。
言う感じがしますね・・・。
街を歩けば写真のようなイルミネーションが目に付き、建築物は
ライトアップされて華やかさを演出しているのを見ると、第一次オ
イルショックの時のような電力需要の抑制の声はどこに行ったのや
ら、不景気と言う声とは裏腹に町の華やかさは増すばかりと言うの
が実感です。
幾ら省エネが発達したとは言え各自に電力は消費されている訳で、
電力発電が画期的に変化した訳では無いので、問題が先送りされて
いるのが本質と言う所だと思いますが、そんな想いとは裏腹に、こ
のような華やかな物に出会うと何となく気持が華やぐ自分が居るの
も事実で、なんとも複雑な季節には成りました。
09年11月13日
燈臺(とうだい)
昨日、有楽町に出掛けた事を書きましたが、我が事務所から行くと
地下鉄駅から出た所が、関東地方ではよく当る事で有名な宝くじ売
り場が有る所なのですが、そこにこのような銅像が有ったを知ら無
かったのでカメラに収めて見ました。
この銅像の解説板によると、作者は北村西望(きたむらせいぼう)
と言う彫刻家で、題名は「燈臺(とうだい)」と言う事で、この作
品は昭和6年(1931)の帝国美術院第12回美術展覧会に出品され
た物を、昭和8年の関東大震災10周年の記念塔として設置された
と有りました。
この作者はその後に長崎の平和祈念像を制作したのだそうです。
しかし、この像の青年が兜を装って松明を捧げて獅子を従えた作品
が震災祈念に相応しいと言う事で設置されたのが、何となく理解で
きない私では有りました。
地下鉄駅から出た所が、関東地方ではよく当る事で有名な宝くじ売
り場が有る所なのですが、そこにこのような銅像が有ったを知ら無
かったのでカメラに収めて見ました。
この銅像の解説板によると、作者は北村西望(きたむらせいぼう)
と言う彫刻家で、題名は「燈臺(とうだい)」と言う事で、この作
品は昭和6年(1931)の帝国美術院第12回美術展覧会に出品され
た物を、昭和8年の関東大震災10周年の記念塔として設置された
と有りました。
この作者はその後に長崎の平和祈念像を制作したのだそうです。
しかし、この像の青年が兜を装って松明を捧げて獅子を従えた作品
が震災祈念に相応しいと言う事で設置されたのが、何となく理解で
きない私では有りました。
09年10月21日
あかりの日
1年365日の夫々に何の日と命名されています。
そう言う訳で今日は建築に関係ある日で「あかりの日」です。
この日は照明学会と照明関係4団体(社団法人日本電球工業会、
社団法人日本照明器具工業会、社団法人日本電気協会)が1879年
10月21日、エジソンによって開発された実用的な白熱電球が40時間
点灯した日である事に因み、10月21日に決めたそうです。
我々は白熱電球を発明したのはエジソンと習いましたが、改めて調
べてみると、白熱電球を発明したのはイングランドのサー・ジョゼ
フ・ウィルスン・スワン(Sir Joseph Wilson Swan)と言う人で、
エジソンは日本の京都男山八幡付近の竹の繊維を炭化して作った
フィラメントを使用して長時間(1200時間)の点灯に成功したと言
うのが事実のようです。
まぁ、調べていると白熱電球が40時間(この時間は伝説になって
いるらしい)点灯したのは1879年10月22日でその時のフィラメント
は炭化した紙とかで10月21日に制定した根拠か何だか怪しく感
じられて来たので、それ以上は不問としましたが、その様な先人の
努力のお陰で現在が有り、その電球も低炭素社会を目指すために
LEDに取って代わられようとしている現在です。
そう言う訳で今日は建築に関係ある日で「あかりの日」です。
この日は照明学会と照明関係4団体(社団法人日本電球工業会、
社団法人日本照明器具工業会、社団法人日本電気協会)が1879年
10月21日、エジソンによって開発された実用的な白熱電球が40時間
点灯した日である事に因み、10月21日に決めたそうです。
我々は白熱電球を発明したのはエジソンと習いましたが、改めて調
べてみると、白熱電球を発明したのはイングランドのサー・ジョゼ
フ・ウィルスン・スワン(Sir Joseph Wilson Swan)と言う人で、
エジソンは日本の京都男山八幡付近の竹の繊維を炭化して作った
フィラメントを使用して長時間(1200時間)の点灯に成功したと言
うのが事実のようです。
まぁ、調べていると白熱電球が40時間(この時間は伝説になって
いるらしい)点灯したのは1879年10月22日でその時のフィラメント
は炭化した紙とかで10月21日に制定した根拠か何だか怪しく感
じられて来たので、それ以上は不問としましたが、その様な先人の
努力のお陰で現在が有り、その電球も低炭素社会を目指すために
LEDに取って代わられようとしている現在です。
09年10月20日
秋の夕日
今日の夕方は久しぶりに綺麗な空を見る事が出来ました。
秋の空と言えば「天高く」と言われように空が高く見えますが、実
際に天気現象が起こる対流圏の高さと言うか厚さは秋よりも夏の方
が高いそうですが、秋は空気が乾燥しているために細かい塵や埃が
少なくなる為に遠くまで見通せるからだとか。
余談ですがこの対流圏の外側のところが成層圏ですが、その対流
圏と成層圏との境を「対流圏界面」と言うそうです。
そんな秋の夕日を見ながら、夕日の好きな私は、夕日と共に過ごせ
る西側に大きく開く事が出来る住宅は結構好きです。
秋の空と言えば「天高く」と言われように空が高く見えますが、実
際に天気現象が起こる対流圏の高さと言うか厚さは秋よりも夏の方
が高いそうですが、秋は空気が乾燥しているために細かい塵や埃が
少なくなる為に遠くまで見通せるからだとか。
余談ですがこの対流圏の外側のところが成層圏ですが、その対流
圏と成層圏との境を「対流圏界面」と言うそうです。
そんな秋の夕日を見ながら、夕日の好きな私は、夕日と共に過ごせ
る西側に大きく開く事が出来る住宅は結構好きです。
09年10月05日
秋祭り
昨日は私が住んでいる町の秋祭りが行われて、昼間から大人御輿や
子供御輿、そして大太鼓を載せた山車が出て普段は静かな住宅街も
この日ばかりは賑やかな日でした。
夜は御輿が宮入りをして一際賑やかになり、神社の境内では近所の
方達の日頃の精進されている芸能が披露され、都会で見る事が少な
くなった村祭りのような雰囲気を感じさせていました。
都会は隣近所との付き合いが希薄になって来ていて、社会全体が包
摂を失いつつある現在、祭りの時だけとは言え人の繋がりが感じら
れ、何となくほのぼのとした一日でした。
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子供御輿、そして大太鼓を載せた山車が出て普段は静かな住宅街も
この日ばかりは賑やかな日でした。
夜は御輿が宮入りをして一際賑やかになり、神社の境内では近所の
方達の日頃の精進されている芸能が披露され、都会で見る事が少な
くなった村祭りのような雰囲気を感じさせていました。
都会は隣近所との付き合いが希薄になって来ていて、社会全体が包
摂を失いつつある現在、祭りの時だけとは言え人の繋がりが感じら
れ、何となくほのぼのとした一日でした。