先程気付いたことだが、なぜかヤフーポータルサイトで朝日新聞の記事がない。どこかにあるかとは思うが。その朝日では、他紙とは違った角度で、後期医療制度を扱っている。

《後期高齢者医療制度は高齢者らの反発を受けて見直しを迫られ、野党は23日に廃止法案を国会に提出した。》

《法案は、来年3月で制度を廃止し、元の老人保健制度に戻す内容。保険料の年金天引きや被扶養者の新規保険料負担は「遅くとも今年10月には廃止する」とした。制度廃止に伴う費用は数千億円と試算し、特別会計の積立金などを充てる。 》

素人ながら元に戻しても意味がないと経験則が働く。元のものが上手くいかなかったから新たな制度を実施したはずなのである。しかも、法改正にかかった莫大な費用がムダになり、さらに数千億円追加しなければならないというものであるので、まだ「ニホンは金持ち」感覚であるのかと疑いもする。現実感のない、統計データを主として判断していると国会は独り相撲の場所となる。
ただ、まちがいを糾さないことが本当のまちがいだということもあるし、今の日本政治は何があっても不思議ではない。
なお、私の知るところでは、低所得者に対する費用徴収は社会保障とはいえない。年金から天引きといった徴収方法は、それはそれでよいのである。

≪ただ、後期高齢者医療制度の見直し論議は、小泉政権から続く社会保障費の抑制路線自体に影響を与えそうだ。 ≫

この抑制路線もいかにも現場から遠い者の判断からきている。現在の国会・国会議員・法律の要素には、やはり「空回り」「浮き」が大きくウェイトを占める。これはどうにもならないのか。学説では、国会議員もまたその「世間」(自分が所属するものに忠実であれとする社会)に棲息する普通の日本人であり、法概念的な国民の意見代表になりえず、世間的な振る舞いから免れない。その通り。国会議員社会もまた、明瞭ではないが、内部的な人事の評価が働いているのである。


新高齢者医療で公費負担減 厚労省試算 民主徹底追及へ


≪また、民主党は新制度の導入を決めた06年の国会審議で、旧制度について「(健康保険組合など)保険者の我慢も限界」「高齢者への拠出金が3割、4割いってしまう不満を払拭(ふっしょく)できていない」と批判。00年には鳩山由紀夫代表(当時)が「高齢者を対象とする新しい医療保険制度を創設する」と発言している。審議では、こうした過去の発言を与党に突かれる可能性もある。≫

戦争中には「鬼畜米英」と言っていた者が戦後直ぐにケロリとして「民主主義」ということはありふれたこととして聞いている。戦後も戦中のようなことを言う方がおかしいわけで、ただそういった者は「時代に合わせた」だけの話である。インテリになるとそう簡単ではないが。したがって、多くの普通の人は、あまりその内容の本質についてはこだわっていないものと考えてよい。
ただし、政策立案に携わる職業なのであるから、やはりインテリ同様本質にこだわる必要があるというものである。