14年04月10日
労務管理相談と法律相談
弁護士で社労士会へ登録する者が増えている。
理由はそれぞれであり、分析する必要があるが、第一番目は社労士業務を行いたいというものであろう。弁護士は社労士試験を受ける必要は無いが、社労士業務(労働社会保険諸法令に基く書類の作成や届出、行政への陳述)を行うには社労士会(連合会)への登録をしなければならない。
次に労働関係がメインの社労士業においては、常にその情報が蠢いている。まともに対応するならば脳ミソがパンクするはずだか、十中八九まともに社労士業をするつもりはないようである。
弁護士の労働に関する世界は大きく「労働者側」「使用者側」に分かれ、それぞれ派閥というか内部の任意団体に所属して活動している。ただ、弁護士業務における労働事案は比較的小さいのが普通である。したがって、ボス弁から「お前は労働担当」という業務命令で担当しているのが今日のよくある実情のようだ。
上記のようにどちらかに属すというのは、それなりに理由がある。訴訟代理という業務から由来するもので、双方代理の禁止がそのドンツキにある。ある相談を以前受けたが、今度はその相手方が相談したいと言ってきた場合、代理業務においては相手方から相談を受けてはいけないことになっている。契約にいくかどうかは未知としても職業倫理上無理な話なのである。したがって、相談者名簿を相談業務が発生する都度調べる必要があり、その手間は大変なのである。事務所規模によってはたいした事は無いが、もしかしてということはある。そういう手間を省くには一方だけの相談に乗るとした方がまちがいがないというわけである。
社労士業務においても個別紛争解決業務がある。訴訟代理は弁護士業務とバッティングするため外されている。ただ、これをしたければ弁護士のままでいいわけであるから、社労士登録の理由にはならない。
社労士の場合、労務管理がメインである。労働時間制度管理、賃金制度管理、組織開発と経営面でのサポートが大きい。事務手続きをすることによって原データに接しているため、上手く進めやすい。さすがに労務管理業務を弁護士ができるとは思わないが、肝腎なのは労働側とか使用者側という区分けがないという点であろう。(尤も、ブラック士業と称される者は使用者側となるが…)このおよそ紛争解決とは離れた労務業務に関心をもたれているのではないかとも思う。
特定社労士制度のため労務管理相談(人間関係や組織、人事規定の有り方を修復したり行政通達や判例を紹介するなど)から法律相談(具体的な争い方の検討など)の道ができたことで、社労士のイメージがやや変化しつつある。労働審判も実際は本人ではなかなか進めにくいため、裁判同様利用されているものではない。裁判に比べれば、という程度である。また何よりもこうした公的メニューの利用の仕方について、まだ国民は未熟である。ユニオンによる団交も含めて、紛争解決の仕方についての研究が必要であるし、斯界も変化を見せつつある。先日では、「本人の記憶以外には何ら事実を認める証拠は提出されなかった」という判決が報道されたが、争い方というのはなかなか難しいのである。
社労士会のなかで、労務管理に関心を寄せる弁護士と法律相談に関心を寄せる社労士との融解によってどのような化学反応が生れるかが楽しみである。
理由はそれぞれであり、分析する必要があるが、第一番目は社労士業務を行いたいというものであろう。弁護士は社労士試験を受ける必要は無いが、社労士業務(労働社会保険諸法令に基く書類の作成や届出、行政への陳述)を行うには社労士会(連合会)への登録をしなければならない。
次に労働関係がメインの社労士業においては、常にその情報が蠢いている。まともに対応するならば脳ミソがパンクするはずだか、十中八九まともに社労士業をするつもりはないようである。
弁護士の労働に関する世界は大きく「労働者側」「使用者側」に分かれ、それぞれ派閥というか内部の任意団体に所属して活動している。ただ、弁護士業務における労働事案は比較的小さいのが普通である。したがって、ボス弁から「お前は労働担当」という業務命令で担当しているのが今日のよくある実情のようだ。
上記のようにどちらかに属すというのは、それなりに理由がある。訴訟代理という業務から由来するもので、双方代理の禁止がそのドンツキにある。ある相談を以前受けたが、今度はその相手方が相談したいと言ってきた場合、代理業務においては相手方から相談を受けてはいけないことになっている。契約にいくかどうかは未知としても職業倫理上無理な話なのである。したがって、相談者名簿を相談業務が発生する都度調べる必要があり、その手間は大変なのである。事務所規模によってはたいした事は無いが、もしかしてということはある。そういう手間を省くには一方だけの相談に乗るとした方がまちがいがないというわけである。
社労士業務においても個別紛争解決業務がある。訴訟代理は弁護士業務とバッティングするため外されている。ただ、これをしたければ弁護士のままでいいわけであるから、社労士登録の理由にはならない。
社労士の場合、労務管理がメインである。労働時間制度管理、賃金制度管理、組織開発と経営面でのサポートが大きい。事務手続きをすることによって原データに接しているため、上手く進めやすい。さすがに労務管理業務を弁護士ができるとは思わないが、肝腎なのは労働側とか使用者側という区分けがないという点であろう。(尤も、ブラック士業と称される者は使用者側となるが…)このおよそ紛争解決とは離れた労務業務に関心をもたれているのではないかとも思う。
特定社労士制度のため労務管理相談(人間関係や組織、人事規定の有り方を修復したり行政通達や判例を紹介するなど)から法律相談(具体的な争い方の検討など)の道ができたことで、社労士のイメージがやや変化しつつある。労働審判も実際は本人ではなかなか進めにくいため、裁判同様利用されているものではない。裁判に比べれば、という程度である。また何よりもこうした公的メニューの利用の仕方について、まだ国民は未熟である。ユニオンによる団交も含めて、紛争解決の仕方についての研究が必要であるし、斯界も変化を見せつつある。先日では、「本人の記憶以外には何ら事実を認める証拠は提出されなかった」という判決が報道されたが、争い方というのはなかなか難しいのである。
社労士会のなかで、労務管理に関心を寄せる弁護士と法律相談に関心を寄せる社労士との融解によってどのような化学反応が生れるかが楽しみである。
14年03月30日
トラブルの原因
人間関係や労使関係において、トラブルの原因というものはだいたいあらかじめ想定しうる。あまりシリアスなものが作られなくなったためイメージとしてある、所謂「ドラマ」によく出てくる類である。
ただ、ほとんど主題化されていないテーマがある。それは日頃感じつつも、作品として形象化されていないものである。作品は無数にあるから存在するのかも知れないが、私はまだ知らない。
似たものとして「全体」と「個」のテーマがある。これは全体主義とか戦時中のテーマとして有名である。
(厳密に言葉の定義としては、「全体」を100とするなら、「個」は100-99の答えなのだが、実際に通用している見解は「100」と「1」の対比である。)
これを変形したテーマが、「体系」と「自己」である。これがトラブルの原因だというものである。
職場の体系において、「個」はどこかに位置づけられている。これはよい。正当な状態である。職場において人事体系については法律では定めていないが、組織運営上誰もが必要と認めるところだある。仔細は個別任意定義に因る。
家族の体系において、「個」はどこかに位置づけられている。これもまぁ同様である。国際的に見ると、それぞれの事情においてだいたい存在する。日本の場合、戦後の「家庭内暴力」の時期が大きく事情を変えたものである。それまではそれほど「個」の存在感がなかったもので、自己や個人としての成長を伸ばす主張を底辺に漂わせた、社会国家的規模にまで高まった暴力的な現象であった。また私は仄聞するだけだが、「中ピ連」運動なる女性運動もあった。
配偶者、父、母、子、祖父、祖母、孫、兄、弟、姉、妹、男、女。これらは要するに「体系」の用語である。「個」としてはこういったもののどれかに該当するものである。「記号」という社会科学的な言い方もある。そしてこれらは「体系」のなかで、それなりの意味をもたされている。「家庭内暴力」「中ピ連」はこうした「体系」での意味を拒絶したものと考える。体系そのものを拒絶したとは考えられないので、やはりその意味、カラーへの拒絶反応であろう。
トラブルの原因そのものの解消は不可能である。「体系」そのものが消滅することはまず考えられない。その意味付けをどう考えるかである。少なくとも、トラブルの解決法として、その意味付けがどのようになっていたかを調べることは欠かせないことなのである。
ただ、ほとんど主題化されていないテーマがある。それは日頃感じつつも、作品として形象化されていないものである。作品は無数にあるから存在するのかも知れないが、私はまだ知らない。
似たものとして「全体」と「個」のテーマがある。これは全体主義とか戦時中のテーマとして有名である。
(厳密に言葉の定義としては、「全体」を100とするなら、「個」は100-99の答えなのだが、実際に通用している見解は「100」と「1」の対比である。)
これを変形したテーマが、「体系」と「自己」である。これがトラブルの原因だというものである。
職場の体系において、「個」はどこかに位置づけられている。これはよい。正当な状態である。職場において人事体系については法律では定めていないが、組織運営上誰もが必要と認めるところだある。仔細は個別任意定義に因る。
家族の体系において、「個」はどこかに位置づけられている。これもまぁ同様である。国際的に見ると、それぞれの事情においてだいたい存在する。日本の場合、戦後の「家庭内暴力」の時期が大きく事情を変えたものである。それまではそれほど「個」の存在感がなかったもので、自己や個人としての成長を伸ばす主張を底辺に漂わせた、社会国家的規模にまで高まった暴力的な現象であった。また私は仄聞するだけだが、「中ピ連」運動なる女性運動もあった。
配偶者、父、母、子、祖父、祖母、孫、兄、弟、姉、妹、男、女。これらは要するに「体系」の用語である。「個」としてはこういったもののどれかに該当するものである。「記号」という社会科学的な言い方もある。そしてこれらは「体系」のなかで、それなりの意味をもたされている。「家庭内暴力」「中ピ連」はこうした「体系」での意味を拒絶したものと考える。体系そのものを拒絶したとは考えられないので、やはりその意味、カラーへの拒絶反応であろう。
トラブルの原因そのものの解消は不可能である。「体系」そのものが消滅することはまず考えられない。その意味付けをどう考えるかである。少なくとも、トラブルの解決法として、その意味付けがどのようになっていたかを調べることは欠かせないことなのである。
13年12月30日
特定社労士による紛争解決
社会保険労務士が労使紛争解決業務ができるようになって、そろそろ久しいと言わねばなるまい。
しかし、積極的に業務がなされていない。ここ数年実績が上がった状態でしかない。
何故か。
・特定社労士制度ができ、皆業務内容をよくわからぬままに「こういうのは最初が取りやすい」と取ったというよくある話。また、それも、大号令の下での翼賛式の大時代物。
・「あっせん代理」導入時の記憶が強く、その当時は労務管理の延長業務という捉え方であった。その印象で止まっている先生方がほとんどである。しかしそれから少しして「紛争解決代理業務」という性格替えが行われており、その理解が未到達である。「紛争解決」の定義は、あっせんは無論のこと、労働審判、訴訟、仮処分等諸メニューでの解決のことをいう。そして、特定社労士ができる業務はあっせんとされ、労働局以外のADRにおいては別途制限が設けられている。したがって、当初の労務管理の延長という姿勢で臨んでは斯界においてまったく無防備の状態なのである。ただし、弁護士の社労士登録が増えており、意見交流を含め、新たな展開を孕む。
・団交については、同時期に制限が取り払われた。代理するものではなく、労務管理の一環とするものである。団交事項においては法的範囲より広く、経営権の是正を直接交渉することができるものであるから、より好ましい方向付けが可能である。
・あっせん参加が期待できない事案については、強制力のある裁判所事案となる。したがって、着手金より後は請求できない事案が多い。結局、依頼者のため、整備した基礎資料等はそのまま弁護士に無償で譲ることになってしまい、(弁護士は自己の判断のために再整理するにしても)、成功報酬なき着手金では利益がない。(契約の仕方の話でもあるが)
とはいえ、少しずつ実績を積んできた先生の数が増えつつある。また、各社労士会ではパラツキがあるが、社労士会連合会のHP内では、労務管理の延長止まりではない認識による紛争解決講座が行われている(会員限定)。
本来、国内における個別労使紛争事案の解決に弾みをつける特定社労士制度なのである。
裁判は事実認定にまず時間をかけるし、裁判所ルールはあまり国民のものになっていない。弁護士は費用が高いか、安くとも費用をかけてまでという泣きっ面に蜂を敬遠する。そこで、あっせん制度ができたが、事前交渉が弱い素人では相手をテーブルに着かせるのは難しい。よって、団交か審判に偏ることになる。
私は「代理権」というのは労働紛争においてそぐわないとも考えている。事実認定がほとんど占める性質なので、詰まる所、当事者が前面に出てもらわないと困るわけで、代理する者としても安心でき、同伴するかたちがベストだと考えている。或いは支援形態であるが、これは相当熟練の技となる。
なお、紛争解決実務の観点のない従前の労務管理認識では、労働相談なら特にそうであるが、もはや通用しないのである。そのうえ、幾つかの労働社会保険諸法令の改正も進行していくため、社労士は大変。
しかし、積極的に業務がなされていない。ここ数年実績が上がった状態でしかない。
何故か。
・特定社労士制度ができ、皆業務内容をよくわからぬままに「こういうのは最初が取りやすい」と取ったというよくある話。また、それも、大号令の下での翼賛式の大時代物。
・「あっせん代理」導入時の記憶が強く、その当時は労務管理の延長業務という捉え方であった。その印象で止まっている先生方がほとんどである。しかしそれから少しして「紛争解決代理業務」という性格替えが行われており、その理解が未到達である。「紛争解決」の定義は、あっせんは無論のこと、労働審判、訴訟、仮処分等諸メニューでの解決のことをいう。そして、特定社労士ができる業務はあっせんとされ、労働局以外のADRにおいては別途制限が設けられている。したがって、当初の労務管理の延長という姿勢で臨んでは斯界においてまったく無防備の状態なのである。ただし、弁護士の社労士登録が増えており、意見交流を含め、新たな展開を孕む。
・団交については、同時期に制限が取り払われた。代理するものではなく、労務管理の一環とするものである。団交事項においては法的範囲より広く、経営権の是正を直接交渉することができるものであるから、より好ましい方向付けが可能である。
・あっせん参加が期待できない事案については、強制力のある裁判所事案となる。したがって、着手金より後は請求できない事案が多い。結局、依頼者のため、整備した基礎資料等はそのまま弁護士に無償で譲ることになってしまい、(弁護士は自己の判断のために再整理するにしても)、成功報酬なき着手金では利益がない。(契約の仕方の話でもあるが)
とはいえ、少しずつ実績を積んできた先生の数が増えつつある。また、各社労士会ではパラツキがあるが、社労士会連合会のHP内では、労務管理の延長止まりではない認識による紛争解決講座が行われている(会員限定)。
本来、国内における個別労使紛争事案の解決に弾みをつける特定社労士制度なのである。
裁判は事実認定にまず時間をかけるし、裁判所ルールはあまり国民のものになっていない。弁護士は費用が高いか、安くとも費用をかけてまでという泣きっ面に蜂を敬遠する。そこで、あっせん制度ができたが、事前交渉が弱い素人では相手をテーブルに着かせるのは難しい。よって、団交か審判に偏ることになる。
私は「代理権」というのは労働紛争においてそぐわないとも考えている。事実認定がほとんど占める性質なので、詰まる所、当事者が前面に出てもらわないと困るわけで、代理する者としても安心でき、同伴するかたちがベストだと考えている。或いは支援形態であるが、これは相当熟練の技となる。
なお、紛争解決実務の観点のない従前の労務管理認識では、労働相談なら特にそうであるが、もはや通用しないのである。そのうえ、幾つかの労働社会保険諸法令の改正も進行していくため、社労士は大変。
13年11月25日
遺族補償年金受給、男女差は違憲
地方公務員の遺族補償年金受給、男女差は違憲 大阪地裁
朝日新聞デジタル 11月25日(月)15時7分配信
《夫を亡くした妻に手厚い地方公務員災害補償法(地公災法)の規定は、法の下の平等を定めた憲法14条に反するとして、自殺した女性教諭の夫(66)が、この規定に基づき遺族補償年金を不支給とした地方公務員災害補償基金の決定取り消しを求めた訴訟の判決が25日、大阪地裁であった。中垣内(なかがいと)健治裁判長は「男女で受給資格を分けることは合理的な根拠がない」として、規定を違憲と判断。同基金の決定を取り消した。
原告側によると、遺族補償年金の受給資格をめぐり、男女格差を違憲とした司法判断は初めて。同様の男女格差は、国家公務員災害補償法や民間を対象とした労働者災害補償保険法にも規定されており、今後議論となりそうだ。
判決は、地公災法が遺族補償年金の支給条件を男女で区別していることについて、「正社員の夫と専業主婦が一般的な家庭モデルであった制定当時は、合理性があった」と指摘。だが一方で、女性の社会進出による共働き世帯の一般化や男性の非正規雇用の増加という社会情勢の変化を踏まえ、「配偶者の性別により、受給権の有無が異なるような取り扱いは、差別的で違憲」と結論付けた。
訴状などによると、女性教諭は勤務先の中学校での校内暴力などで1997年にうつ病を発症し、夫が51歳だった98年に自殺。2010年に労災にあたる「公務災害」と認められ、夫は遺族補償年金の支給を求めた。しかし基金は11年、支給対象は夫を亡くした妻か、妻の死亡時に55歳以上の夫とする地公災法の規定を理由に不支給とした。》
大切なので全文を載せた。
裁判所が現行の法規定を違憲とした。「家庭モデル」が現在合理性がないものとした。
労働法の世界では「均等」思想による法改正がゆっくりと進みつつあるが、浸透度はまだまだといえる。一方、労働社会保険の世界ではようやく遺族基礎年金の改正が決まっているところまででなかなか進まない。こちらは法施行されれば一気に浸透する。
法規定を無効とし、したがって今までの女性と同じ給付が男性にもなされるということであるので、現行の法規定のままだと具合が悪い。といって、法改正がすぐに行われるとも思われない。実務的にどう進むのか興味深い。
なかなかすごい裁判官である。訴訟提起した者もすごい。このように公益に影響がある訴訟は本来国が負担すべきであろう。個人に負わすものではない。大半は権限も何もない事務の窓口で解決できるものとカン違いしているが。司法を利用しないと何も進まないということや裁判のルールを義務教育等でもっと力を入れてやるべきである。裁判官も増やさないと。
朝日新聞デジタル 11月25日(月)15時7分配信
《夫を亡くした妻に手厚い地方公務員災害補償法(地公災法)の規定は、法の下の平等を定めた憲法14条に反するとして、自殺した女性教諭の夫(66)が、この規定に基づき遺族補償年金を不支給とした地方公務員災害補償基金の決定取り消しを求めた訴訟の判決が25日、大阪地裁であった。中垣内(なかがいと)健治裁判長は「男女で受給資格を分けることは合理的な根拠がない」として、規定を違憲と判断。同基金の決定を取り消した。
原告側によると、遺族補償年金の受給資格をめぐり、男女格差を違憲とした司法判断は初めて。同様の男女格差は、国家公務員災害補償法や民間を対象とした労働者災害補償保険法にも規定されており、今後議論となりそうだ。
判決は、地公災法が遺族補償年金の支給条件を男女で区別していることについて、「正社員の夫と専業主婦が一般的な家庭モデルであった制定当時は、合理性があった」と指摘。だが一方で、女性の社会進出による共働き世帯の一般化や男性の非正規雇用の増加という社会情勢の変化を踏まえ、「配偶者の性別により、受給権の有無が異なるような取り扱いは、差別的で違憲」と結論付けた。
訴状などによると、女性教諭は勤務先の中学校での校内暴力などで1997年にうつ病を発症し、夫が51歳だった98年に自殺。2010年に労災にあたる「公務災害」と認められ、夫は遺族補償年金の支給を求めた。しかし基金は11年、支給対象は夫を亡くした妻か、妻の死亡時に55歳以上の夫とする地公災法の規定を理由に不支給とした。》
大切なので全文を載せた。
裁判所が現行の法規定を違憲とした。「家庭モデル」が現在合理性がないものとした。
労働法の世界では「均等」思想による法改正がゆっくりと進みつつあるが、浸透度はまだまだといえる。一方、労働社会保険の世界ではようやく遺族基礎年金の改正が決まっているところまででなかなか進まない。こちらは法施行されれば一気に浸透する。
法規定を無効とし、したがって今までの女性と同じ給付が男性にもなされるということであるので、現行の法規定のままだと具合が悪い。といって、法改正がすぐに行われるとも思われない。実務的にどう進むのか興味深い。
なかなかすごい裁判官である。訴訟提起した者もすごい。このように公益に影響がある訴訟は本来国が負担すべきであろう。個人に負わすものではない。大半は権限も何もない事務の窓口で解決できるものとカン違いしているが。司法を利用しないと何も進まないということや裁判のルールを義務教育等でもっと力を入れてやるべきである。裁判官も増やさないと。
13年11月08日
第45回社会保険労務士試験の合格者発表
第45回社会保険労務士試験の合格者発表
久しぶりにまじまじと発表を読む。
相変わらず、申込者数のうち実際受験する者が少ない。いつも不思議に思うこと。
・ 合格者数 2,666人(前年 3,650人)
・ 合格率 5.4%(前年 7.0%)
うわっという数字である。
合格率の低さもさることながら、合格者数の少なさである。問題は見ていないが、相当難問であったことがわかる。来年はこれに比べれば少しは楽であろうから、すぐに次回に向けての方針を練ればよし。
結構長い水面下活動にあった特定社会保険労務士業務は、少しずつ頭を出しつつあり。同時に、職業倫理面も然り。無論、産業界全体にわたる改善意識が強まらないと、という要素はあるが、日本の労働界、労働社会保険界における潜在可能性はますます期待できる。
弁護士との協調も進んでおり、社労士登録をしてくる者も増えている。したがって、司法界の可能性もますます期待できる。司法技術が社労士に持ち込まれることで、より適確な労務管理アドバイスとなり、労働社会保険手続き等が弁護士に持ち込まれることで、より拡がった訴訟尋問となる。
一方、こうした動きをよしとしない保守的な者もいる。「判例解説」に止まったセミナーを依然として社労士相手にできるものと思っている者もいる。
実際に法律行為の代理権があるかないかは別として、「労働相談」では日本で可能な解決方法を知っておかねばならない。まして、直接的な委任契約を採らない「支援」を行う契約ではなおさらである。
社労士界では、従来、司法技術を社労士に研修するのをよしとしない弁護士を判例講師として呼ぶことがあったが、利益相反性の面から、公式に呼ぶのにはふさわしくないという態度に変じつつある。もとより事実確認に頭を悩ます労働事件のウェイトは低く、それのみで事務所を経営する弁護士は皆無と聞いているが、それでもここのところの弁社間の行き来は濃くなっている。(仲間の弁護士では労働事件の話ができる相手を探すのに一苦労するが、社労士は誰もが話し相手になるというオアシス楽園の発見!)
紛争解決業務は社労士にとってもまた大きなジャンプ台である。関与先の違法な労働社会保険手続きをできるところから少しずつ是正させていくのが、社労士の最も難しい仕事の一つであり、したがって不完全な手続きを当分の間社労士の手続き業務として加担する格好になってしまう。明白な違反、是正する意思なしならば契約解消事由となるが、たいていのそうでない場合、従来ならば説得材料の不足が否めなかったが、みずから紛争解決業務を展開することによって、特に民事的な観点が啓かれることになった。
裁判で展開される労働事件の類型はかなり限られたものであり、またそのほとんどは裁判和解である。社労士が業務として民事労働紛争を手がけることになったことから、企業内和解(従前の労務管理の一つ)もしくは紛争の未然への能力、技術が高まった。ただ、このことはこれからさらに加速される話で、企業の事務手続きの違法性からの克服(同じく企業事務を担当する税理士も同様かそれ以上のものと推定される)は、紛争解決業務の解決数と強く関連しあうもの。人事原資料の事務手続きの段階から評価していくことを常套手段とする傾向が性格上強いことから、社労士はより重要な資格となるだろう。しかし、そのマニアックな性質と横断性の強さは実際大変な労力を仕事をする前段階から大量に要求されるものであり、最も大成し難い資格といえる。いつになっても一人前にはなれまい。
そういうわけで、試験の大変さ、勉強量の多さは、将来を暗示、否、はっきりと明示するものであるということを掛け値なしでいえる。これも工夫の問題であるが、合格後は右から左に次々と仕事を処理していけばよいという資格ではなく、試験勉強に近い体制を解けない資格でもある。収益が出てないにもかかわらずその体制を続けなければならないのは一種の拷問といえなくもない。
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久しぶりにまじまじと発表を読む。
相変わらず、申込者数のうち実際受験する者が少ない。いつも不思議に思うこと。
・ 合格者数 2,666人(前年 3,650人)
・ 合格率 5.4%(前年 7.0%)
うわっという数字である。
合格率の低さもさることながら、合格者数の少なさである。問題は見ていないが、相当難問であったことがわかる。来年はこれに比べれば少しは楽であろうから、すぐに次回に向けての方針を練ればよし。
結構長い水面下活動にあった特定社会保険労務士業務は、少しずつ頭を出しつつあり。同時に、職業倫理面も然り。無論、産業界全体にわたる改善意識が強まらないと、という要素はあるが、日本の労働界、労働社会保険界における潜在可能性はますます期待できる。
弁護士との協調も進んでおり、社労士登録をしてくる者も増えている。したがって、司法界の可能性もますます期待できる。司法技術が社労士に持ち込まれることで、より適確な労務管理アドバイスとなり、労働社会保険手続き等が弁護士に持ち込まれることで、より拡がった訴訟尋問となる。
一方、こうした動きをよしとしない保守的な者もいる。「判例解説」に止まったセミナーを依然として社労士相手にできるものと思っている者もいる。
実際に法律行為の代理権があるかないかは別として、「労働相談」では日本で可能な解決方法を知っておかねばならない。まして、直接的な委任契約を採らない「支援」を行う契約ではなおさらである。
社労士界では、従来、司法技術を社労士に研修するのをよしとしない弁護士を判例講師として呼ぶことがあったが、利益相反性の面から、公式に呼ぶのにはふさわしくないという態度に変じつつある。もとより事実確認に頭を悩ます労働事件のウェイトは低く、それのみで事務所を経営する弁護士は皆無と聞いているが、それでもここのところの弁社間の行き来は濃くなっている。(仲間の弁護士では労働事件の話ができる相手を探すのに一苦労するが、社労士は誰もが話し相手になるというオアシス楽園の発見!)
紛争解決業務は社労士にとってもまた大きなジャンプ台である。関与先の違法な労働社会保険手続きをできるところから少しずつ是正させていくのが、社労士の最も難しい仕事の一つであり、したがって不完全な手続きを当分の間社労士の手続き業務として加担する格好になってしまう。明白な違反、是正する意思なしならば契約解消事由となるが、たいていのそうでない場合、従来ならば説得材料の不足が否めなかったが、みずから紛争解決業務を展開することによって、特に民事的な観点が啓かれることになった。
裁判で展開される労働事件の類型はかなり限られたものであり、またそのほとんどは裁判和解である。社労士が業務として民事労働紛争を手がけることになったことから、企業内和解(従前の労務管理の一つ)もしくは紛争の未然への能力、技術が高まった。ただ、このことはこれからさらに加速される話で、企業の事務手続きの違法性からの克服(同じく企業事務を担当する税理士も同様かそれ以上のものと推定される)は、紛争解決業務の解決数と強く関連しあうもの。人事原資料の事務手続きの段階から評価していくことを常套手段とする傾向が性格上強いことから、社労士はより重要な資格となるだろう。しかし、そのマニアックな性質と横断性の強さは実際大変な労力を仕事をする前段階から大量に要求されるものであり、最も大成し難い資格といえる。いつになっても一人前にはなれまい。
そういうわけで、試験の大変さ、勉強量の多さは、将来を暗示、否、はっきりと明示するものであるということを掛け値なしでいえる。これも工夫の問題であるが、合格後は右から左に次々と仕事を処理していけばよいという資格ではなく、試験勉強に近い体制を解けない資格でもある。収益が出てないにもかかわらずその体制を続けなければならないのは一種の拷問といえなくもない。