『内部告発と公益通報』

公益通報者保護法が施行されて1年以上経った。この法律がまた変な位置にあるようだ。これもまた国際標準に合わせて作られたもので、魂が入っていないといえる。ただ、この本が面白いのは、著者が第6章でその点を突いているからである。労働基準監督官出身の著者がその点に触れているのをみるとホッとする、

さて、この法律は、内部告発した者に対して解雇等の不利益を課してはならないという簡単なもの。
対象者は自社・下請・取引先・派遣等の労働者。下請業者などは外されており、また公務員もまた国際標準に合わせたとみせながら外されている。
告発の態様は3種。
1つは内部処理機関へ。これはセクハラと同じで、当人の感じ方でよく、証拠など不要である。この段階で、それを放っておけば我が社にダメージが大きいということで、自浄作用があれば成功。普通は告発者を追いやるため、この法律ができたという堂々巡り。著者の結論は、「公益」という概念が根付いていないという不安を抱えるものなのだが。
2つ目は、行政機関の通報。この場合、「信じるに足りる証拠」が必要。
3つ目は、マスコミ等。マスコミといっても、取りあげるかどうかは不明なので何ともいえないが、この場合は名誉毀損などの問題や証拠隠滅等のおそれなどの問題が絡み、正当な通報かどうかの基準がある。

内部告発者の多くは、アメリカでもハッピーなエンディングとはいえないが、日本ではまた別の事情がある。それについて割いてるのが第6章「コンプライアンスと日本の法律」「日本の法律は守れるか」「守れない法律がなぜ作られるのか」である。例として著者は道交法と労基法について触れている。詳しくは読まれたいが、少し載せてみる。
《法規制のタテマエと現実のホンネとが乖離して並存し、関係者の遵法意識を麻痺させることによって、どうせ守れないからといい加減な時間管理が行われ、結果としてサービス残業につながるという構造もできあがっている。》
《ここでも、産業界のサービス残業を摘発する業務を行うために官庁でサービス残業がなされるというブラックユーモア的状況が存在し、それを指摘するのは非常識だという意識も同時に存在している。なぜ守れるかどうかの検証を欠いた法律が作られるのか、法律を所管する者がなぜ法律を守ろうとしないのか、その構造について次に考えてみることにしたい。》

残念ながらあまり頁が割かれていないが、こういう指摘は山本七平氏の他に聞くことがなかったので、嬉しい。