07年04月27日
「この人こそ事業家」と言わしめる自信あり!
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読売グループ創始者 正力松太郎氏
頭脳活用型、掛持ち症、自信家
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持ち前の頭の良さは、若いときには裏目に出て苦労することも多い
しかし、その頭の良さは、年齢を重ねると共に研ぎ澄まされ、
湧き出るアイデアに惹かれ、人望が集まることとなる
▲ 「無謀」を「奇跡」に変える力
正力松太郎氏は、たたき上げの警察官僚でした。
入職以来目覚しい功績でスピード出世したものの、
昭和天皇の皇太子時代におきた狙撃事件の責任をとらされ、
懲戒免官になります。
今までろくに筆を執ったことが無い正力氏が
無謀にも瀕死状態であった読売新聞の経営権を買い取り、
日本有数の新聞会社に育て上げることになったのです。
経営権を買い取るにも満足に資金がなかった彼は、
元上司、同級生やその親戚友人からかき集めました。
それでも毎月出る赤字の穴埋めに間にあわず、
起死回生に挑んだ大イベント、
国技館納涼博覧会の資金の工面には、
警察官僚時代からの人脈と政治力を駆使しました。
赤字経営から脱却する原動力になった、
「世紀の囲碁対決」を実現できたのは、
警察官僚時代の人脈であったし、
ボクシングチャンピオンを招致し、
また多摩川公園で菊人形展を企画したときも、
大学時代の人脈を頼りにやっとこぎつけたのでした。
自らが持つ人脈を最大限に生かし、資金、才能までも自分の見方に
することが出来た人物、それが正力氏であったのです。
▲ 「自信」は怖いもの知らず
彼は知りつくしていました、
「大衆が珍しいものに競って飛びつく」ということ。
警察官僚時代に、捜査や取締りをする際に必要なのは、
大衆の利害と関心の方向なのです。
それを先回りして察知し、
暴発するのを防ぐのが彼の役割だったからです。
そんな正力氏が実力を見せたのは、
新聞に初めてラジオ版を作ったことです。
ラジオ放送が開始されて4ヶ月後、
紙の色をピンク色にした見開き2面のラジオ版をスタートさせたのです。
他の新聞社は自分たちの敵になることを敬遠して、
ラジオ番組を一切載せていませんでした。
新聞業界の常識をまったく知らないよそ者の強みだったのでした。
見事に狙いは的中し、一気に1万部以上発行部数が増え、
その後もラジオの普及とともに益々勢いを増していきました。
また、通信網や販売網が遅れていた読売新聞が、
大手新聞社に対抗していくために正力氏が考えたのは、
イベントを企画してそれを新聞に載せることでした。
それは資金力の無い、読売新聞にとって最もお金のかからない
拡販の方法だったのです。
「イベントを立ち上げて読者の興味を引き、
それを見込んだスポンサーからの広告収入を狙う」
大衆が望むイベントさえ企画できれば、新規購読者が獲得でき、
同時にスポンサーからの広告収入が入る、
さらにはイベント自体の興行収入も期待できる。
正力氏が「水雷作戦」と名付けたこの作戦は、三流新聞社が一流新聞社の
「戦艦」に対抗するため、大衆にむけた情報と言うものを最大限に生かした
戦略だったのです。
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