12年12月22日
パワハラの環境
大津いじめ 暴行容疑などで同級生2人書類送検へ
《捜査関係者によると、約半年に及ぶ捜査で立証した男子生徒に対する犯罪容疑や非行事実は、中学校のトイレで殴るなどした暴行や、成績カードを破る器物損壊など十数件あり、今後大津地検と児相がそれぞれ改めて精査。来年3月までに、大津家裁が審判を開くなどして3人の処遇を決める見通し。書類送検される2人のうち1人は年齢が事案別に13歳の時と14歳の時に分かれるため、事案ごとに地検と児相に送ることになる。 》
「教育機関」はもはや私的自治での解決能力をもたないということである。社会的な解決手段でないと駄目だということである。
「会社」における「いじめ」は、中学生のように明瞭ではなく、隠そうとするため、陰湿なのであるが、こうしたいじめ中学生そのままの姿で、取締役に就いていたりもするケースもある。有難いことに(とはいえぬが)、そうした暴力取締役はレアなケースである。
ところで、厚労省はセクハラに次いでパワハラに力を入れているところであるが、普通一般的には「暴言」「暴力」「辱め」をもってそれとする傾向がある。無論、セクハラ同様、肝腎の本人の心がそれによって傷ついているか否かの基準がある。
しかしながら、中学校と異なり、会社は少々曖昧ながらも契約社会である。まして、戦中戦後にあったような強度の私的自治組織ではなくなりつつある。こうした中、留意する点として、その原因は何かという原点こそ大事である。会社命令、社長命令、上司命令、同僚の状態、部下の状態ひいては会社の状態。そこからしかパワハラという事実は生じてこない。少なくとも厚労省がみているパワハラとはそういうものである。したがって、売上げや利益の観点、取締役会決議の内容、仕事の指導と部下管理の日常、会社の常態とはどういうものだったか等の観点は必修である。よって、その営利集団におけるパワハラとは何を意味するかが労務管理や紛争解決の要諦となるはずである。
《捜査関係者によると、約半年に及ぶ捜査で立証した男子生徒に対する犯罪容疑や非行事実は、中学校のトイレで殴るなどした暴行や、成績カードを破る器物損壊など十数件あり、今後大津地検と児相がそれぞれ改めて精査。来年3月までに、大津家裁が審判を開くなどして3人の処遇を決める見通し。書類送検される2人のうち1人は年齢が事案別に13歳の時と14歳の時に分かれるため、事案ごとに地検と児相に送ることになる。 》
「教育機関」はもはや私的自治での解決能力をもたないということである。社会的な解決手段でないと駄目だということである。
「会社」における「いじめ」は、中学生のように明瞭ではなく、隠そうとするため、陰湿なのであるが、こうしたいじめ中学生そのままの姿で、取締役に就いていたりもするケースもある。有難いことに(とはいえぬが)、そうした暴力取締役はレアなケースである。
ところで、厚労省はセクハラに次いでパワハラに力を入れているところであるが、普通一般的には「暴言」「暴力」「辱め」をもってそれとする傾向がある。無論、セクハラ同様、肝腎の本人の心がそれによって傷ついているか否かの基準がある。
しかしながら、中学校と異なり、会社は少々曖昧ながらも契約社会である。まして、戦中戦後にあったような強度の私的自治組織ではなくなりつつある。こうした中、留意する点として、その原因は何かという原点こそ大事である。会社命令、社長命令、上司命令、同僚の状態、部下の状態ひいては会社の状態。そこからしかパワハラという事実は生じてこない。少なくとも厚労省がみているパワハラとはそういうものである。したがって、売上げや利益の観点、取締役会決議の内容、仕事の指導と部下管理の日常、会社の常態とはどういうものだったか等の観点は必修である。よって、その営利集団におけるパワハラとは何を意味するかが労務管理や紛争解決の要諦となるはずである。
12年12月12日
パワーハラスメント調査報告
〇パワハラに関する調査報告書
このところ、厚労省はパワハラに力を入れている。確かに、セクハラというのは本来、痴漢もしくは強制わいせつというのが本質であり、条例違反もしくは軽犯罪として扱われるべきものがたいていである。したがって、それは業務とまず無関係な内容である。それは、組織における上下関係を奇貨として生じる性関係でしかない。そして、会社はかつてほど性犯罪者に対して、幇助しなくなってきた(というか、「性犯罪者」という見方自体が日本の会社が変化したというものである。)。よって、「セク」の部分はそれ自体独立させて解決すればよく、会社では、残りの「ハラ」という問題について扱うことになる。
たぶん、セクハラの事件が、「ディスクロージャー」(映画)のように、女性上司によるセクハラが提訴され、また同性どうしによるセクハラが提訴されだしてからが、セクハラのイメージが修正され、かつパワハラという言葉が巷で呼ばれて、そしてセクハラがパワハラの一形態に収まった経緯であると思われる。環境型セクハラという間接的な認識の仕方がセクハラにはあるが、この認識は専ら会社の配慮義務に落とし込む作業に必要なものであるから、直接のハラスメントというイメージからやや遠い。
さて、調査報告では、表7の内容に関心が行った。セクハラと異なり、パワハラは業務遂行の過程で行われることがたいていである。私が書いたシナリオがあるが、それは万年、成績の悪い部署へ、社長がキレ者の部長を異動させたところ、その部署の社員の一人が半年後に自殺したという内容である。表7では、コミュニケーション不足と軟弱な若者という項目が該当する。なお、たいてい自殺する者は転職したことがなく、学校卒業後自殺するまで同じ会社で勤務している者のように感じられる。
整理解雇やリストラなどの噂が立つ会社では、同僚を含め、自分は免れようと、全員が敵となる。仲のよかった者どうしも反目するものである。こういうところに毎日勤務することは相当なストレスである。無論、だからといってこの段階では労災事案にはならないものだが(皆が皆その危険を現実化しているものではない。したがって特定の出来事がない限りは難しい)、そうした環境ではパワハラが繰り広げられるだろう。
〇犯罪被害者の方々のための休暇
見慣れないものであるが、こうしたものについて経営者はうんざりするのがたいていである。またひとつ新たな要求が出てきたかと。あたかも団交項目に対するかのように。
具体的には、個々の会社とその従業員との関係により、実現したりそうでなかったりするもので、難しい分野である。「権利ばかり主張するようになった」のと逆に「負担ばかり要請する」ということであろう。
厚労省は戦中に内務省から独立した機関であるが、タテワリ行政と相俟って、象の皮膚を撫でるにとどまり、それ以上踏み込むには今ひとつ変革を要する。
かつて国家が労務管理に介入した論理は、武器等の製造や銃後生活のための「産業兵士」という概念をもとにするものであった。せめて「平和目的」という概念によってでも、労務管理に踏み込めるという機関である必要がある。そうでないので、会社は「負担の要請」としか受け止めない。なお、かつては国家が、軍事会社に限るが、間接的に経営に介入した。よって、現行は、会社と従業員の個々の関係において如何となる。しかし、少なくとも、地道に国民と会社と国家との関係の調査、その分析、そしてグランドデザインその他の蓄積は用意しておくに越したことはない。
このところ、厚労省はパワハラに力を入れている。確かに、セクハラというのは本来、痴漢もしくは強制わいせつというのが本質であり、条例違反もしくは軽犯罪として扱われるべきものがたいていである。したがって、それは業務とまず無関係な内容である。それは、組織における上下関係を奇貨として生じる性関係でしかない。そして、会社はかつてほど性犯罪者に対して、幇助しなくなってきた(というか、「性犯罪者」という見方自体が日本の会社が変化したというものである。)。よって、「セク」の部分はそれ自体独立させて解決すればよく、会社では、残りの「ハラ」という問題について扱うことになる。
たぶん、セクハラの事件が、「ディスクロージャー」(映画)のように、女性上司によるセクハラが提訴され、また同性どうしによるセクハラが提訴されだしてからが、セクハラのイメージが修正され、かつパワハラという言葉が巷で呼ばれて、そしてセクハラがパワハラの一形態に収まった経緯であると思われる。環境型セクハラという間接的な認識の仕方がセクハラにはあるが、この認識は専ら会社の配慮義務に落とし込む作業に必要なものであるから、直接のハラスメントというイメージからやや遠い。
さて、調査報告では、表7の内容に関心が行った。セクハラと異なり、パワハラは業務遂行の過程で行われることがたいていである。私が書いたシナリオがあるが、それは万年、成績の悪い部署へ、社長がキレ者の部長を異動させたところ、その部署の社員の一人が半年後に自殺したという内容である。表7では、コミュニケーション不足と軟弱な若者という項目が該当する。なお、たいてい自殺する者は転職したことがなく、学校卒業後自殺するまで同じ会社で勤務している者のように感じられる。
整理解雇やリストラなどの噂が立つ会社では、同僚を含め、自分は免れようと、全員が敵となる。仲のよかった者どうしも反目するものである。こういうところに毎日勤務することは相当なストレスである。無論、だからといってこの段階では労災事案にはならないものだが(皆が皆その危険を現実化しているものではない。したがって特定の出来事がない限りは難しい)、そうした環境ではパワハラが繰り広げられるだろう。
〇犯罪被害者の方々のための休暇
見慣れないものであるが、こうしたものについて経営者はうんざりするのがたいていである。またひとつ新たな要求が出てきたかと。あたかも団交項目に対するかのように。
具体的には、個々の会社とその従業員との関係により、実現したりそうでなかったりするもので、難しい分野である。「権利ばかり主張するようになった」のと逆に「負担ばかり要請する」ということであろう。
厚労省は戦中に内務省から独立した機関であるが、タテワリ行政と相俟って、象の皮膚を撫でるにとどまり、それ以上踏み込むには今ひとつ変革を要する。
かつて国家が労務管理に介入した論理は、武器等の製造や銃後生活のための「産業兵士」という概念をもとにするものであった。せめて「平和目的」という概念によってでも、労務管理に踏み込めるという機関である必要がある。そうでないので、会社は「負担の要請」としか受け止めない。なお、かつては国家が、軍事会社に限るが、間接的に経営に介入した。よって、現行は、会社と従業員の個々の関係において如何となる。しかし、少なくとも、地道に国民と会社と国家との関係の調査、その分析、そしてグランドデザインその他の蓄積は用意しておくに越したことはない。
12年12月01日
弁護士の選び方
1.第8 次社労士法改正に関する事業
《平成25 年の通常国会において、次の事項を中心とする第8 次社労士法改正を実現することを目指し、全都道府県会に設置を推進している「社労士会労働紛争解決センター」による紛争解決機関としての実績、間もなく全国に1 万人を数える特定社会保険労務士(以下「特定社労士」という。)による紛争解決手続の代理人としての実績はもとより、社労士が顧問先事業所等において実施している紛争未然防止のための相談指導の実績を明らかにし、社労士が個別労働関係紛争に係る国民の法的利便性の向上に寄与していることを示すことが必要であるので、都道府県会とともに最重点事項として取り組む。
また、特定社労士の裁判外紛争における代理業務の実績を挙げるため、実践的な研修を実施する。
⑴ 労働審判における代理権の獲得
⑵ 個別労働関係紛争に関する簡易裁判所訴訟代理権等の獲得
⑶ 地方裁判所以上の審級における出廷陳述権の獲得
⑷ 個別労働関係紛争にかかる紛争の目的価額60 万円の制限の撤廃
⑸ 社労士試験制度の改善
⑹ 一人法人制度の導入
⑺ 自治権の獲得等その他必要な事項》
社労士会では、現在社会保険労務士法改正作業に入っています。
いずれも高いハードルとも言われていますが、それぞれ弁護士や審判委員(最高裁による許可を経たもの)、労働組合等を講師に呼び、民法、民亊訴訟法、審判、本訴訟、行政訴訟その他証拠保全手続等につき精力的に研修しているところです。これらは第8次法改正にかかわらず、現行においても労働相談に必要な知識でありますし、また国民の司法参加のためには必要不可欠の研修となります。それと訴訟等も考えての相談ならば、事前作業を整えて、弁護士に事案等上手く引き継いでもらうことが大切です。
法改正が実現するとしても、当分の間は、師事する弁護士の下での事件の共同受注(下働き)となることが想定されるため、現在師事する弁護士探しが始っているといえます。
ただ、残念ながら弁護士の中にはこの種の研修を潰しにかかる者もおられます。研修してもらった弁護士を同業者でありながら非難めいた発言をしたり、社労士法改正の動向に対して牽制的発言を繰り返したり、社労士が当然知っている内容についてしか話さない(専門家として認めていない)など。同じく職務倫理についても並行して研修しているがために、こうした先輩が余計に目につくことになっています。無理して研修の依頼相手にごまする必要ないが、わざわざ来てもらったが、一体何を話しに来たのだろうという結果を招くことがある。
それと、依頼する方が一番駄目なのである。企画をよく練り、自分たちに必要な、ふさわしい弁護士を呼ぶことである。少なくとも、「上目線」の人は信頼関係を築くことに配慮しない。まだまだいるのだろうか?しかしもう一度言うが、依頼する方が弁護士の選定に未熟だということである。数人の弁護士を見ないとそれはなかなか難しい。結構皆個性全開なので、会話すればすぐわかる。
《平成25 年の通常国会において、次の事項を中心とする第8 次社労士法改正を実現することを目指し、全都道府県会に設置を推進している「社労士会労働紛争解決センター」による紛争解決機関としての実績、間もなく全国に1 万人を数える特定社会保険労務士(以下「特定社労士」という。)による紛争解決手続の代理人としての実績はもとより、社労士が顧問先事業所等において実施している紛争未然防止のための相談指導の実績を明らかにし、社労士が個別労働関係紛争に係る国民の法的利便性の向上に寄与していることを示すことが必要であるので、都道府県会とともに最重点事項として取り組む。
また、特定社労士の裁判外紛争における代理業務の実績を挙げるため、実践的な研修を実施する。
⑴ 労働審判における代理権の獲得
⑵ 個別労働関係紛争に関する簡易裁判所訴訟代理権等の獲得
⑶ 地方裁判所以上の審級における出廷陳述権の獲得
⑷ 個別労働関係紛争にかかる紛争の目的価額60 万円の制限の撤廃
⑸ 社労士試験制度の改善
⑹ 一人法人制度の導入
⑺ 自治権の獲得等その他必要な事項》
社労士会では、現在社会保険労務士法改正作業に入っています。
いずれも高いハードルとも言われていますが、それぞれ弁護士や審判委員(最高裁による許可を経たもの)、労働組合等を講師に呼び、民法、民亊訴訟法、審判、本訴訟、行政訴訟その他証拠保全手続等につき精力的に研修しているところです。これらは第8次法改正にかかわらず、現行においても労働相談に必要な知識でありますし、また国民の司法参加のためには必要不可欠の研修となります。それと訴訟等も考えての相談ならば、事前作業を整えて、弁護士に事案等上手く引き継いでもらうことが大切です。
法改正が実現するとしても、当分の間は、師事する弁護士の下での事件の共同受注(下働き)となることが想定されるため、現在師事する弁護士探しが始っているといえます。
ただ、残念ながら弁護士の中にはこの種の研修を潰しにかかる者もおられます。研修してもらった弁護士を同業者でありながら非難めいた発言をしたり、社労士法改正の動向に対して牽制的発言を繰り返したり、社労士が当然知っている内容についてしか話さない(専門家として認めていない)など。同じく職務倫理についても並行して研修しているがために、こうした先輩が余計に目につくことになっています。無理して研修の依頼相手にごまする必要ないが、わざわざ来てもらったが、一体何を話しに来たのだろうという結果を招くことがある。
それと、依頼する方が一番駄目なのである。企画をよく練り、自分たちに必要な、ふさわしい弁護士を呼ぶことである。少なくとも、「上目線」の人は信頼関係を築くことに配慮しない。まだまだいるのだろうか?しかしもう一度言うが、依頼する方が弁護士の選定に未熟だということである。数人の弁護士を見ないとそれはなかなか難しい。結構皆個性全開なので、会話すればすぐわかる。
12年11月17日
解雇は当たり前、ニッポン雇用の修羅場
解雇は当たり前、ニッポン雇用の修羅場
《「合計10回の面談で精神的に追い込まれ、自殺すら考えた」
NECグループで教育関連の職場で働く男性(44)は、今年5月から始まった退職勧奨を振り返る。
「君にやってもらう仕事はない」「残ってもどこの職場になるかわからない」。最初3回は直属の上司との面談だったが、4回目からは役員と人事担当者が現れた。その後7回、時に2時間を超える退職勧奨の繰り返しに、体重は5??以上も減った。
東京労働局に申告したことで会社に指導が入り面談こそ止んだが、その直後、上司から罵声を浴びせられた。「お前は何をやったかわかっているのか、本社の人事も怒っているぞ」「お前に信頼できる仲間なんていないぞ」・・・。その後もサービス残業の強要などが続いているという。》
「日本人は自国のことを他人事のように見ている」と認識されていて、それに対して私は「戦争で負けてナショナリズムをなくした」と簡単に答えていたが、そうとばかり言えないなと思い始めた。
もともと日本民族はナショナリズム度が低い民族であるため、明治維新で中央集権化を実現し、さらに総力戦体制をも実現させた近代国家体制は異例ともいえる出来事であった。また、敗戦したわけだが、所属意識は国というより故郷に強くあったため、国家により戦争に駆り出されたという被害者意識が先行している。次いで、農村から都市へと産業構造が変化し、都市部の人間の所属意識は主として「わが社」に置かれた。高度経済成長、終身雇用、年功序列等々の「企業文化」が形づくられ、「日本株式会社」は国家と産業との両輪で進んでいった。そして、経済自由化の流れで企業の国家からの自立が促進され、産業界は内部ルールに強く依存することになった。バブル現象は経済秩序を野放図のものとし、それを総量規制で食止めるも、企業における内部ルールはもはや秩序として回復せず、形式的なものとして変容した。したがって、大手優良企業といえども、人事のノウハウは不足しており、下品で野蛮なやり方に堕ちるものである。経営ノウハウがもともと不足しているからだという認識も、老舗企業の不祥事や下請けいじめなど「大名商売」で弛緩した精神に引導を渡すものだ。大手優良企業は巨大すぎて実際よくわからないため、わかりやすい事例が強調されるのかも知れない。
国は解雇の自由化は認めていない。しかし、一般的には解雇はよくなされている。裁判で争うか否かの違いである。世相を背景としても、国の判断はあまり揺らいでいない。無論、色々なケースがあり、中小零細企業では団体交渉やあっせん等和解の場にて、解雇は受け入れる代わりに解決金、退職金の上乗せその他の要求という交換条件での終結が多い。中途入社や非正規が主となるので、終身雇用という命綱を守ろうとする大手優良企業とは争う形態が異なる。
ところで、また先の話に戻ると、記事のような下品で野蛮なやり方や罵声を所属意識をもっている場所での出来事という点を重くとらえると、もはやどこにも身の置き場がないという危険な状態に陥る。企業の排他利益こそ自分であるという事態は、かつての「自分が退職することで会社を助ける」という認識と重なるが、今日ではそうした忠心から来る犠牲精神すら入る余地がないほど、下品で野蛮な行為である。
人材のリストラ流出もまた日本企業の首を絞め、人事の叩き売りは今のところまちがった判断ということになる。雇用市場は流通の促進を図ったものの、まだ完成形ではない。グランドデザインがもはや不可欠である。
《「合計10回の面談で精神的に追い込まれ、自殺すら考えた」
NECグループで教育関連の職場で働く男性(44)は、今年5月から始まった退職勧奨を振り返る。
「君にやってもらう仕事はない」「残ってもどこの職場になるかわからない」。最初3回は直属の上司との面談だったが、4回目からは役員と人事担当者が現れた。その後7回、時に2時間を超える退職勧奨の繰り返しに、体重は5??以上も減った。
東京労働局に申告したことで会社に指導が入り面談こそ止んだが、その直後、上司から罵声を浴びせられた。「お前は何をやったかわかっているのか、本社の人事も怒っているぞ」「お前に信頼できる仲間なんていないぞ」・・・。その後もサービス残業の強要などが続いているという。》
「日本人は自国のことを他人事のように見ている」と認識されていて、それに対して私は「戦争で負けてナショナリズムをなくした」と簡単に答えていたが、そうとばかり言えないなと思い始めた。
もともと日本民族はナショナリズム度が低い民族であるため、明治維新で中央集権化を実現し、さらに総力戦体制をも実現させた近代国家体制は異例ともいえる出来事であった。また、敗戦したわけだが、所属意識は国というより故郷に強くあったため、国家により戦争に駆り出されたという被害者意識が先行している。次いで、農村から都市へと産業構造が変化し、都市部の人間の所属意識は主として「わが社」に置かれた。高度経済成長、終身雇用、年功序列等々の「企業文化」が形づくられ、「日本株式会社」は国家と産業との両輪で進んでいった。そして、経済自由化の流れで企業の国家からの自立が促進され、産業界は内部ルールに強く依存することになった。バブル現象は経済秩序を野放図のものとし、それを総量規制で食止めるも、企業における内部ルールはもはや秩序として回復せず、形式的なものとして変容した。したがって、大手優良企業といえども、人事のノウハウは不足しており、下品で野蛮なやり方に堕ちるものである。経営ノウハウがもともと不足しているからだという認識も、老舗企業の不祥事や下請けいじめなど「大名商売」で弛緩した精神に引導を渡すものだ。大手優良企業は巨大すぎて実際よくわからないため、わかりやすい事例が強調されるのかも知れない。
国は解雇の自由化は認めていない。しかし、一般的には解雇はよくなされている。裁判で争うか否かの違いである。世相を背景としても、国の判断はあまり揺らいでいない。無論、色々なケースがあり、中小零細企業では団体交渉やあっせん等和解の場にて、解雇は受け入れる代わりに解決金、退職金の上乗せその他の要求という交換条件での終結が多い。中途入社や非正規が主となるので、終身雇用という命綱を守ろうとする大手優良企業とは争う形態が異なる。
ところで、また先の話に戻ると、記事のような下品で野蛮なやり方や罵声を所属意識をもっている場所での出来事という点を重くとらえると、もはやどこにも身の置き場がないという危険な状態に陥る。企業の排他利益こそ自分であるという事態は、かつての「自分が退職することで会社を助ける」という認識と重なるが、今日ではそうした忠心から来る犠牲精神すら入る余地がないほど、下品で野蛮な行為である。
人材のリストラ流出もまた日本企業の首を絞め、人事の叩き売りは今のところまちがった判断ということになる。雇用市場は流通の促進を図ったものの、まだ完成形ではない。グランドデザインがもはや不可欠である。
12年11月01日
「弁護士職務基本規定」から
第二節 職務を行い得ない事件の規律
(職務を行い得ない事件)
第二十七条 弁護士は、次の各号のいずれかに該当する事件については、その職務を行ってはならない。ただし、第三号に掲げる事件については、受任している事件の依頼者が同意した場合は、この限りでない。
一 相手方の協議を受けて賛助し、又はその依頼を承諾した事件
二 相手方の協議を受けた事件で、その協議の程度及び方法が信頼関係に基づくと認められるもの
三 受任している事件の相手方からの依頼による他の事件
四 公務員として職務上取り扱った事件
五 仲裁、調停、和解斡旋その他の裁判外紛争解決手続機関の手続実施者として取り扱った事件
(同前)
第二十八条 弁護士は、前条に規定するもののほか、次の各号のいずれかに該当する事件については、その職務を行ってはならない。ただし、第一号及び第四号に掲げる事件についてその依頼者が同意した場合、第二号に掲げる事件についてその依頼者及び相手方が同意した場合並びに第三号に掲げる事件についてその依頼者及び他の依頼者のいずれもが同意した場合は、この限りでない。
一 相手方が配偶者、直系血族、兄弟姉妹又は同居の親族である事件
二 受任している他の事件の依頼者又は継続的な法律事務の提供を約している者を相手方とする事件
三 依頼者の利益と他の依頼者の利益が相反する事件
四 依頼者の利益と自己の経済的利益が相反する事件
以上の規定は、各隣接士業がそれぞれの領域の紛争解決についての代理権が付与されるにあたり、各士業の規定において類似の規定が置かれるに至る影響を与えたものである。
言葉遣いが難解で混乱を来たすものであるが、要は一方の秘密を知る者は、もう片方の味方になれないということである。信頼されなくなるためである。図式そのものを禁じたという点で慎重である。
ところで、法律上の債務者、債権者というのは無数にあるわけで、よほどのことでなければ、両当時者双方に関わることもあるまいと思われるが、労働事件に関してはそうでもない。特に使用者側、労働者側の団体に参加していない者であっても、いざ当事者の企業名などチェックすれば、たいてい相談を受けられないという状態が多い。したがって、やはり使用者側、労働者側いずれかの依頼に偏らなければやっていけないということである。労働事件という性質そして絶対数が少ない上にさらに扱う者が少ないわけであるから、偏らなければ「行い得ない事件」ばかりになってしまうわけである。確かに社労士の活用が急がれるが、社労士はあともう少し民亊訴訟法等の補強が必要である。
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(職務を行い得ない事件)
第二十七条 弁護士は、次の各号のいずれかに該当する事件については、その職務を行ってはならない。ただし、第三号に掲げる事件については、受任している事件の依頼者が同意した場合は、この限りでない。
一 相手方の協議を受けて賛助し、又はその依頼を承諾した事件
二 相手方の協議を受けた事件で、その協議の程度及び方法が信頼関係に基づくと認められるもの
三 受任している事件の相手方からの依頼による他の事件
四 公務員として職務上取り扱った事件
五 仲裁、調停、和解斡旋その他の裁判外紛争解決手続機関の手続実施者として取り扱った事件
(同前)
第二十八条 弁護士は、前条に規定するもののほか、次の各号のいずれかに該当する事件については、その職務を行ってはならない。ただし、第一号及び第四号に掲げる事件についてその依頼者が同意した場合、第二号に掲げる事件についてその依頼者及び相手方が同意した場合並びに第三号に掲げる事件についてその依頼者及び他の依頼者のいずれもが同意した場合は、この限りでない。
一 相手方が配偶者、直系血族、兄弟姉妹又は同居の親族である事件
二 受任している他の事件の依頼者又は継続的な法律事務の提供を約している者を相手方とする事件
三 依頼者の利益と他の依頼者の利益が相反する事件
四 依頼者の利益と自己の経済的利益が相反する事件
以上の規定は、各隣接士業がそれぞれの領域の紛争解決についての代理権が付与されるにあたり、各士業の規定において類似の規定が置かれるに至る影響を与えたものである。
言葉遣いが難解で混乱を来たすものであるが、要は一方の秘密を知る者は、もう片方の味方になれないということである。信頼されなくなるためである。図式そのものを禁じたという点で慎重である。
ところで、法律上の債務者、債権者というのは無数にあるわけで、よほどのことでなければ、両当時者双方に関わることもあるまいと思われるが、労働事件に関してはそうでもない。特に使用者側、労働者側の団体に参加していない者であっても、いざ当事者の企業名などチェックすれば、たいてい相談を受けられないという状態が多い。したがって、やはり使用者側、労働者側いずれかの依頼に偏らなければやっていけないということである。労働事件という性質そして絶対数が少ない上にさらに扱う者が少ないわけであるから、偏らなければ「行い得ない事件」ばかりになってしまうわけである。確かに社労士の活用が急がれるが、社労士はあともう少し民亊訴訟法等の補強が必要である。