ミズノ(美津濃) 創業者 水野利八氏

 
  
 種まき経営、持ち上げ上手、積み重ね型
 
  
 

若いときの感動が忘れられず、
その道へ進み職業とする人も多いはずです。

「夢」を「現実」にするには、
コツコツとした地道な努力の積み重ねと、
周りが思いもかけないような、
飛びぬけた発想力を持ち合わせてなくてはいけません。

そのかけ離れた二つの才能を持ち合わせて、
日本に野球を広げていったのです。

 

   
 

奉公先の呉服屋で外回りの途中、偶然目にした、
生まれて始めて見る野球の試合。
高鳴る思いを忘れることが出来ず、
スポーツ用品を扱う洋品雑貨店をオープンします。

誰よりも野球好きであるがゆえ、
選手、観客、みんなの気持ちが手に取るようにわかります。
その気持ちを形にするため、試行錯誤の日々が続きます。

 
   

 

 

スキー、スノボなどは、単なるスポーツというより、
ひとつのファッションになっています。
そんな感覚で、日本にスポーツ用品を広げた
草分け的存在が水野利八氏なのです。
水野氏はその名から察しられるとおり、スポーツ用品メーカー、
ミズノ(美津濃)の創業者です。


時代は明治末、アメリカから入ってきた野球は、
瞬く間に日本にブームを巻き起こします。
明治36年には第一回早慶戦が開催され、学生の間では
野球選手に対する憧れは、スポーツ以上のものとなっていきました。
その10年後には、豊中グラウンドで、夏の甲子園大会の前身となる、
関西学生連合野球大会が開催されました。


水野氏は、そのような時代の感覚を見事につかみ、
スポーツ用具を「ファッション」と位置づけ、
流行に敏感な学生に狙いを定めていきます。


『ランニングパンツ、オーバーセーター、カッターシャツ』
これらの名前は、水野氏が付けたものです。
カッターシャツは、なんと「勝った」シャツから
名づけられたというのですから、お見事なものです。


その中で象徴的といえるのが、
太い毛糸、長袖、ダブルの前あわせ、大きなボタンを付けた
オーバーセーター。
学生の間で大ヒットとなり爆発的に売れたそうです。


また、スポーツの大衆化をめざし、数々の用具の規格化を行いました。
規格化することにより大量生産が可能になり、
みんなの手元に用具が行きわたることが出来たのです。

  
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