20年07月01日
①“岩崎弥太郎”という人物とは?
●人を見る眼は鋭かった
岩崎弥太郎という人、一体この人はどんな人物だろうか。
弥太郎は、既に三菱の名をつけていた当時、部下の近藤廉平に懲戒処分を申し渡したことがある。みんなはびっくりした。何しろ優秀な社員だったからである。
その理由が、なんと紙一枚だったからなおのことである。
「会社の社用便箋を休暇届けに利用したのは、社用の紙を私用に供したもので、こうした公私混同は、勤務体制の秩序を乱すもので・・」と、減給の処分にした。
しかし近藤も、人並みの感情を持つ人間。内心、ひどいと思った。しかし、何か理由がありそうだと、近藤は考えた。
それから、幾十日かは経ったある日。弥太郎は近藤と会食の機会を得た。
「近藤、おまえ立派な、一人前の人間になったなあ」と切り出した。
話を聞けば、「最近全社的にたるみが見られる。全体を引き締めるため、きみに犠牲になってもらった。よう辛抱したなあ」というものだった。
そう言われて、「これは辛抱代だ。受け取ってくれ」と言って、金一封をもらった。
なんと、減給分の30倍の金額が封入されていた。
25歳ほどの近藤には、英語の勉強も命じたし、鉱山の事務長にも命じ、ゴタゴタした係争問題も処理させたり、赤字鉱山の黒字化を求めたこともある。
この近藤こそ、日本郵船の3代目の社長になった人物である。
岩崎弥太郎という人、一体この人はどんな人物だろうか。
弥太郎は、既に三菱の名をつけていた当時、部下の近藤廉平に懲戒処分を申し渡したことがある。みんなはびっくりした。何しろ優秀な社員だったからである。
その理由が、なんと紙一枚だったからなおのことである。
「会社の社用便箋を休暇届けに利用したのは、社用の紙を私用に供したもので、こうした公私混同は、勤務体制の秩序を乱すもので・・」と、減給の処分にした。
しかし近藤も、人並みの感情を持つ人間。内心、ひどいと思った。しかし、何か理由がありそうだと、近藤は考えた。
それから、幾十日かは経ったある日。弥太郎は近藤と会食の機会を得た。
「近藤、おまえ立派な、一人前の人間になったなあ」と切り出した。
話を聞けば、「最近全社的にたるみが見られる。全体を引き締めるため、きみに犠牲になってもらった。よう辛抱したなあ」というものだった。
そう言われて、「これは辛抱代だ。受け取ってくれ」と言って、金一封をもらった。
なんと、減給分の30倍の金額が封入されていた。
25歳ほどの近藤には、英語の勉強も命じたし、鉱山の事務長にも命じ、ゴタゴタした係争問題も処理させたり、赤字鉱山の黒字化を求めたこともある。
この近藤こそ、日本郵船の3代目の社長になった人物である。