◆ユニチャームの創業者、高原慶一郎さんは、「私のない人間は伸びません」という考え方をする人だそうである。
 以下は、何人かの部課長にした質問。
 A.「きょう私が会議で述べた意見、きみはどう思う?」
 B.「私が10日ほど前に会社に送った提案書、きみはどう思う?」
 C.「今度私が企画して、会社に提案している研修方式の変更、きみはどう思う?」

 すると“私のない人”の返事や回答は、大体こんなものである。
 a.「参加者にも、いろんな人がいますから一概に、いいとか悪いとか言えませんから…」
 b.「組織で働いているものですから、ぼくが個人の意見として言うことは、そのお…」
 c.「研修は人事課が担当していますから、その人事課の問題に対して、個人的な意見は…」

 お読みになってわかることは、とにかく煮え切らない、メリハリのない返事ばかり。
 こういう人は、“私は……と思う”という主体性を表す言葉を絶対に使わない。
 こういう人たち、つまり“私のない人”というのは、どうやら、「自分の責任でも問われたら、とても困る」という考え方が、骨の芯まで染み込んだ人のようだ。

◆ミサワホームの創業者、三沢千代冶さんの考え方と、いま紹介した高原さんの言葉には重なるものがある。つまり似たようなことを、二人とも部課長に対して考えていらっしゃる。

 三沢さんはよく、「何をやりたいかより、何をやるべきかを考えろ」と語っていた。
 一方高原さんは、「やりたいことを探すより、やるべきことに没頭せよ」とおっしゃる。
 言葉の真意は、共通するようだ。

 ある社員が、勤務先の社長と専務を乗せ、車を運転していた。
 「しかし各社各様に勘定科目が違うし、財務諸表を集めても、全体の集約がしにくいですなぁ…」ということを語り合い、何かいい方法はないものか、と二人が話し合っている。

 その社員は、業界団体の会長職にあった社長が、加盟全社の経営数値の集計に困っていることを知った。
 約1ヵ月後、「東京○○○協力会各社の、勘定科目統一試案」という案を専務に提出した。
 しかし長期間、何のレスポンスもないから、「余計なことじゃ…」と、叱られるか、無視されたのかと思っていたら、ある日社長に呼ばれ、こんな指示を受けた。
「今年の東京○○○協力会の総会は、鬼怒川の○○ホテルで開催するが、きみも参加してきみ自身から、あの統一試案を説明してくれ。いちばんわかっている人間が説明したほうがいいだろう…」
 その社員は後日、最年少の総務部長になった。その時思った。「何も言わなかった社長だが、“何をやるべきか”という人間を求めていたんだなぁ!」と。