18年04月29日
懲戒処分の研究【古典編】
[15 刑罰の緩和について]
《刑罰の目的は、感覚的存在である人間をさいなみ苦しめることでもなく、すでに犯された犯罪を犯されなかったことにすることでもない。》
《政体というものが、欲望や感情のままに動かされるどころか、個々人の欲望や感情に制限を加え調節することをもっぱらの任務とするものである以上、この政体によって無用なざんこく行為がなされることが、専制君主の怒りと熱狂とおくびょうの道具であったざんこく行為がまた用いられることが、どうしてあってよかろう。》
《刑罰はその目的として、犯人が以後社会に侵害を加えないこと、又犯人の周囲の者を罪の道から遠ざけることーこれだけを目ざしているにすぎない。》
諸種の理由で、懲戒処分制度がうまく機能している会社は珍しいのではないかと思うが、そのため、違反行為があればそれが軽度のものであっても信頼関係が崩れたとして懲戒解雇と考える使用者は多い。無論、それは懲戒権の濫用になるのであって、ここでいう「この政体によって無用なざんこく行為」はあってはいけないのである。
《歴史の中で、ぞっとするようなせめ苦が無用に加えられ、それを発明し冷然と執行した怪物どもが賢者の名をもって呼ばれているのを見るとき、誰か嫌悪に身ぶるぃしない者があろうか!》
《およそ一つの刑罰がその効果をあげるためには、犯罪者がその刑罰によって受ける損失が犯罪によって得た利得をこえれば十分なのである。》
懲戒の程度の相当性をはかるのは悩ましいが、違反の程度に少し加算するのが正当。
《人間がじぶんの行為を規制するのは、彼が知らない苦痛によってではなく、彼が知っている苦痛の反復的経験によってである。》
就業規則の周知要件はかなり重要である。懲戒処分の有効性とともに労務管理として。
《刑罰が残ぎゃくであればあるだけ、犯人は刑罰をのがれようとする。多くの犯罪はまさに、はじめの刑をのがれようとしてかさねられたものなのだ。》
複数ある違反行為の何にまず気付く必要があるか。
《おそろしい刑罰が習慣化されていた時代や国では、もっとも極道な犯罪も習慣化されていた。立法者に血の法律を示唆したその同じ気風が、暗殺者や親殺しの手にあいくちを示唆したのだ。》
"ブラック"の原因である。
《刑罰が残こくであることは、このほかにまだ二つの有害な結果-犯罪予防という刑罰とは逆な結果-を生む。
第一に。無数の犯罪と刑罰の間に、正しいつり合いを規定することはひじょうにむずかしい。なぜなら、残こくさはくふうされ、いく種類のせめ苦でもつくり出されるだろうが、どんな苦痛もそれを受ける人間の感受性と肉体の構造という限界を越えるこひとはできないから。この限界がある以上、もっと狂暴な犯罪があらわれたとしても、それにふさわしいだけ残こくな刑をみいだすことはできない。したがって犯罪がそれ以上狂暴化することを防ぎようがないことになる。》
第一番に懲戒解雇処分をすればもう後はないことになる。そしてその処分が濫用として無効になることになれば、あらためて出勤停止などのより軽い処分ができない。
《第二に。極端に残ぎゃくな刑罰は時として不罰という結果をきたす。人間性のちからは善においても同様、悪においても限界をもっている。あまりにも野蛮な処刑の光景は専制者の一時的な残ぎゃく行為としか見えず、立法がそうあるべき安定した制度として維持され得ない。》
最後に、ベッカリーアは社会通念に触れている。
《刑罰の重さはその国のその時の実状との関連においてきめられなければならない。(略)人心がおだやかになるにしたがって(略)刑罰の目的と刑罰から人々が受ける印象との間に同じ関係を保とうとするなら、刑罰のきびしさは緩和されねばならない。》
これをそのまま採用するならば、同じ会社で同じ違反行為であっも、過去の処分の程度と違うこともありうるということである。悲惨な交通事故事件から、飲酒運転とあおり運転の厳罰化に進んだのと同じである。なお、この場合そのような通念の合理的説明は最低限の要件となるであろう。
《刑罰の目的は、感覚的存在である人間をさいなみ苦しめることでもなく、すでに犯された犯罪を犯されなかったことにすることでもない。》
《政体というものが、欲望や感情のままに動かされるどころか、個々人の欲望や感情に制限を加え調節することをもっぱらの任務とするものである以上、この政体によって無用なざんこく行為がなされることが、専制君主の怒りと熱狂とおくびょうの道具であったざんこく行為がまた用いられることが、どうしてあってよかろう。》
《刑罰はその目的として、犯人が以後社会に侵害を加えないこと、又犯人の周囲の者を罪の道から遠ざけることーこれだけを目ざしているにすぎない。》
諸種の理由で、懲戒処分制度がうまく機能している会社は珍しいのではないかと思うが、そのため、違反行為があればそれが軽度のものであっても信頼関係が崩れたとして懲戒解雇と考える使用者は多い。無論、それは懲戒権の濫用になるのであって、ここでいう「この政体によって無用なざんこく行為」はあってはいけないのである。
《歴史の中で、ぞっとするようなせめ苦が無用に加えられ、それを発明し冷然と執行した怪物どもが賢者の名をもって呼ばれているのを見るとき、誰か嫌悪に身ぶるぃしない者があろうか!》
《およそ一つの刑罰がその効果をあげるためには、犯罪者がその刑罰によって受ける損失が犯罪によって得た利得をこえれば十分なのである。》
懲戒の程度の相当性をはかるのは悩ましいが、違反の程度に少し加算するのが正当。
《人間がじぶんの行為を規制するのは、彼が知らない苦痛によってではなく、彼が知っている苦痛の反復的経験によってである。》
就業規則の周知要件はかなり重要である。懲戒処分の有効性とともに労務管理として。
《刑罰が残ぎゃくであればあるだけ、犯人は刑罰をのがれようとする。多くの犯罪はまさに、はじめの刑をのがれようとしてかさねられたものなのだ。》
複数ある違反行為の何にまず気付く必要があるか。
《おそろしい刑罰が習慣化されていた時代や国では、もっとも極道な犯罪も習慣化されていた。立法者に血の法律を示唆したその同じ気風が、暗殺者や親殺しの手にあいくちを示唆したのだ。》
"ブラック"の原因である。
《刑罰が残こくであることは、このほかにまだ二つの有害な結果-犯罪予防という刑罰とは逆な結果-を生む。
第一に。無数の犯罪と刑罰の間に、正しいつり合いを規定することはひじょうにむずかしい。なぜなら、残こくさはくふうされ、いく種類のせめ苦でもつくり出されるだろうが、どんな苦痛もそれを受ける人間の感受性と肉体の構造という限界を越えるこひとはできないから。この限界がある以上、もっと狂暴な犯罪があらわれたとしても、それにふさわしいだけ残こくな刑をみいだすことはできない。したがって犯罪がそれ以上狂暴化することを防ぎようがないことになる。》
第一番に懲戒解雇処分をすればもう後はないことになる。そしてその処分が濫用として無効になることになれば、あらためて出勤停止などのより軽い処分ができない。
《第二に。極端に残ぎゃくな刑罰は時として不罰という結果をきたす。人間性のちからは善においても同様、悪においても限界をもっている。あまりにも野蛮な処刑の光景は専制者の一時的な残ぎゃく行為としか見えず、立法がそうあるべき安定した制度として維持され得ない。》
最後に、ベッカリーアは社会通念に触れている。
《刑罰の重さはその国のその時の実状との関連においてきめられなければならない。(略)人心がおだやかになるにしたがって(略)刑罰の目的と刑罰から人々が受ける印象との間に同じ関係を保とうとするなら、刑罰のきびしさは緩和されねばならない。》
これをそのまま採用するならば、同じ会社で同じ違反行為であっも、過去の処分の程度と違うこともありうるということである。悲惨な交通事故事件から、飲酒運転とあおり運転の厳罰化に進んだのと同じである。なお、この場合そのような通念の合理的説明は最低限の要件となるであろう。