07年05月02日
なるほどと肯かせる!「閃き」を形にする力
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任天堂前社長 山内 溥氏
探究系、アイデアマン、采配型
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Wiiは1400万台、ニンテンドーDSの累計販売は
4000万台に到達する勢いで、
今期は創業以来の連結売上1兆円を超える見通しです。
「利息だけで社員の給与が払える」といわれるほどの優良企業、
金額は社員一人当たり2000万円を超えます。
それは、アイデアを形にする執念が実を結んだ結果なのです。
▲ 「閃き」は形にするまでが大変
今は世界的なファミコン、ゲーム機メーカーとなった任天堂。
その創業は花札から始まったことをご存知でしょうか。
任天堂は明治時代半ば、京都で一人の職人が花札をつくり、
販売したことから始まりました。
それから現在に至るまで、一貫して「ゲーム」というものに
焦点をあわせて歩んできましたが、
その道のりは決して平坦ではありませんでした。
数々のヒット商品を生み出しながら、その次にやってく失敗の数々。
「運を天に任せる」、正に社名を地でいく状態が続いたのです。
その道のり…
○花札の普及を土台にして、トランプカードへ事業拡大し、
日本一のカードメーカーとなる。
×脱カードを目指し、ホテル経営、タクシー会社、
インスタント食品に手を出すが、ことごとく失敗。
○ウルトラハンド、ウルトラマシン、ウルトラスコープなど
子供向け玩具が大ヒット。
×簡易コピー機、文房具、学生用の教材、運動具、育児用品など
多角化を図るが、どれも失敗、
借金でいつつぶれてもおかしくない状態となる。
○光線銃が空前の大ヒット。エレクトロニクスの分野に足を踏み入れる。
×レーザークレー射撃場を日本全国にレジャー施設として
展開しようとするが、オイルショックにより頓挫。
○テレビ用ゲーム機に参入。その後ファミコン、携帯ゲーム機のヒット、
現在の任天堂となる。
▲ 「眼」を鍛え、「人」を育てる
世界的ゲーム機メーカーとしての任天堂は、
前社長 山内 溥(ひろし)氏が作り上げたといっても、
言い過ぎではないでしょう。
しかし、お話したような失敗の連続も、
同じ経営者がしてしまったものです。
若干22才で会社の跡継ぎとなり
、試行錯誤の末、たどり着いた会社の基盤。
その経験の中で、山内氏が見つけたものは、
事業と人の「目利き」では無かったのでしょうか。
数々のヒット商品の陰には、無名な社員の発想があり、
それは会議の中から生まれることが無いことを、
経験を持って学んだのです。
大企業が、人やお金をどんなにつぎ込んでも
ファミコンは作り出せなかった。
しかし任天堂だからこそ、ファミコンを生み出せた。
新しいものは、たくさんの人の知恵で作り出せるのではなく、
優秀な社員の発想と、それを見極められる
経営者トップの目利きにあるのです。
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