積水ハウスという会社は、もともと、積水化学工業?のハウス事業部を母体として昭和三五年に、積水ハウス産業?が創立され、さらに三年後の昭和三八年に、田鍋健さん(故人)が社長に就任すると同時に社名を、現在の積水ハウス?に変更したものである。田鍋健さんが、積水ハウス?の実質的な創業社長なのだ。
この田鍋さんという経営者を、凝縮して表現すれば、“人を生かす経営者”と言えそうだ。
ある日。その年の新入社員たちが、現場に配属された頃を見計らっての某日。
 田鍋社長は、仙台の現場視察に出かけた。オフィスに足を踏み入れるや、社内いた二人の新入社員に近付いた。「どうだ、仕事にはだいぶ慣れたか?きみはたしか、岸和田から入った鈴木くんだったな・・」そう呼ばれた鈴木はびっくりする。と同時に、自分の全人格を百%以上に認知された思いで感動すらした。〔入社式のとき、遠くの演壇の上に見たあの社長が、おれの出身地やなまえまで覚えていたとは・・!〕
 もう一人の佐藤という社員には、こういって声をかけた。佐藤もまた感動し、積水に入った喜びを噛みしめた。「きみは鈴木くんと違って、東京の立教大を出た佐藤くんだったかな。どうだ、元気でやっとるか・・」 二人とも、数百名の新入社員の一人として、雲の上の人かと思っていた田鍋社長が、自分たちの出身地や出身学校まで覚えていたことに、身震いするほど感動し、いい会社に入ったものと思ったものだ。
 しかしこれは、すべて田鍋社長の、繊細な計画に基づく、モチベーショナル・アクションだったのだ。
 田鍋さんが積水ハウスの社長になったとき、積水ハウスは赤字だった。田鍋さんは語っていたものだ。「幹部たちの顔にすら、“あと二年も辛抱すれば、本社に戻れる”という文字が見えました。だから私は、化学工業と決別した会社にし、骨はこの会社に埋める覚悟で働け、という決意を示したのです」
加えていま紹介したような、繊細なモチベーショナル・アクションで、社員の意欲を高め、ついに販売力で業界一と呼ばれる、強靭な会社づくりに成功したのである。
 ちなみに積水ハウスでは、“我が社は住宅産業”に属しているとは言わない。“我が社はサービス業だ”という。顧客第一主義を徹底する、精神的な支柱にする経営スタンスなのだ。