弁護士の増員問題については「質の低下」をもたらすという批判がある。ただし、これは一般的には解釈できない。一般的な解釈とは、金に困った弁護士が法違反を助長し、信用が下落するというものだが、そういう想像は先走りというものである。
弁護士業界は従来ボス弁イソ弁という秩序を形成し、教え教えられ引き継がれることによって弁護士業務の秩序を形成してきたものである。それが、引き受け事務所がなく、一人で活路を開いていくことや自分で仕事のやり方を実践で覚えていく弁護士が増えていくと、もちろん裁判実務がギクシャクもする(これが一般的な意味での質の低下ともいえる)し、第一に業界のこれまでの秩序が綻ぶのである。
裁判員制度など現代の国民の参政権拡張に応じる司法制度が展開されていくのであるから、多少は微調整していくことになろう。

社会保険労務士の場合、昔は「縄張り」意識があったようであるが、もともと弁護士のような世界秩序はない。そのため、業務の教え教えられ引き継がれることの役割は主に研修や支部行事に依存することになる。たいていの弁護士は「社会保険労務士は勉強をよくする」と皮肉もまじえて評するのであるが、ボス弁のような存在の埋め合わせとして必要なのである。それに、社会保険労務士の携わる法事情の変化は毎年夏の台風のようなものである。
この研修の内容は、今はかなり知恵が絞られている。

ところが、あっせん代理人の研修には二の足を踏んでいる。これは養成研修というものがない。特別研修というものがあるが、それは裁判所での訴訟代理の研修内容である。あっせん対応の調停型代理人という研修教本は完成していない。したがって、各個人の能力に負うということになり、平準化されていない。冒頭での弁護士会が言うところの「質の低下」から始まっているということである。

これまで民事調停や裁判所和解例などの教本、社会保険労務士のなかからのあっせん代理人のマニュアル等の出版物がある。そしてまた、産業カウンセラーの手法が結構合うのではなかろうかと思っているところである。これが活用できるのならば、この養成内容はしっかりしているので、その効果が大きい。
あっせんについては労働問題における訴訟が少ない国民性から出たものであり、その件数はやはりこれだけの問題が職場に存在してたかという結果になっている。ただ、特定社会保険労務士の養成の問題を含め、まだ社会保険労務士が積極的に手掛けるようにはなっていない。それどころか、満ち潮が引き出したような感じもしなくはない。それは多く、あっせんでの和解例が今ひとつ十分でないという印象にある。軽い気持ちでと間口を広くとったため、不充分な展開の結果ともとれる。労働局(紛争調整委員会)よりも労働委員会の方が期待値は多目のようだが、まだ浸透しているとは言えない。裁判所での労働審判は履行段階がネックである。訴訟同様に、法廷を出れば、裁判官さえいなくなれば、という国民性がある。