07年05月24日
ビジネス感覚は何事にも生かせる!
=================
マツモトキヨシ創業者 松本 清氏
応用人間、やりくり上手、大衆反応型
=================
東国原知事はタレントである知名度を宮崎のPRに役立てようと、
色々なキャラクターグッズを作り、精力的に宣伝活動を行っているそうです。
民間から出てきたなら、それまでの経験を生かして
官僚や政治家では絶対出来ないことをやってこそ、
「やっぱりこの人に投票して良かった」
と思ってもらえるのではないでしょうか。
▲ ほら吹き上手は商売上手?
こんなことを言っては、大目玉かもしれませんが、
商売上手になるには、ほら吹き上手になることが一番だと思っています。
事業を始めたての時のように、信用も無く、資金力も無いときに
そのままの姿で商売をしていては、競争相手に勝てるはずがありません。
そこで、無いものを、さもあるかのように、
「ほらを吹く」テクニックが、商売を左右するのではないでしょうか。
嘘をついて騙すことは、良いはずがありません。
ほらを吹くというのは、人を騙すことではなく、
そのときは嘘であっても、きちんと約束はやり遂げることです。
嘘がばれても、笑って済ませられるようであれば、
それは、大ぼら吹きで済むかもしれません、
しかし、ほらを吹いたことを、実行できなければ
それは、嘘になってしまいます。
「ほら」と「嘘」のさじ加減は、非常に微妙で、
このバランスをきちんと採ることを覚えておかないと
「粉飾」「風説の流布」などのように、
取り返しのつかないことになってしまいます。
▲ 貧しさから生まれてくるもの
「貧乏」「貧困」「貧弱」「貧相」…
貧(まずしい)という言葉に続くことばは、
「お金」や「容姿」に関することが多いですね。
昔は、収入が無くて、食事もろくに採れなく、
みすぼらしくなることが、貧しいことでした。
これまでご紹介してきたように、
そのような状況から、カリスマ経営者は、発明を生み出し、
工夫を凝らして大きな事業を成し遂げています。
彼らにとって、工夫することは、
幼少のときから常に行ってきたことで、
無意識にしてきたことかもしれません。
このように身体に染み付いた感覚こそが、
後の成功の原動力になっているのではないでしょうか。
無いものは「無い」時代に、
貧しくなったのは「発想」や「心」になってきています。
「貧乏」で「貧弱」であった青年が、
稀なる発想で、工夫を凝らし世間を驚かせ続けました。
「マツキヨ」ことマツモトキヨシの創業者、松本 清氏、
その才覚は、商売だけに収まることなく、
政治の世界へ受け継がれていきました。
▲ やりくり上手
清氏は、薬の免許をとるため猛勉強中でした。
薬局で丁稚奉公しているとき、
薬について勉強する時間が無くて困っていた。
新しく配達の当番が回ってきたとき、時間を早く切り上げて、
その空いた時間を勉強にまわすことを思いつく。
薬局の無い町に開店すれば儲かるはずと、北小金の駅前に店舗を構えるが、
なかなか客足は伸びない。
来店してきたお客に話を持ちかけ、長居してもらい
繁盛しているように見せかけた。
また、薬を買ったお客から空き箱を譲ってもらい、
空き箱をショーケースに並べ、品揃えが少ないのをカバーしたのです。
普段は扱っていない、高級化粧品や輸入品も、
「今、商品を切らしているので、1、2日待ってください」
と、あるふりをして注文を受ける。
そして、知り合いの薬局へ自転車を飛ばして買いに行くのでした。
従業員に使い込みをされて、会社が倒産しかけになった時、
清氏はその存亡の危機を乗り切るため、ビル建設を持ち出す。
地元の有力者の力添えで、農家から事業拡大のための資金として借りてくる。
そのお金は、返済日より必ず1日早く返すようにする。
そうすることが、信用を生み、
2回目の借金がしやすくなると思ったからです。
この、「ほら吹き」と「やりくり上手」が、
千葉県松戸市で「すぐやる課」を作った
松本市長を誕生させるのでした。
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マツモトキヨシ創業者 松本 清氏
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東国原知事はタレントである知名度を宮崎のPRに役立てようと、
色々なキャラクターグッズを作り、精力的に宣伝活動を行っているそうです。
民間から出てきたなら、それまでの経験を生かして
官僚や政治家では絶対出来ないことをやってこそ、
「やっぱりこの人に投票して良かった」
と思ってもらえるのではないでしょうか。
▲ ほら吹き上手は商売上手?
こんなことを言っては、大目玉かもしれませんが、
商売上手になるには、ほら吹き上手になることが一番だと思っています。
事業を始めたての時のように、信用も無く、資金力も無いときに
そのままの姿で商売をしていては、競争相手に勝てるはずがありません。
そこで、無いものを、さもあるかのように、
「ほらを吹く」テクニックが、商売を左右するのではないでしょうか。
嘘をついて騙すことは、良いはずがありません。
ほらを吹くというのは、人を騙すことではなく、
そのときは嘘であっても、きちんと約束はやり遂げることです。
嘘がばれても、笑って済ませられるようであれば、
それは、大ぼら吹きで済むかもしれません、
しかし、ほらを吹いたことを、実行できなければ
それは、嘘になってしまいます。
「ほら」と「嘘」のさじ加減は、非常に微妙で、
このバランスをきちんと採ることを覚えておかないと
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取り返しのつかないことになってしまいます。
▲ 貧しさから生まれてくるもの
「貧乏」「貧困」「貧弱」「貧相」…
貧(まずしい)という言葉に続くことばは、
「お金」や「容姿」に関することが多いですね。
昔は、収入が無くて、食事もろくに採れなく、
みすぼらしくなることが、貧しいことでした。
これまでご紹介してきたように、
そのような状況から、カリスマ経営者は、発明を生み出し、
工夫を凝らして大きな事業を成し遂げています。
彼らにとって、工夫することは、
幼少のときから常に行ってきたことで、
無意識にしてきたことかもしれません。
このように身体に染み付いた感覚こそが、
後の成功の原動力になっているのではないでしょうか。
無いものは「無い」時代に、
貧しくなったのは「発想」や「心」になってきています。
「貧乏」で「貧弱」であった青年が、
稀なる発想で、工夫を凝らし世間を驚かせ続けました。
「マツキヨ」ことマツモトキヨシの創業者、松本 清氏、
その才覚は、商売だけに収まることなく、
政治の世界へ受け継がれていきました。
▲ やりくり上手
清氏は、薬の免許をとるため猛勉強中でした。
薬局で丁稚奉公しているとき、
薬について勉強する時間が無くて困っていた。
新しく配達の当番が回ってきたとき、時間を早く切り上げて、
その空いた時間を勉強にまわすことを思いつく。
薬局の無い町に開店すれば儲かるはずと、北小金の駅前に店舗を構えるが、
なかなか客足は伸びない。
来店してきたお客に話を持ちかけ、長居してもらい
繁盛しているように見せかけた。
また、薬を買ったお客から空き箱を譲ってもらい、
空き箱をショーケースに並べ、品揃えが少ないのをカバーしたのです。
普段は扱っていない、高級化粧品や輸入品も、
「今、商品を切らしているので、1、2日待ってください」
と、あるふりをして注文を受ける。
そして、知り合いの薬局へ自転車を飛ばして買いに行くのでした。
従業員に使い込みをされて、会社が倒産しかけになった時、
清氏はその存亡の危機を乗り切るため、ビル建設を持ち出す。
地元の有力者の力添えで、農家から事業拡大のための資金として借りてくる。
そのお金は、返済日より必ず1日早く返すようにする。
そうすることが、信用を生み、
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07年05月17日
凡人でない視点が独創を生む
===============
セコム創業者 飯田 亮氏
独創型、困難突破人、社会還元派
===============
セコムが遠隔監システムを開始して40年を超える、
その利用者は100件を突破しているという。
治安に対する不安からくるのか、ここ最近増えているらしい。
「ロボット警備」なるものも登場して、
SFさながら「○○警備隊」が登場するのも、
夢ではない時代がやってくる。
▲ 「独創的発想」が実を結ぶ喜び
飯田氏が警備業を日本で最初にはじめたのが62年のこと。
世の中では会社の警備は自前でするのがあたりまえ、
社員の宿直や警備社員で盗難に備えていました。
「電話帳に載っていないような商売はダメだ」と父親に勘当されてまでも、
はじめた警備業でありましたが、その結果は泣かず飛ばず、
初年度の契約はたった一件だけでした。
未知なことには困難なこともたくさん、そのかわり最初の者でしか
味わえないチャンスもたくさん巡ってくるのです。
警備会社を設立しようにも元手に困っていたところ、
案内の手紙を送ったヨーロッパの警備業の団体の会長から、
運よく出資を受けられ、開業にこぎつけることが出来たのです。
開業2年目には、意外にも東京オリンピックの選手村を警備する話が
持ち込まれました。
ピーク時には100人近い社員を派遣し、マスコミにも取り上げられ
イメージアップに繋がったのです。
なんといっても知名度が上がったのは、テレビドラマのモデルとして
取り上げられたことでした。
そのドラマの名前は「ザ・ガードマン」、番組は7年近く続いた番組となり
「ガードマン」という職業も認められるようになったのです。
▲ “ヒジョーシキ”なビジネス
日本で初めての警備会社、電話回線を使った遠隔監視システムの導入、
第二電電(現在のKDDI)の設立に参画、医療事業へ進出。
飯田氏は常に未知なものに挑戦しています。
当然の事ながら、全てがうまくいくはずも無く、失敗することもあります。
日本は様々な分野で規制が働いていて、その規制が緩和されるまで
時期を待たないといけないこともあります。
「世間でまかり通っている慣習とか常識とかには、
ずいぶん不合理なものが多い」
また、常識を疑って考えることも大切です。
彼は顧客との契約方法で、今までの商売には無い前金制を採用したのです。
また、遠隔監視システムでは警備機器を販売せず
レンタルすることに決めました。
事業を起こすとき、周りがどんなに有望だといっても、否定して疑ってみる。
世の中は儲けられることより、損することが多いのです。
新規事業がどれだけ損に耐えられるか計算できていれば、後は安全なのです。
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独創型、困難突破人、社会還元派
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セコムが遠隔監システムを開始して40年を超える、
その利用者は100件を突破しているという。
治安に対する不安からくるのか、ここ最近増えているらしい。
「ロボット警備」なるものも登場して、
SFさながら「○○警備隊」が登場するのも、
夢ではない時代がやってくる。
▲ 「独創的発想」が実を結ぶ喜び
飯田氏が警備業を日本で最初にはじめたのが62年のこと。
世の中では会社の警備は自前でするのがあたりまえ、
社員の宿直や警備社員で盗難に備えていました。
「電話帳に載っていないような商売はダメだ」と父親に勘当されてまでも、
はじめた警備業でありましたが、その結果は泣かず飛ばず、
初年度の契約はたった一件だけでした。
未知なことには困難なこともたくさん、そのかわり最初の者でしか
味わえないチャンスもたくさん巡ってくるのです。
警備会社を設立しようにも元手に困っていたところ、
案内の手紙を送ったヨーロッパの警備業の団体の会長から、
運よく出資を受けられ、開業にこぎつけることが出来たのです。
開業2年目には、意外にも東京オリンピックの選手村を警備する話が
持ち込まれました。
ピーク時には100人近い社員を派遣し、マスコミにも取り上げられ
イメージアップに繋がったのです。
なんといっても知名度が上がったのは、テレビドラマのモデルとして
取り上げられたことでした。
そのドラマの名前は「ザ・ガードマン」、番組は7年近く続いた番組となり
「ガードマン」という職業も認められるようになったのです。
▲ “ヒジョーシキ”なビジネス
日本で初めての警備会社、電話回線を使った遠隔監視システムの導入、
第二電電(現在のKDDI)の設立に参画、医療事業へ進出。
飯田氏は常に未知なものに挑戦しています。
当然の事ながら、全てがうまくいくはずも無く、失敗することもあります。
日本は様々な分野で規制が働いていて、その規制が緩和されるまで
時期を待たないといけないこともあります。
「世間でまかり通っている慣習とか常識とかには、
ずいぶん不合理なものが多い」
また、常識を疑って考えることも大切です。
彼は顧客との契約方法で、今までの商売には無い前金制を採用したのです。
また、遠隔監視システムでは警備機器を販売せず
レンタルすることに決めました。
事業を起こすとき、周りがどんなに有望だといっても、否定して疑ってみる。
世の中は儲けられることより、損することが多いのです。
新規事業がどれだけ損に耐えられるか計算できていれば、後は安全なのです。
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07年05月10日
桁外れの発想の「味」を生み出す
=================
日本マクドナルド創業者 藤田 田氏
かた破り型、こなす系、一徹人間
=================
皆さんは、「ファースト・フード」にどのような
「味」を期待されておられるでしょうか。
色々な制約が多い中で、他と違った「味」を印象づけるには
考え尽くされた「仕掛け」が必要なのです。
▲ 「味」の感じ方
日本でハンバーガーといえば、故藤田 田氏の日本マクドナルド。
アメリカ本国では、ジャンクフードの象徴とまでされている
ハンバーガーを、流行の最先端のファッションにまで仕立てて、
日本に上陸させたのは、その人です。
京都・藤井大丸百貨店への出店は関西第1号店になりますが。
当時の私も、その流行に乗り遅れずと、いそいそと出かけて行った
一人でありました。
日本1号店を、東京銀座の三越百貨店一階に、
月曜の休館日を挟んで、39時間で開店したことは、
あまりにも有名な話です。
アメリカでは、郊外に出店しているマクドナルドを、
なぜ、日本では都心の一等地で展開することに決めたのか。
それは、外食として一足先に日本へ上陸した、
ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の失敗を
目の当たりにしたからです。
KFCは、アメリカのノウハウをそのまま採用して、
郊外へ出店しましたが、名古屋の第1号店だけでなく、
2号店、3号店とも不振続きでした。
日本人の郊外志向は、まだまだ時期が早すぎたのでした。
▲ ファースト・フードのこだわり
アメリカ流のマニュアルを何もかも取り入れて、
一般的に無機質と捉えられる、外食チェーンですが、
それぞれのこだわりは、やはり味にあるといえます。
マクドナルド、創設者のレイ・クロックが、
マクドナルドのハンバーガーを全米に広げることができたことの一つが、
フライドポテトへのこだわりです。
肉の味で、他のハンバーガーと違いを出すのはとても難しいけれど、
フライドポテトの味の差別化はつけやすい。
その答えが「揚げて3分たった、ポテトは理屈抜きに捨てる」ことでした。
KFCの場合は、鶏の味を守るため、海外からの冷凍を嫌い、
高い国産の鶏を使い続けるため、餌にハープを混ぜて育てて、
ハーブ鶏を開発しました。
また、K・サンダース伝来の味付け方法を、
ずっと守り続けているのも日本だけです。
何時でも、何処でも、「自分たちの味」の商品を提供することが、
ファースト・フードの「味」のこだわりといえます。
そのためには「自分たちの味」を守るための、
徹底した「仕掛け」作りが必要なのです。
パンの厚さから中の気泡の大きさまで、
強いては厨房のレイアウトから接客方法まで考えつくすことが、
味を守ることにつながります。
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かた破り型、こなす系、一徹人間
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皆さんは、「ファースト・フード」にどのような
「味」を期待されておられるでしょうか。
色々な制約が多い中で、他と違った「味」を印象づけるには
考え尽くされた「仕掛け」が必要なのです。
▲ 「味」の感じ方
日本でハンバーガーといえば、故藤田 田氏の日本マクドナルド。
アメリカ本国では、ジャンクフードの象徴とまでされている
ハンバーガーを、流行の最先端のファッションにまで仕立てて、
日本に上陸させたのは、その人です。
京都・藤井大丸百貨店への出店は関西第1号店になりますが。
当時の私も、その流行に乗り遅れずと、いそいそと出かけて行った
一人でありました。
日本1号店を、東京銀座の三越百貨店一階に、
月曜の休館日を挟んで、39時間で開店したことは、
あまりにも有名な話です。
アメリカでは、郊外に出店しているマクドナルドを、
なぜ、日本では都心の一等地で展開することに決めたのか。
それは、外食として一足先に日本へ上陸した、
ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の失敗を
目の当たりにしたからです。
KFCは、アメリカのノウハウをそのまま採用して、
郊外へ出店しましたが、名古屋の第1号店だけでなく、
2号店、3号店とも不振続きでした。
日本人の郊外志向は、まだまだ時期が早すぎたのでした。
▲ ファースト・フードのこだわり
アメリカ流のマニュアルを何もかも取り入れて、
一般的に無機質と捉えられる、外食チェーンですが、
それぞれのこだわりは、やはり味にあるといえます。
マクドナルド、創設者のレイ・クロックが、
マクドナルドのハンバーガーを全米に広げることができたことの一つが、
フライドポテトへのこだわりです。
肉の味で、他のハンバーガーと違いを出すのはとても難しいけれど、
フライドポテトの味の差別化はつけやすい。
その答えが「揚げて3分たった、ポテトは理屈抜きに捨てる」ことでした。
KFCの場合は、鶏の味を守るため、海外からの冷凍を嫌い、
高い国産の鶏を使い続けるため、餌にハープを混ぜて育てて、
ハーブ鶏を開発しました。
また、K・サンダース伝来の味付け方法を、
ずっと守り続けているのも日本だけです。
何時でも、何処でも、「自分たちの味」の商品を提供することが、
ファースト・フードの「味」のこだわりといえます。
そのためには「自分たちの味」を守るための、
徹底した「仕掛け」作りが必要なのです。
パンの厚さから中の気泡の大きさまで、
強いては厨房のレイアウトから接客方法まで考えつくすことが、
味を守ることにつながります。
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07年05月02日
なるほどと肯かせる!「閃き」を形にする力
===============
任天堂前社長 山内 溥氏
探究系、アイデアマン、采配型
===============
Wiiは1400万台、ニンテンドーDSの累計販売は
4000万台に到達する勢いで、
今期は創業以来の連結売上1兆円を超える見通しです。
「利息だけで社員の給与が払える」といわれるほどの優良企業、
金額は社員一人当たり2000万円を超えます。
それは、アイデアを形にする執念が実を結んだ結果なのです。
▲ 「閃き」は形にするまでが大変
今は世界的なファミコン、ゲーム機メーカーとなった任天堂。
その創業は花札から始まったことをご存知でしょうか。
任天堂は明治時代半ば、京都で一人の職人が花札をつくり、
販売したことから始まりました。
それから現在に至るまで、一貫して「ゲーム」というものに
焦点をあわせて歩んできましたが、
その道のりは決して平坦ではありませんでした。
数々のヒット商品を生み出しながら、その次にやってく失敗の数々。
「運を天に任せる」、正に社名を地でいく状態が続いたのです。
その道のり…
○花札の普及を土台にして、トランプカードへ事業拡大し、
日本一のカードメーカーとなる。
×脱カードを目指し、ホテル経営、タクシー会社、
インスタント食品に手を出すが、ことごとく失敗。
○ウルトラハンド、ウルトラマシン、ウルトラスコープなど
子供向け玩具が大ヒット。
×簡易コピー機、文房具、学生用の教材、運動具、育児用品など
多角化を図るが、どれも失敗、
借金でいつつぶれてもおかしくない状態となる。
○光線銃が空前の大ヒット。エレクトロニクスの分野に足を踏み入れる。
×レーザークレー射撃場を日本全国にレジャー施設として
展開しようとするが、オイルショックにより頓挫。
○テレビ用ゲーム機に参入。その後ファミコン、携帯ゲーム機のヒット、
現在の任天堂となる。
▲ 「眼」を鍛え、「人」を育てる
世界的ゲーム機メーカーとしての任天堂は、
前社長 山内 溥(ひろし)氏が作り上げたといっても、
言い過ぎではないでしょう。
しかし、お話したような失敗の連続も、
同じ経営者がしてしまったものです。
若干22才で会社の跡継ぎとなり
、試行錯誤の末、たどり着いた会社の基盤。
その経験の中で、山内氏が見つけたものは、
事業と人の「目利き」では無かったのでしょうか。
数々のヒット商品の陰には、無名な社員の発想があり、
それは会議の中から生まれることが無いことを、
経験を持って学んだのです。
大企業が、人やお金をどんなにつぎ込んでも
ファミコンは作り出せなかった。
しかし任天堂だからこそ、ファミコンを生み出せた。
新しいものは、たくさんの人の知恵で作り出せるのではなく、
優秀な社員の発想と、それを見極められる
経営者トップの目利きにあるのです。
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07年04月27日
「この人こそ事業家」と言わしめる自信あり!
================
読売グループ創始者 正力松太郎氏
頭脳活用型、掛持ち症、自信家
================
持ち前の頭の良さは、若いときには裏目に出て苦労することも多い
しかし、その頭の良さは、年齢を重ねると共に研ぎ澄まされ、
湧き出るアイデアに惹かれ、人望が集まることとなる
▲ 「無謀」を「奇跡」に変える力
正力松太郎氏は、たたき上げの警察官僚でした。
入職以来目覚しい功績でスピード出世したものの、
昭和天皇の皇太子時代におきた狙撃事件の責任をとらされ、
懲戒免官になります。
今までろくに筆を執ったことが無い正力氏が
無謀にも瀕死状態であった読売新聞の経営権を買い取り、
日本有数の新聞会社に育て上げることになったのです。
経営権を買い取るにも満足に資金がなかった彼は、
元上司、同級生やその親戚友人からかき集めました。
それでも毎月出る赤字の穴埋めに間にあわず、
起死回生に挑んだ大イベント、
国技館納涼博覧会の資金の工面には、
警察官僚時代からの人脈と政治力を駆使しました。
赤字経営から脱却する原動力になった、
「世紀の囲碁対決」を実現できたのは、
警察官僚時代の人脈であったし、
ボクシングチャンピオンを招致し、
また多摩川公園で菊人形展を企画したときも、
大学時代の人脈を頼りにやっとこぎつけたのでした。
自らが持つ人脈を最大限に生かし、資金、才能までも自分の見方に
することが出来た人物、それが正力氏であったのです。
▲ 「自信」は怖いもの知らず
彼は知りつくしていました、
「大衆が珍しいものに競って飛びつく」ということ。
警察官僚時代に、捜査や取締りをする際に必要なのは、
大衆の利害と関心の方向なのです。
それを先回りして察知し、
暴発するのを防ぐのが彼の役割だったからです。
そんな正力氏が実力を見せたのは、
新聞に初めてラジオ版を作ったことです。
ラジオ放送が開始されて4ヶ月後、
紙の色をピンク色にした見開き2面のラジオ版をスタートさせたのです。
他の新聞社は自分たちの敵になることを敬遠して、
ラジオ番組を一切載せていませんでした。
新聞業界の常識をまったく知らないよそ者の強みだったのでした。
見事に狙いは的中し、一気に1万部以上発行部数が増え、
その後もラジオの普及とともに益々勢いを増していきました。
また、通信網や販売網が遅れていた読売新聞が、
大手新聞社に対抗していくために正力氏が考えたのは、
イベントを企画してそれを新聞に載せることでした。
それは資金力の無い、読売新聞にとって最もお金のかからない
拡販の方法だったのです。
「イベントを立ち上げて読者の興味を引き、
それを見込んだスポンサーからの広告収入を狙う」
大衆が望むイベントさえ企画できれば、新規購読者が獲得でき、
同時にスポンサーからの広告収入が入る、
さらにはイベント自体の興行収入も期待できる。
正力氏が「水雷作戦」と名付けたこの作戦は、三流新聞社が一流新聞社の
「戦艦」に対抗するため、大衆にむけた情報と言うものを最大限に生かした
戦略だったのです。
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