◆?龍角散の元社長・藤井康男さんは故人だが(08年7月没)、『経営の心得帖』(大和出版)という著書を書き残された。その本で、「毎日同じコースを通り、同じ時間に出社して、同じ机に座り、同じような仕事をやって一日を終えるような状態が続くと、どうしても考え方がパターン化する。
その上同業の人や、似たような年代の人とばかり付き合っていると、昔話でもなんでも違和感なく通じ合うし、毎度似たような話題になってしまう。ところがこういう習慣が、自分が時代感覚とズレていることに、さっぱり気付かないようにさせてしまう・・・」と。
 ところでモーパッサン(イギリスの作家、1850?1893)といえば、代表作『女の一生』で有名だが、『水の上』という本も書いている。そこに、彼はこう書いている。「毎日、毎週、毎月、毎季節、毎年、違ったところは少しもない。同じ時間に出勤し、同じ時間に昼めしを食べ、同じ時刻に退ける。それが20歳から60歳まで続くのだ。その間、特筆大書すべきことは、4つしかない・・・」
 自分では、創造人間と思っていても、じつはルーチン・ロボット化しているというのだ。
人は工夫次第でいくらでも変化を求めることができる。私は豊かな人脈を作ることをお奨めする。
 
◆違和感を超え、広げてこそ“本物の人脈” 
 どの病院でも例外なく男性患者の“院内引きこもり”が多いという。女性の入院患者の病室前を通ってみると、こちらは多くのベッド周りの仕切りカーテンを広げ、「退院したら遊びにおいでよ」などと、お互いが病室内をオープンな雰囲気で融和して、じつに明るいコミュニティーの場としているのだ。
 男性の病室はどうか。ほとんどの人がベッド周りのカーテンは閉じたまま。あのベッドの中で、男性たちは一体何をしているのだろうか。みんな決まったように文庫本を読んでいるという。新幹線でも、中高年の旅行グループが多いが決まって女性たちである。男性たちはほとんどいない。違和感のない仲間とだけ付き合う経験が続くと、違和感のある人との交流は、抵抗があるのだろうか。
それが、“院内引きこもり”になるのだろうか。
よく“人脈”と言われるが、仕事がらみの“社脈”を、自分の人脈と錯覚している人が多いような気がする。気をつけたいものだ。