07年03月12日
【 崩 壊 】
2月21日付の日本経済新聞の朝刊の一面に『みすず・実質解体へ』という記事が掲載さ
れました。
エー、そんな事があるのかと、我が目を疑いながらも、手を止めてすぐその記事に目を
通しました。
全く寝耳に水のニュースであり、驚きです。
記事によれば、大手監査法人のみすず監査法人(旧中央青山監査法人)は、20日、今年
7月をメドに監査業務を新日本、トーマツ、あずさの3監査法人に移管すると正式発表
した、とあります。
旧中央青山監査法人からみすず監査法人への移行の経緯を考えるならば、経営状態は厳
しい状況にあったのであろう、ということは部外者にも推測できます。
しかし、まさか、まさかです。そこまで追いつめられていたとは思いませんでした。
これにより、日本の4大監査法人の一角が空中分解することになり、この夏頃には3大
監査法人時代の幕明けとなります。
海の向こうのアメリカでは、2002年エンロン事件によって、アーサー・アンダーセンと
いう大手会計事務所が解散に追い込まれました。
それと同じことが、日本でも現実に起きたのです。
海の向こうのどこか遠い出来事と違い、日本での出来事であり、より身近です。
みすず監査法人には大学時代の友人も在籍していたりと、今後が心配です。
ネコはたとえネズミをとらなくなってもネコとして大きな存在感がありますが、監査業
務を行わない監査法人はまさに有名無実、カラッポの存在です。
しかし、それにしても組織のモロさ、コワさを痛感します。
零から、一から組織を築き上げていくことの困難さ、組織を維持・発展させていくこと
の困難さに比べ、何と組織の崩壊することの呆気ないことでしょう。
どんなに長い時間をかけて築いた組織でも、崩壊する時は、一瞬にして音をたてて崩れ
ていくガラス細工のようです。
どんな組織もそうですが、組織の大多数の人達は本当に一生懸命頑張っています。
大多数は問題なくとも、組織の一部の不祥事から、組織の崩壊が始まります。
一旦、組織崩壊の歯車が廻り出すと、顧客離れ、人材の流出、信用不安、同業者からの
攻勢等々、懸命になって一箇所の水漏れを防ごうとしている時に次から次とアチコチか
ら水が流れ出し、やがて一気に決壊していくダムのようです。崩壊の歯車は止められま
せん。
経営者として、人を育て、組織を育てることは苦労の連続です。
労多くして割りの合わない仕事に思える時もあります。
しかし、ここでウカツに手を放せば、ダムは決壊するかもしれません。
やるしかないか、第2のみすずや不二家にならないように・・・。
れました。
エー、そんな事があるのかと、我が目を疑いながらも、手を止めてすぐその記事に目を
通しました。
全く寝耳に水のニュースであり、驚きです。
記事によれば、大手監査法人のみすず監査法人(旧中央青山監査法人)は、20日、今年
7月をメドに監査業務を新日本、トーマツ、あずさの3監査法人に移管すると正式発表
した、とあります。
旧中央青山監査法人からみすず監査法人への移行の経緯を考えるならば、経営状態は厳
しい状況にあったのであろう、ということは部外者にも推測できます。
しかし、まさか、まさかです。そこまで追いつめられていたとは思いませんでした。
これにより、日本の4大監査法人の一角が空中分解することになり、この夏頃には3大
監査法人時代の幕明けとなります。
海の向こうのアメリカでは、2002年エンロン事件によって、アーサー・アンダーセンと
いう大手会計事務所が解散に追い込まれました。
それと同じことが、日本でも現実に起きたのです。
海の向こうのどこか遠い出来事と違い、日本での出来事であり、より身近です。
みすず監査法人には大学時代の友人も在籍していたりと、今後が心配です。
ネコはたとえネズミをとらなくなってもネコとして大きな存在感がありますが、監査業
務を行わない監査法人はまさに有名無実、カラッポの存在です。
しかし、それにしても組織のモロさ、コワさを痛感します。
零から、一から組織を築き上げていくことの困難さ、組織を維持・発展させていくこと
の困難さに比べ、何と組織の崩壊することの呆気ないことでしょう。
どんなに長い時間をかけて築いた組織でも、崩壊する時は、一瞬にして音をたてて崩れ
ていくガラス細工のようです。
どんな組織もそうですが、組織の大多数の人達は本当に一生懸命頑張っています。
大多数は問題なくとも、組織の一部の不祥事から、組織の崩壊が始まります。
一旦、組織崩壊の歯車が廻り出すと、顧客離れ、人材の流出、信用不安、同業者からの
攻勢等々、懸命になって一箇所の水漏れを防ごうとしている時に次から次とアチコチか
ら水が流れ出し、やがて一気に決壊していくダムのようです。崩壊の歯車は止められま
せん。
経営者として、人を育て、組織を育てることは苦労の連続です。
労多くして割りの合わない仕事に思える時もあります。
しかし、ここでウカツに手を放せば、ダムは決壊するかもしれません。
やるしかないか、第2のみすずや不二家にならないように・・・。
07年02月10日
【 江戸川土堤 】
平成19年1月21日(日曜)、この日はゴルフに誘われて、ゴルフに行く予定でした。
しかし、顧問先の社長様が亡くなられ、そのお通夜に行くことになり、急遽ゴルフをキャンセルしました。
お世話になった社長様のお通夜となれば、それもやむを得ません。
それはよいのですが、ゴルフの予定が急遽なくなり、しかもお通夜は夕方からなので、何となくポッカリ穴があいてしまったような日曜日になりました。
気分的には何をするにしても、すべて中途半端になってしまいそうです。
事前の天気予報では、雨か雪のハズでしたが、何故か晴れています。
迷った揚句、ヘボゴルフで歩く機会が無くなった代わりに、江戸川まで歩いてみることにしました。
正月からの自堕落な生活で、自分の身体も少々重くなっていたので、ちょうどいい機会です。
歩こう。早速、ウォーキング・シューズをはき、家を出ました。
真間川沿いの桜並木の道を通り、菅野、市川真間、国府台、歩くこと50分。
江戸川土堤に着きました。
目の前には、ゆるやかな弧を描きゆったりと流れる江戸川、対岸は東京です。
東京の街並みがいつもより小さく見えます。今日は、はるか遠くまでよく見渡せます。
そんな景色を見ていると、故人のことを思いだします。
『子、川のほとりに在りて曰わく、逝く者はかくの如きか昼夜をすてず』
(子在川上日、逝者如斬夫、不舎晝夜)
そんな論語の中の言葉が浮かびます。
白く輝き、ゆったりと流れる江戸川は、時の流れのようです。
深呼吸をして、さて、右に行こうか、左に行こうか・・・。
進路を左にとって、海に向って歩くことにしました。
国道14号の市川橋から行徳橋まで片道約4.2km。
目標が決まれば、あとは、ひたすら歩くだけです。
河川敷では、サッカー、少年野球、釣、凧揚げ、ボーイスカウトの訓練等々思い思いに冬の休日を楽しんでいます。
冬の冷たい風の中を歩くのは、気分転換としては最高です。
生きている実感が沸いて来ます。
死んで行く人がいて、生きて自分がいる。
自分もいずれの日か故人の仲間入りするのですが、その日が来るまで、今日の日のように健康であれたら幸せです。
北風の吹く晴れた冬の日は、空気にもピンと張りつめた緊張感が漂い、はるか遠くまで見渡せる透明感があります。
そんな空気を胸いっぱいに吹い込めば、胸の中のストレスも少しずつ浄化されていくような気持ちになります。
同じ景色でも、どこかいつもと違う新鮮さがあります。
寒いのは苦手なのですが、この感覚は大好きです。
今日、江戸川土堤に来て良かったなぁと思います。
改めて、皆様のご健康を心からお祈り申し上げます。
しかし、顧問先の社長様が亡くなられ、そのお通夜に行くことになり、急遽ゴルフをキャンセルしました。
お世話になった社長様のお通夜となれば、それもやむを得ません。
それはよいのですが、ゴルフの予定が急遽なくなり、しかもお通夜は夕方からなので、何となくポッカリ穴があいてしまったような日曜日になりました。
気分的には何をするにしても、すべて中途半端になってしまいそうです。
事前の天気予報では、雨か雪のハズでしたが、何故か晴れています。
迷った揚句、ヘボゴルフで歩く機会が無くなった代わりに、江戸川まで歩いてみることにしました。
正月からの自堕落な生活で、自分の身体も少々重くなっていたので、ちょうどいい機会です。
歩こう。早速、ウォーキング・シューズをはき、家を出ました。
真間川沿いの桜並木の道を通り、菅野、市川真間、国府台、歩くこと50分。
江戸川土堤に着きました。
目の前には、ゆるやかな弧を描きゆったりと流れる江戸川、対岸は東京です。
東京の街並みがいつもより小さく見えます。今日は、はるか遠くまでよく見渡せます。
そんな景色を見ていると、故人のことを思いだします。
『子、川のほとりに在りて曰わく、逝く者はかくの如きか昼夜をすてず』
(子在川上日、逝者如斬夫、不舎晝夜)
そんな論語の中の言葉が浮かびます。
白く輝き、ゆったりと流れる江戸川は、時の流れのようです。
深呼吸をして、さて、右に行こうか、左に行こうか・・・。
進路を左にとって、海に向って歩くことにしました。
国道14号の市川橋から行徳橋まで片道約4.2km。
目標が決まれば、あとは、ひたすら歩くだけです。
河川敷では、サッカー、少年野球、釣、凧揚げ、ボーイスカウトの訓練等々思い思いに冬の休日を楽しんでいます。
冬の冷たい風の中を歩くのは、気分転換としては最高です。
生きている実感が沸いて来ます。
死んで行く人がいて、生きて自分がいる。
自分もいずれの日か故人の仲間入りするのですが、その日が来るまで、今日の日のように健康であれたら幸せです。
北風の吹く晴れた冬の日は、空気にもピンと張りつめた緊張感が漂い、はるか遠くまで見渡せる透明感があります。
そんな空気を胸いっぱいに吹い込めば、胸の中のストレスも少しずつ浄化されていくような気持ちになります。
同じ景色でも、どこかいつもと違う新鮮さがあります。
寒いのは苦手なのですが、この感覚は大好きです。
今日、江戸川土堤に来て良かったなぁと思います。
改めて、皆様のご健康を心からお祈り申し上げます。
07年01月10日
【 平成19年1月 −2007年1月− 】
あけましておめでとうございます。
今年も、新たな年が始まりました。今年の注目は2点に集約されます。
まず、何と云っても昨年11月に「いざなぎ景気」の記録を塗り替えた景気拡大が、いつまで持続するかということが、最大の注目です。
いまのところ、これといって、大きなマイナス要因は見当たらないので、まだもうしばらくは好調が持続すると考えても良いのでしょう。
今回の景気拡大は、「いざなぎ景気」に比べると力強さに欠けるようですが、それでも、いずれ私たちのところへも好況の波が波及して来ることでしょう。楽しみです。
もう一つの注目は、数年前から2007年問題と云われていた、いわゆる団塊の世代の大量退職問題です。
企業から団塊の世代の人材が大量に流出します。
それは、企業だけではなく、社会全体にも大きな構造変化を促す要因となることでしょう。
変化は避けて通れませんが、それも万事塞翁が馬、チャンスに転じたいものです。
では、今年最初のブログをお届け致します、ご一読下さい。
あ 明るい一年、まずは健康管理から。
け 景気拡大、「いざなぎ景気」超え。
ま 待ったなし、経営改革最優先。
し 信用拡大、ブランド経営。
て 定年対策、人材活用。
お 恐れずチャレンジ、ベンチャー精神。
め 目指すゴールは、勝ち組企業。
で 伝統にとらわれず改革、第二の創業。
と 取引見直し、例外なし。
う ウッカリミス、なくして万全、品質管理。
ご ゴール目指して、皆で計画達成。
ざ 財務改善、健全経営。
い 今を重ねて、夢の実現。
ま マンネリなくして、感動経営。
す スクラム組んで、全員一丸2007年。
勢いあまって、もう一つ作ってみました。
あ ある訳ないよ、そんなウマい話。
け ケータイ鳴り出し、シラける会議。
ま 「まあいいか」、すぐに妥協のダメ社員。
し 仕事中、パソコンゲームをやめて仕事しろ。
て 適当に、その日過ごして、また明日。
お 同じ言い訳、耳にタコです聞き飽きた。
め メモもせず、発言もせず、聞きもしない会議中。
で 電話も鳴らず、することないのか営業マン。
と 取りたいな、まだ無理かなISO。
う ウチ(我社)はまだ、手書で対抗IT革命。
ご ゴルフ好き、仕事に向けろその熱意。
ざ ザルより粗い、役に立たない売上目標。
い 移動中、電車の中ではケータイゲームか居眠りか。
ま 「まだ早い」、気づいた頃にはもう遅い。
す 睡魔と闘う、午後3時。
今年も、新たな年が始まりました。今年の注目は2点に集約されます。
まず、何と云っても昨年11月に「いざなぎ景気」の記録を塗り替えた景気拡大が、いつまで持続するかということが、最大の注目です。
いまのところ、これといって、大きなマイナス要因は見当たらないので、まだもうしばらくは好調が持続すると考えても良いのでしょう。
今回の景気拡大は、「いざなぎ景気」に比べると力強さに欠けるようですが、それでも、いずれ私たちのところへも好況の波が波及して来ることでしょう。楽しみです。
もう一つの注目は、数年前から2007年問題と云われていた、いわゆる団塊の世代の大量退職問題です。
企業から団塊の世代の人材が大量に流出します。
それは、企業だけではなく、社会全体にも大きな構造変化を促す要因となることでしょう。
変化は避けて通れませんが、それも万事塞翁が馬、チャンスに転じたいものです。
では、今年最初のブログをお届け致します、ご一読下さい。
あ 明るい一年、まずは健康管理から。
け 景気拡大、「いざなぎ景気」超え。
ま 待ったなし、経営改革最優先。
し 信用拡大、ブランド経営。
て 定年対策、人材活用。
お 恐れずチャレンジ、ベンチャー精神。
め 目指すゴールは、勝ち組企業。
で 伝統にとらわれず改革、第二の創業。
と 取引見直し、例外なし。
う ウッカリミス、なくして万全、品質管理。
ご ゴール目指して、皆で計画達成。
ざ 財務改善、健全経営。
い 今を重ねて、夢の実現。
ま マンネリなくして、感動経営。
す スクラム組んで、全員一丸2007年。
勢いあまって、もう一つ作ってみました。
あ ある訳ないよ、そんなウマい話。
け ケータイ鳴り出し、シラける会議。
ま 「まあいいか」、すぐに妥協のダメ社員。
し 仕事中、パソコンゲームをやめて仕事しろ。
て 適当に、その日過ごして、また明日。
お 同じ言い訳、耳にタコです聞き飽きた。
め メモもせず、発言もせず、聞きもしない会議中。
で 電話も鳴らず、することないのか営業マン。
と 取りたいな、まだ無理かなISO。
う ウチ(我社)はまだ、手書で対抗IT革命。
ご ゴルフ好き、仕事に向けろその熱意。
ざ ザルより粗い、役に立たない売上目標。
い 移動中、電車の中ではケータイゲームか居眠りか。
ま 「まだ早い」、気づいた頃にはもう遅い。
す 睡魔と闘う、午後3時。
06年12月11日
【 現金売上 】
私ごとですが、9月、10月、そしてこの11月と連日、税務調査の立会いが続いています。
この仕事に税務調査は付き物ですが、できることなら避けて通りたいのが人情です。
しかし、残念ながら調査するしないの決定権は税理士にはありません。
この頃では、税務調査の多さに少々辟易気味です。
税務調査の合間、合間にその他の仕事をしているが実情です。
それも、時間が充分にとれず、自分の仕事が停滞する一因となっています。
仕事は溜まり、それに比例してストレスも溜まります。
更には税務調査のストレスが追い討ちをかけます。
どうも出て来るのは愚痴ばかりで、愚痴っぽくなってしまいました。
さて、最近の税務調査で気になることがあります。
それは、現金売上の計上洩れが意外に多いということです。
現金商売ではなく、通常は小切手や手形取引、銀行振込取引であったりするのですが、年に何度かは現金取引があります。
スポット売上、小口売上、屑売上等が現金取引として行われたりします。
そんな例外的な売上の計上が洩れてしまっているのです。
現金売上の売上除外、なんとも古典的な話しですが、今、古典が復活傾向にあるのかと疑いたくなる位です。
では、何故、税務調査で現金売上の計上洩れが見つかったのでしょうか?
現金取引は通常何も証拠が残らず、発見するのは困難なはずです。
調査官が優秀だからでしょうか?
そうではなく、それほど優秀な調査官でなくとも(ボンクラ調査官でもとは云いませんが)売上計上洩れは発見できるのです。それは極めて単純だからです。
税務署の調査官が会社が使用している領収書の控と元帳の売上計上とを一件一件チェックした結果、領収書の控はあるが売上が計上されていないケースが見つかったのです。
それが、現金売上計上洩れです。
現金取引は、他の取引形態に比べ、跡が残りにくいので、誰にもわからないだろうと考えるのでしょうか?
確かに現金取引は跡が残りにくいのですが、自分で領収書を発行していながら、誰にもわからないだろうと考えること自体、理解できません。
自分で誰にでもわかるようにシッカリと領収書という足跡を残しています。
まさか、税務署が領収書の控までチェックするとは思わなかったのでしょうか?
そう考えたとすれば、それはあまりにも無知、あまりにも大胆不敵。
現金取引は少額の取引が多いのですが、金額の多寡に拘わらず、売上除外という結果は、後味の悪いものです。
売上除外したお金は、従業員の茶菓子代として使ったと言う言い訳も古典的です。
売上除外したお金でなくとも、従業員に対する茶菓子代は福利厚生費で堂々と経費処理できます。
ウッカリミスでも結果として現金売上計上洩れは、故意悪意による売上除外の推定が働きます。気をつけたいものです。
この仕事に税務調査は付き物ですが、できることなら避けて通りたいのが人情です。
しかし、残念ながら調査するしないの決定権は税理士にはありません。
この頃では、税務調査の多さに少々辟易気味です。
税務調査の合間、合間にその他の仕事をしているが実情です。
それも、時間が充分にとれず、自分の仕事が停滞する一因となっています。
仕事は溜まり、それに比例してストレスも溜まります。
更には税務調査のストレスが追い討ちをかけます。
どうも出て来るのは愚痴ばかりで、愚痴っぽくなってしまいました。
さて、最近の税務調査で気になることがあります。
それは、現金売上の計上洩れが意外に多いということです。
現金商売ではなく、通常は小切手や手形取引、銀行振込取引であったりするのですが、年に何度かは現金取引があります。
スポット売上、小口売上、屑売上等が現金取引として行われたりします。
そんな例外的な売上の計上が洩れてしまっているのです。
現金売上の売上除外、なんとも古典的な話しですが、今、古典が復活傾向にあるのかと疑いたくなる位です。
では、何故、税務調査で現金売上の計上洩れが見つかったのでしょうか?
現金取引は通常何も証拠が残らず、発見するのは困難なはずです。
調査官が優秀だからでしょうか?
そうではなく、それほど優秀な調査官でなくとも(ボンクラ調査官でもとは云いませんが)売上計上洩れは発見できるのです。それは極めて単純だからです。
税務署の調査官が会社が使用している領収書の控と元帳の売上計上とを一件一件チェックした結果、領収書の控はあるが売上が計上されていないケースが見つかったのです。
それが、現金売上計上洩れです。
現金取引は、他の取引形態に比べ、跡が残りにくいので、誰にもわからないだろうと考えるのでしょうか?
確かに現金取引は跡が残りにくいのですが、自分で領収書を発行していながら、誰にもわからないだろうと考えること自体、理解できません。
自分で誰にでもわかるようにシッカリと領収書という足跡を残しています。
まさか、税務署が領収書の控までチェックするとは思わなかったのでしょうか?
そう考えたとすれば、それはあまりにも無知、あまりにも大胆不敵。
現金取引は少額の取引が多いのですが、金額の多寡に拘わらず、売上除外という結果は、後味の悪いものです。
売上除外したお金は、従業員の茶菓子代として使ったと言う言い訳も古典的です。
売上除外したお金でなくとも、従業員に対する茶菓子代は福利厚生費で堂々と経費処理できます。
ウッカリミスでも結果として現金売上計上洩れは、故意悪意による売上除外の推定が働きます。気をつけたいものです。
06年11月22日
【 監査難民 】
「監査難民」とはあまり聞き慣れない言葉です。
会計士の間でも一般的に広く使われている訳ではありません。
監査上の意見の対立や監査リスクが高いクライアントに対し、監査する側である公認会
計士や監査法人から監査契約の辞退や解約をする場合があります。
ある監査人が監査契約を辞退ないし解約したクライアントの監査を安易に引き受けるこ
とは、後任者にとって非常に高い監査リスクを背負い込む結果にもなりかねません。
そのため、あっちでもこっちでも行く先々で監査を断られ、誰も監査を引き受ける者が
いなくなってしまいます。
法定で監査は義務付けられているが、誰も監査を引き受けようとしないクライアントが
「監査難民」です。
かくして、どこにも行き場所がなく、宙に浮いてしまい、流浪の旅が始まります。
その旅は、自分捜しの旅ではなく、時に自分にとって有利で都合の良い監査人を捜す旅
でもあり、いわゆる「オピニオン・ショッピング」の旅とも重なります。
カネボウの粉飾決算やライブドアの不正経理等々の不祥事の発生は、公認会計士ならび
に監査法人に対する社会的な信頼の低下、批判の増大ならびに責任追及の厳格化の嵐と
なっています。
そのこと自体は、結果として市場の番人としての役割を果たせなかった公認会計士なら
びに監査法人にとって、当然と云えば、当然のことです。
今はただ、謙虚に反省すべきを反省し、再発防止・信頼回復に最善を尽くすべき時です。
ただ、私が心配するのは、経済のグローバル化、IT化により経済取引は今後も複雑に
なる一方です。
それは、会計上も監査上も判断が困難な新たな未知の問題や、ボーダーラインあるいは
グレイゾーンの問題を次々に派生させることを意味します。
経済も企業も監査もそれぞれが生き物です。
監査リスクは増大することはあっても減少することはないでしょう。
監査リスクの増大は、裏を返せば監査の必要性の増大にもつながり、そこがまた悩まし
いところです。
公認会計士ならびに監査法人の監査責任は無限責任です。
ここまで重くかつ厳しくなった責任とのバランスを考えるなら、今後増えるかもしれな
い「監査難民」の救済は、監査人として「火中の栗」を拾う覚悟が必要です。
責任は無限、リスクは当然では少々一方的なようにも思えます。
誤解されると困りますが、責任負担はイヤだと云っているのではありません。
職業上負うべき適正な責任の限界についての議論もする必要があると考えるだけです。
また、監査不祥事の発生は、必ず経営トップが係わった不祥事でもあります。
経営者の一層の意識の改善なしにこの問題の真の解決策はあり得ないように思います。
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会計士の間でも一般的に広く使われている訳ではありません。
監査上の意見の対立や監査リスクが高いクライアントに対し、監査する側である公認会
計士や監査法人から監査契約の辞退や解約をする場合があります。
ある監査人が監査契約を辞退ないし解約したクライアントの監査を安易に引き受けるこ
とは、後任者にとって非常に高い監査リスクを背負い込む結果にもなりかねません。
そのため、あっちでもこっちでも行く先々で監査を断られ、誰も監査を引き受ける者が
いなくなってしまいます。
法定で監査は義務付けられているが、誰も監査を引き受けようとしないクライアントが
「監査難民」です。
かくして、どこにも行き場所がなく、宙に浮いてしまい、流浪の旅が始まります。
その旅は、自分捜しの旅ではなく、時に自分にとって有利で都合の良い監査人を捜す旅
でもあり、いわゆる「オピニオン・ショッピング」の旅とも重なります。
カネボウの粉飾決算やライブドアの不正経理等々の不祥事の発生は、公認会計士ならび
に監査法人に対する社会的な信頼の低下、批判の増大ならびに責任追及の厳格化の嵐と
なっています。
そのこと自体は、結果として市場の番人としての役割を果たせなかった公認会計士なら
びに監査法人にとって、当然と云えば、当然のことです。
今はただ、謙虚に反省すべきを反省し、再発防止・信頼回復に最善を尽くすべき時です。
ただ、私が心配するのは、経済のグローバル化、IT化により経済取引は今後も複雑に
なる一方です。
それは、会計上も監査上も判断が困難な新たな未知の問題や、ボーダーラインあるいは
グレイゾーンの問題を次々に派生させることを意味します。
経済も企業も監査もそれぞれが生き物です。
監査リスクは増大することはあっても減少することはないでしょう。
監査リスクの増大は、裏を返せば監査の必要性の増大にもつながり、そこがまた悩まし
いところです。
公認会計士ならびに監査法人の監査責任は無限責任です。
ここまで重くかつ厳しくなった責任とのバランスを考えるなら、今後増えるかもしれな
い「監査難民」の救済は、監査人として「火中の栗」を拾う覚悟が必要です。
責任は無限、リスクは当然では少々一方的なようにも思えます。
誤解されると困りますが、責任負担はイヤだと云っているのではありません。
職業上負うべき適正な責任の限界についての議論もする必要があると考えるだけです。
また、監査不祥事の発生は、必ず経営トップが係わった不祥事でもあります。
経営者の一層の意識の改善なしにこの問題の真の解決策はあり得ないように思います。